3話 やる気スイッチはどこ

 どうにかこうにかして御手洗の指導から解放された梨愛だったが、怒りはなかなか治まらなかった。


「ったく梨愛の仕事はエインフェリャルの選定だっつーの!」


 さて仕事熱心な御手洗はどうか。


「ムリ!あんな頭でっかちの顔面ゴーレム。いっそヘルのババァに魂ごと喰われちゃえってんだ・・・いや魂食べるのはフェンリルのヤツだったかしら」


 たぶんどちらでもない。


 梨愛には気になることがあった。御手洗による少々手荒い指導がなされている間、使用禁止の文字が記された閉ざされた個室トイレが目についた。文字の下にはこれまた禍々しく赤黒い妖気を放つ幾何学模様の印が。


 梨愛はしげしげと観察した。


「この守護結界・・・・・・間違いないわ、フォル姉の報告にあった死界ヘルヘイム呪印ね」


 と言うと、梨愛りあは洗面台に向かい、蛇口をひねって鏡へと水をかけた。すると鏡は梨愛の姿ではなく、山中と思わしき場所で銃を持った迷彩服の人物を映し出した。


「フォル姉、聞こえる?梨愛だよ」


「はいはーい聞こえるよ〜。でも今取り込み中なんですけどー」


「またサバゲーなの?」


「そ、48時間耐久サバゲー。あと6時間生き残れば、アタシのチームの勝利」


「お気楽ね〜。梨愛なんかあと8時間も働くんですけどー」


「嘘おっしゃい!アンタが働く訳ないでしょ。トールがまた嘆いてたよ?」


「いいじゃないの別に。それよりも、例の死界ヘルヘイム呪印見っけた」


「あっそ。邪魔だし討滅しといて。だいじょぶよ、纏通エーテル使えるアンタなら吸血鬼ヴァンパイアくらい余裕っしょ」


「えーなんか強力な魔力で施されているみたいだよ?解呪に時間がかかっちゃうよ」


「こっちは忙しいの!やだ、アンタがどうでもいい連絡してくるから見つかったじゃないの。じゃあね、良い報告ができるようきっちり討滅しとくのよ?」


 とフォルは言うと、一方的に接続を切ってしまった。敵から逃れる途中で「あれ。もうひとつあったような?・・・まいっか」


 さて仕方なしに呪印とにらめっこをしていた梨愛は、「まあいいわ。めんどくさいの嫌いだし」と言って踵を返した。


「ま、討滅するかどうかはとりあえず足湯に浸かってから考えよ。そのくらい主さまも許してくれるよね」


死界ヘルヘイム呪印』が揺らいだ――ような気がした。


 梨愛はマットを広げ、20リットル水バケツを素早く2つ用意。片方には7割程度に水を入れ、もう片方はひっくり返しその上に座った。

 そして胸ポケットから取り出したるは、燃えたぎるように発光する粉が入った小分けの袋。


「じゃーん火炎草。これならいちいちお湯沸かさなくてもおっけー」と梨愛は嬉しそうに言った。


 火炎草は『神界アスガルト』に自生する植物で、乾燥させてすり潰したものがそれである。

 神界アスガルトにおいて暇を持て余す神々の御用達アイテムであり、道端で自前のバスタブで身を清めている神に遭遇するのは日常茶飯事である。

 なお火炎草は魔獣ファイヤードレイクの主食であるので、匂いを嗅ぎつけたファイヤードレイクに丸呑みなんて事も有り得るので使用場所には要注意である。


 早速、梨愛は火炎草の粉をちょいとつまんで、バケツの中へ放った。


「コカトリスのついばみひとつであったかお風呂〜♪」


 呑気に自作のヘタクソな歌を唄いながら、作業着のズボンをまくり上げて裸足になる。


「ふたつよくかき混ぜて〜いたずらゴブリンに笑われる〜♪」


「みっつ神の宴ぞ笑顔の足湯♪」


 と歌い終わると同時に両足をバケツに突っ込んだ梨愛はものすごく感極まった。

 魂は死にたてが一番と、たった今死せた若者の純潔な魂に触れた時の身が清められるような、慈愛の情が身体中から沸き立つような、天にも昇るようなあの感覚。

 それに匹敵する程の高揚感であった


「ん〜この熱めの湯加減、グラズヘイムの大浴場を思い出すな。そうだ梨愛ってばバラの花びら持ってんだった」


 近所のバラ園で摘んだ花びらを散りばめ、にへらと故郷に思いを馳せる梨愛。

 まるで神界に帰って来たかのような心の清涼。極上で至福のひとときであった。


 もう一度梨愛が安堵の吐息を漏らした時、辛抱堪らず、個室トイレの主が声を荒らげた。


「ヴァルキュリア!平然と余を無視するとは貴様それでも神界アスガルトの神か!」


 『死界ヘルヘイム呪印』の封印が解かれ、中からは強力な瘴気が漏れ出す。

 瘴気が晴れた中からは、一目で高貴な身分と分かる服装の吸血鬼ヴァンパイアが現れた。その顔は憤怒に満ちており、ただならぬ殺気を梨愛に発していた。


「何よ怖い顔させて。あなたも足湯に入りたいの?」


「入るか!」


 梨愛は気分を損ねた。

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