9話 対峙

 天井に大穴があいた纏通空間グラズヘイム。塵と混ざった風が、梨愛の怒号と共に駆け抜ける。梨愛はいまだ頭の中に襲いかかってくる数多の映像が鬱陶しかった。


「神はお前たちの奴隷じゃない!」


 ――冗談じゃない梨愛は神だ。アース神族だ。ヴァルハラの和約がなんだ。人間の求めることにいちいち応えていれば支障をきたすのだ。神こそ自由、自由こそ神だ。人化したウルズの泉なんかに何がわかる。やりたいこと、したいことをするのが神さまの在るべき姿なのだ――その梨愛の態度を御手洗は過ちと捉えた。


「神の自由意志は人間の自由意志でもある。人間と神は永久に愛し合うべきなのです」


 神の失墜の根源は無配慮である。己が生き方を唯一とし、人間界ミッドガルト、いや、聖なる大樹ユグドラシィールの生命の理に逆らい、自由奔放に戯れ、振る舞ってきた結果である。神が生きらえる条件は示された道を正しく受け入れ、人間と一緒に歩むことなのだ。


 腕が再び液状化する。

 どろりと床にこぼれ落ちたあと、ぶよぶよと肥大化し、やがてジェル状の人型となった。その奇妙な人型から発せられた声は、梨愛にとってとても懐かしくとても温かいものだった。


「ヴァルキュリアよ」


「そ、その声は・・・オーディンさま!」


 梨愛は片膝をつき忠誠を示した。


「ブリュニーの泪は見つかったのか」


「いえ。痕跡すら見つかりません」


「ならば諦めよ」


 梨愛は驚き、頭を上げた。


「なぜです!オーディンさまは言いました。ブリュニーの泪を探せと」


「人間は尊い。人間は、豊かなのだ。人間は神に豊かさをもたらす」


「梨愛は納得できません。どうして人間なんかに肩入れするのですオーディンさま」


「ひとつ。神と人間は永久に愛し合いなさい」


「・・・ああオーディンさま。わかりました」


「おおヴァルキュリアよ。其の寛容な心、誠に感謝する」


「生憎ねオーディンさま」


「なんだと」


「梨愛がわかったのは、神はお前のオモチャじゃないってこと!」


 梨愛は残り少なくなったスクレーパーの纏通エーテルを拳に移して、武器を捨てた。そして飛び上がり、体を大きく反らせて勢い良く、御手洗の顔面に拳を打ち込んだ。だが。


「この程度ですか。あなたの叫びは」


 御手洗は全くダメージを受けておらず、代わりに突き刺すような瞳で梨愛を戦慄させる。怯んだのもつかの間、梨愛は連続で拳を打ち続ける。


「ヴァルハラの和約?人間を愛せよ?くだらない!」


「ひとつ。人間と神は互いを信頼し、尊敬しあいなさい」


「信頼?尊敬?できるわけがない!全部まやかしでしょ!」


「本当にそうなのでしょうか」


「・・・っ!」


 梨愛の動きが止まった。ほんの僅かに逡巡した後。


「違う!」と叫び、渾身の一撃を入れた。やはりダメージは無かった。


「だったらなぜ、あなたの拳はこんなにも迷っているのですか?」


「迷ってなんかないわよ!オーディンさま復活のためなら!」


「やればいい。ウルズの泉は寛大です、たとえ、相手が迷えし神であろうとね」


 御手洗は梨愛に後ろを見るよう促した。振り返る梨愛が見たもの、そこには・・・。


「エインフェリャルの選定だのブリュニーの泪だの。そんなもん捨てちゃいなさいよ、簡単じゃないの」


「・・・うそでしょ、なんで」


 オーディン同様、やはり人型を模したジェル状の梨愛、かつての自身の姿、アース神族であるヴァルキュリアがいた。思いきや、形状を変化させて梨愛に襲いかかる。


「しまった!」


 決して油断をしていた訳ではなかったが、梨愛は体を素早く取り込まれてしまった。脱出を試みるも、手足を幾度も出せどその度にジェルが絡みついてしまい徒労に終わった。


「あんた達は死んでいないだけ」


「違う!生きたいの、神として」


「じゃあ纏通エーテルで戦役前の神界アスガルトでも創造してみる?無理よね、あんた達じゃ」


「だから梨愛たちは人間と暮らさなきゃいけない。ブリュニーの泪を探し出すために」


「嘘言わないでよ。本当は、目的なんてないんじゃない?」


「ある!オーディンさまを復活させて、梨愛たちは神界アスガルトに帰るの」


「500年間もたもたしといてなにをほざいているのかしら。永久にやって来ないわよ。それっぽくやっていれば、あんたは神とでも人間とでも名乗れるの。そうやってきたの。どっちつかずの自分を利用して。思わなかったの?本当は最初から無かったんだって」


「オーディンさまが言ってた。ブリュニーの泪を探せって。なら絶対にあるんだ、梨愛は絶対に見つけるの」


「だから何?そんなんだから言われるのよ、働けって」


「うるさい!働いたらブリュニーの泪が見つかるとでもいうの?」


「知らない。神になにができるかだなんて。あんたは知る必要がある。それはあんたしか体験できないし、あんた自身にしか証明できない」


「・・・・・・」


「忘れないで。人間は神を拒んではいないってことを」


「勝手なこと言わないで!梨愛はあんなことをした人間を許さない」


 憤る梨愛をよそに、ヴァルキュリアを象ったジェルはみるみると変形し、梨愛とうり二つの顔を造成。同じ顔を持つ両者が対峙する格好となった。


 自分の顔を見て戸惑いを隠せない梨愛だったが、改めて見る自分の顔は目を背けたくなるほど瞳の力が強く、逃げようにも逃げられないがそうしたくなる程に表情から発せられる凄みに気圧されるのであった。


 ――これは500年前のわたし――


 そうして落胆する梨愛を諭すように、そいつは落ち着いた口調で言った。


「前を見なさい。ブリュニーの泪は、ヒトを信じる者の目の前にしか現れない」


 さらに付け加えて。


「ヒトを信じた時、神はユグドラシィールの理から脱却するのよ」


「え!?」


 その時である。


「ぬぐおぉおおおお」


 突然、御手洗の変身が解けてしまった。

 ジェル状のヴァルキュリアも溶けて失くなってしまい、御手洗自身は何が起こっているのかわからず、周囲と両手の平を交互に見比べていた。


「悪魔めっ!この時を待っていたのだ」


 この好機を逃さなかったのはゲオルクだ。人知れず体力の回復をはかり、機会を探っていた。


「滅せよ悪魔。ラズ・ベリィ!」


 前回の失敗を踏まえ、黒龍の大口でもって超特大の火炎を吐き出す。

 御手洗の瞳に火球が映りこむ。瞳孔の黒が緋色の水晶と変化していく。しかしそれを遮る者がいた。


 梨愛である。

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