7話 怒りと悲しみの果てに

 叱ることに怒りは必要ない。むしろ邪魔であると御手洗は断言する。

 怒ることで相手を支配するのではなく、叱ることで自分の考えを伝え、相手に気づきを与えることが優れた上司であると考えているからである。なのに。


「ふざけるな!いつもいつもいつもそうやって!」


 と頭で考えていたこととは全く別の言葉が飛び出してしまった。しまったと御手洗は思ったが、梨愛の入社以来、彼女の勤務態度に不満を募らせていた想いは、もはや、理性の堤防では歯止めが効かなかった。


「毎回毎回仕事に遅れる仕事はしない、こっちは仕事だから面倒見てやってんのに、いつになったら仕事をするんですかあなたは。こんな茶番にまで付き合わて、社会人としての自覚がないんですか?気持ち良く仕事をしたいんですよこっちは!あなたはセルフィッシュ!相手の気持ちを微塵も感じていない!わかろうとしない!この期に及んで、くだらない、ですって。くだらないのはどっちですか!人をナメるのもいい加減にしろ!」


 梨愛は何も言い返せなかった。

 オーディンのゲンコツで頭にたんこぶを作った時よりも、トールにくらった100万ボルトの電撃よりも、御手洗の言葉がとても痛かった。


「勝手にしろ!あなたを信用した私がバカだった!」


 と一方的に想いを全て吐き出し、その場を去ろうとした御手洗の体に異変が起こった。

 体のいたる所から赤い煙が噴き出し、御手洗の全身を包み込む。


「な、なんだあの人間から禍々しい妖気が・・・せ、世界が滅びる!」


 ゲオルクは恐怖に怯えるあまりそう評したが、決して大げさな形容ではない。

 やがて徐々に煙が晴れ、御手洗の姿が鮮明になっていく。


 下半身は強靱そうな猛牛の肢体を持ち、上半身は黒色の幾何学模様が刻まれた筋骨隆々の裸体。

 頭部からは3本の角が生え、その姿はまさに――悪魔――。


 御手洗は苦しみに満ちた重苦しい咆哮と共に、胸部より自分の体躯の何倍もある男子小便器を生み出した。

 小便器は黄ばみ、所々がひび割れており、そこから強烈な尿の臭いが発生し辺りを立ち込める。

 どこからなのか臭いを嗅ぎつけた巨大な蝿が大量に押し寄せてきた。


「神は人間と愛し合うことなどできないんだ。神は愚か者。神は勝手だ。ならば・・・いない方がいいに決まっている!」


 空震が絶対的な力を予兆させる。伴って蝿どもは危機を察知しその場を脱出しようと試みるが時既に遅し、小便器を取り囲む膨大なエネルギーの塊は蝿ごと飲み込み、グラズヘイムの天井をもの凄い速さでぶち抜いていった。


「滅べ、神界アスガルト


 怒りと悲しみの悪魔の呟き。その目からは血の涙がこぼれ落ちていた。

 そして、発言の意味はすぐにわかった。


「ユ、ユグドラシィールの上層部が・・・滅した」


 唇をわなわなと震わせて言ったのはゲオルクである。纏通エーテルで映像を作り出し、放出されたエネルギーを追跡していた。


 御手洗は「その通り。約束を守らない者たちへ罰を与えた」と当たり前のように言った。


「守らない者たちへの罰だと。貴様、何者だ。ただの人間ではないな!」


「私は、私は・・・」


 と言った所で、御手洗の意識が失くなった。

 どさりと地面に伏した時には人間の姿に戻っていた。

 ゲオルクは地に降り立ち、御手洗を見据えて言った。


「不完全な存在だ。しかし放っておけば死界ヘルヘイムの脅威となるのは必至。消さなければならない」


 一刻も早く消去したかった。冷静な分析とは裏腹に、ゲオルクの心情の大部分を焦りが占めていた。

 それは得意のラズ・ベリィにも表れた。

 本来、十二の青紫色の火球を放つ技であるが時間短縮のためそれを三つに留めた。御手洗がまた悪魔に覚醒してしまえば手に追える相手ではない。人間である内に亡き者にしたかった。


「消え去るがよい。ラズ・ベリィ」


「ナメるな。吸血鬼ヴァンパイア風情が」


「なっ?!」


 再び悪魔の姿へと変貌した御手洗が、ゲオルクの眼前に現れた。あまりにも一瞬の出来事であったので慄くことしかできないでいると。


「あなたは地獄の火炎というものを見たことがありますか?」

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