4話 女神さまのピンチ


「余は死界ヘルヘイムが主戦力たる高潔エルダー吸血鬼ヴァンパイア。ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ヤッツンバッハである。待ちわびていたぞヴァルキュリア」


「そんな硬っ苦しいのはいいから。なんか足湯に浸かっていたらどうでもよくなっちゃった」


「油断を誘っているつもりか。戦乙女と呼ばれる貴様に相応しくない策であるな」


「っていうかさ」


「ぬ?」


「そもそも死界ヘルヘイムの連中って、お風呂に入る習慣あるの?ねえねえこの美人のお姉さんにおせーて」


「はっ!そのような非常に原始的で非効率極まりないものにどうして」


 ゲオルク・ヴィルヘルム・・・・・・以下ゲオルクは続けた。


「高貴な一族である我らに貴様らと同じような垢が存在すると思いか?笑止、浄化の焔を操る我らに垢を喰わせることなど容易いこと。非効率的な手段でしか身体を清められない貴様らを余はひどく哀れに思う」


「うっわぁ高そうなブーツ履いてるのに足臭そう。バ〇入れとく?」


「無礼者!余に対するその態度、貴様先程からなんなのだ!」


「なにひとりで怒ってんのよ。梨愛は足湯に浸かろうよって誘っているだけじゃないの」


 このあほんだら。と梨愛は膨れっ面になった。


「嗚呼、こんな知性の欠片も無いのが神界アスガルトには魑魅魍魎の如く存在しているのか。無惨だ。我が生命の智に溢れる語彙はあの湯気とともに天井へと消えていったのだ」


 白い湯気がやがて消失していく様を見送ったゲオルクは空虚な面持ちに。


「ごちゃごちゃ言ってないでアンタも浸かりなさいよ。それともこの梨愛ちゃんとは足湯仲間にはなれないっていうの?」と片脚を湯から出し、つま先を艶めかしく動かしてみせる梨愛。


「仲間だと?誰が貴様のような田舎娘と相入れるものか。第一そんな事をすれば余は死界ヘルヘイムの面汚しになるではないか」


 ゲオルクは妖気を放ち始めた。


死界ヘルヘイムにとって神界アスガルトは敵である。ならば貴様とは相入れないことは当然の摂理!覚悟せよヴァルキュリア」


「ははーん。やっぱりね」


「な、なんであるか?」


「ウワサ話大好きのフォル姉が言ってたのよ死界ヘルヘイムの男はみな童貞だって」


「ど!どどど」


「あら。図星?ねえ吸血鬼ヴァンパイアって処女の血を吸って眷属にしちゃうんじゃないの?ならその後、好き放題じゃない」梨愛はOKサインを作り、輪の中に人差し指を通してしゃかしゃかとかき回した。


「なんと破廉恥な!断じてせぬ!愚弄するな、純潔こそ我ら高潔エルダー吸血鬼ヴァンパイアの誇りである!」


 途端に空間が震え出した。

 蛍光灯が激しく明滅し、物という物が宙に浮き、梨愛は放り出され天地の区別がつかなくなった。


「ちょ、ちょ、吸血鬼ヴァンパイアってイジり耐性ゼロなの!?」


 薄暗さの中、ゲオルクの燃えたぎるような真紅の眼が梨愛を睨みつける。


「仕方がないわね。梨愛あんまり短剣は得意じゃないんだけど」と梨愛は愛用の工具スクレーパーの柄に手をかけた。


「貴様から受けた侮辱。命で贖って頂こう」


 ゲオルクの身体が青紫の炎に包まれた。

 そして梨愛の運び込んだ道具がゲオルクに吸い寄せられ、ひとつずつ、まるでこの地で命を落とした死者の怨念が恨みの焔となったかのように激しく燃えていく。


 十二の青紫色をした火球がゲオルクの前で円状になった。


「ラズ・ベリィ」


 その合図を皮切りに火球が次々と梨愛に襲いかかる。

 耳を塞ぎたくなるような不響和音をあげながら向かってくる焔の弾丸を、梨愛はことごとくスクレーパーで弾き返した。

 あまりの激しさに鏡は割れ、天井や壁には焼け焦げた穴が複数空いた。


「見事な捌きだ。さすが聖石リア・ファイルを削って作ったというだけのことはある」


「ちょっと。あんまり手荒なことをしないで?怒られるのは梨愛なんですけど」


「くっくっく。それもたかが人間に負けたアース神族の宿命よ」


「あーあ。そろそろ御手洗さんが怒鳴り散らして帰って来る頃かしら。それじゃ手っ取り早く片付けさせてもらうわ」


 そう言って梨愛は床に転がっていたトイレクリーナーを拾い上げ、スクレーパーの刃に満遍なくかけた。


「原木梨愛。清掃作業、開始します」



 梨愛のスクレーパーの刀身が淡い光に覆われていた。


「ほお・・・・・・纏通エーテルか」


 ゲオルクは片眉を動かして言った。

 だがその程度。


神界アスガルトの輩にまだそのような力を扱える者がいたとは存外である・・・・・・が」


 驚くには値せず。

 使い手を初めて見たという興味がゲオルクの脳裏を刹那によぎったものに過ぎなかった。

 そうしてそれが終わりを告げる時・・・・・・共用トイレの壁や天井がじわりじわりと焼け剥がれていった。


 ――火はまやかし。


 梨愛は頭では分かっていたが体が警戒態勢を取り続け、身動きひとつとしてできず。

 その硬直をあざ笑うかのように焼失範囲は拡がり、そして全てが焼失し新たに見せた景色は梨愛に多大なる衝撃を与えた。


 破壊された大広間。

 土煙と血の匂いが入り混ざり、天井は崩れ落ち、大理石の壁には明らかに外部から破壊された大穴が。

 大破した巨大ステンドグラス、装飾品をかすめ取られ誇りと威厳を損失した玉座。それを夕焼けの橙が悲しげに染めている。


 梨愛は呟かざるを得なかった。


「グラズヘイム……王の間」


「その通り」


「ハッ!?」


 ゲオルクに背後を取られた。


「ヘルラズ・ベリィ」


 掌より放たれた24もの青紫色の火球が梨愛を直撃、勢いよく吹き飛ばした。

 なおも追撃せんとゆらゆら近づくゲオルク。


 ――報告にあった死界ヘルヘイム呪印とぜんぜん違うヤツじゃないのフォル姉。明らかに高潔エルダー吸血鬼ヴァンパイアのレベルを超えているわよ――


 梨愛の意識は文句をつけられるほどには保ってはいたが、どうにもこうにも体が言うことを聞かず起き上がることができなかった。


「ヴァルキュリアよ、これが纏通エーテルの本来の使い方というものだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る