第4話 急に戻らないで
「ぎゃあああ」
「うおっ」
翌朝。想像すれば簡単に解ることだったが、完全に失念していたことが目の前で起った。いきなりの悲鳴に驚いた史晴だが、その悲鳴の理由を自分の姿で理解する。
「も、戻ってる」
「戻ってるじゃないです。ふ、服を着てください」
そう。カワウソだと油断していて一緒のベッドに寝ていた美織だが、目覚めたら真横に素っ裸の史晴がいたのだ。そりゃあ、驚く。だって、綺麗に整った顔が目の前にあったのだから。朝の目覚めとしては心臓に悪いレベルに驚いた。
枕を投げつけ、史晴に服を着るように促す。すると、ささっとベッドから立ち上がった史晴は、昨日、美織がカバンに丸め込んだ服を取り出してテキパキと着替えてくれた。
そのあっさりした行動に、ちょっと残念な気分になりつつも、美織はようやく史晴を見た。しかし、服を着た史晴も驚きを隠せない顔をしている。
「先輩」
「朝、この時間に人間になるの、三ヶ月ぶりだ」
「――」
その言葉で、史晴素っ裸事件も飛んでしまう。そうだ。時計を確認すると朝の六時。カワウソ姿になったのが日付が変わる直前くらいだったから、まだ六時間しか経っていない。
「ね、寝たのがよかったんじゃないですか?やっぱり睡眠は大事なんですよ」
「そ、そうかもしれないな」
が、問題は史晴が人間に戻ったことで、距離感が困るということだった。それは史晴も同じらしい。緊急事態で美織のマンションに来たわけだが、女子の部屋に所在なさげだ。
「そ、それで、どうしますか?」
取り敢えず朝ご飯だろうか。美織は寝ぐせだらけの髪を整えながら訊く。いきなり、いきなりいつも通りの史晴が現れ、動揺が全く収まらない。
「いや、一度家に戻りたい。服も着替えないといけないし、風呂に入りたいからな」
「あ、ああ。そうですよね」
が、史晴は冷静だった。そう言って出て行こうと立ち上がったのだが
「ここの住所を教えてくれ。それと、メアドと電話番号を頼む」
と、スマホを取り出した。
「ああ、はい。そうですよね。パソコン用のアドレスだけじゃあ困りますよね。ん?住所?」
美織はテーブルの上に置きっ放しにしていたスマホを操作しつつ、どうして住所と首を傾げた。
「君はそういうところが抜けているな。俺は昨日、ここにカバンに入った状態で来たんだぞ。ここがどこか解らん」
「あ、そうか」
そうだったと、そこで美織はまた立ったままの史晴をまじまじと見てしまう。どこをどう見ても人間だ。カワウソだった面影はどこにもない。
「おい」
「あ、はい。ここ、大学から徒歩五分です」
美織はじどっと睨まれて、そう大声で答えていたのだった。
「はあ」
朝から一騒動あった美織は、大学に着くなり大きく溜め息を吐いてしまった。まったく、今後どうなるのだろう。しかし、このまま史晴を放置するつもりはない。
「よっ」
自分の席に着いて頬杖を突いていると、ぽんっと肩を叩かれた。みると、にこっと笑う加藤葉月が立っている。葉月は四十七歳とは思えない若々しい笑顔と、そしてジーンズとTシャツがよく似合う、活動的な人だ。
「せ、先生」
「昨日は災難だったらしいな。占部から話は聞いている」
「あ、はあ」
そうだ。葉月は史晴のことを知っているのだ。ということは、史晴が連絡をしていてもおかしくない。
「そ。お前が変な妄想をしないように見張っていてくれって頼まれてね。久々に朝方に人間に戻れたから、色々と溜まっていることをやってから来るらしいし」
「――」
全く史晴に信用されていないらしい言葉に、がっくり項垂れてしまう。しかし、呪いについて一緒に立ち向う仲間であり先生だ。ここは色々と聞いておくべきだろう。
「じゃあ、あっちで話すか。ここだといつ他の奴が来るか解らないし」
「はい」
そう言って、今いる院生や大学生たちが使う部屋から、葉月の個室へと移動することになった。ドア一枚を隔てて繋がっているのだが、こちらは教授の使用する空間だから、下手に誰かがノックもなしに入って来ることはない。
「あ、相変わらず凄いですね」
「そうか。椎名も助教になればすぐにこうなるぞ」
しかし、その葉月のための空間は所狭しと物があり、足の踏み場は机の周囲だけという惨状だ。が、片付ける時間なんて存在しねえと葉月は鼻で笑う。
「助教になれますかね」
「ま、それは努力次第だけどな。が、今時研究者になろうというガッツのある奴が少なくて困ってるんだ。椎名は見込みがあるからな。頑張ってくれ」
「はあ」
今後の進路相談でしたっけと問いたくなるアドバイスを貰いつつ、美織は座るために椅子を占拠するファイルを除けた。しかし、置く場所がなくてそのまま抱えて座る。
「ああ、いいよ。床に置いておいてくれれば」
「それは新たに散らかる予感が」
と言いつつ、重いので床に置かせてもらうことにした。せめて解りやすいようにと、椅子の下に置く。
「で、問題は占部だ」
「はい」
「お前、あの姿になるのをどう思う?」
「どうって」
「そう。途轍もなく困るよな。これが解りやすく死にかけているとかだったら解るけど」
あ、これは一年経っても手掛かりがないってことだ。美織は葉月の困惑顔に、問題の難しさを改めて実感したのだった。
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