第9話 LOVE @ 1st site

 後に続々とアップされ話題になるその一連の動画について、とりわけその第一番目の動画について知ったのは、やはりTwitterのタイムラインでのことだった。関西在住で、面白いウェブサイトや奇抜な動画などいつもデザイン系の面白い情報をアップしてくれる知人が「なんかわかんないけど、これ、クル!」と紹介していたものがそれだった。


 いつも通り、彼のツイートに貼られたリンク先をチェックすると、YouTubeの画面が現れ、浅黒い肌の青年がカメラ目線で少し微笑みを浮かべている静止画が出て来た。背景いっぱいに埋め尽くす本棚が目を引く。素人が自分の部屋でパソコン内蔵のカメラで撮ったような絵だなというのが最初の感想だった。再生を始めたところ、すぐにその印象が正しかったことが分かった。


 撮影は個人宅の書斎のような場所で行われていて、画質も音質もラフなものだった。時おり遠くから車や、あるいは電車が走り去るような音や、人声や鳥の鳴き声らしきものもまじっていた。画面もよく見ると微妙に右肩上がりに傾いていて、青年の位置もセンターよりやや右にずれていた。カメラマンも音声係もおらず、たった一人でやっているのは間違いない。


 冒頭部分、画面は何かで暗く覆われて始まる。それはカメラに顔を近づけ過ぎた青年の頭頂部だったことがすぐにわかる。黒く縮れた髪の青年は、カメラ目線になり、少し微笑み,それからちらっと右の方を(画面でいえば向かって左の方を)眺め,喋りはじめる。もちろん日本語ではなく、なまりのある英語でもなく、どこか知らない国の言葉。少なくともぼくの知っている言語ではなかった。


 正直ぼくはがっかりした。考えたら知人は海外にも友人が多く、英語をはじめとしてさまざまな言語に日常的に触れている。だからきっとこの青年が何を喋っているのか理解できるのだろう。ぼくには全くわからない。となると知人には「クル」ものも、ぼくには「コナイ」ことになる。だからその時点で画面を閉じていてもおかしくなかった。未知の言語を喋る素人の放送を眺めなければいけない理由など何もなかった。


 だからそれをまだしばらく見続けたのは、単にぼくが貧乏性だっただけのことだ。せっかく見にきたのに何にも収穫がないんじゃつまらない。そう思ったからだ。しばらくぼくは見るともなくぼーっと画面の中の青年の語りぶりを眺め,耳を澄ませていた。青年はおおむね生真面目な表情で、時おり気の弱そうな笑みを浮かべ、終始熱心に喋っていた。割とイケメンだな、だから話題になってるのかな、などとどうでもいいことを考えた。


 語学には疎いので何とも言えないが、それはどこ方面と言うこともできない、まるで聞いたことのない言葉だった。中国語や韓国語やタイ語やベトナム語やスペイン語やフランス語やドイツ語やイタリア語なら習ったことがなくても音の響きでだいたい区別できる。アフリカっぽいとかアラブ風とか北欧的とかロシア語圏とかそういうのも何となくわかるものだ。


 けれど青年の喋る言葉は、そういうぼくの雑な整理には当てはまらなかった。青年は相変わらず熱心に喋っている。たまにちらっと右の方を見る。誰かがそこにいるのかもしれない。そして喋り続ける。どこか知らない国の言葉を。どこの人なんだろう? そう思った瞬間。だったと思う。ぼくは彼のそばに立っていた。それはかなり広い書斎で、大金持ちの家にある図書室とでも呼ぶべき部屋で、青年はすぐそこにいて、目の前のノートブックパソコンの内蔵カメラに向かって喋っていた。そして。


 そして、ちらっと右側を、つまりぼくの方を見た。そして微笑んだ。そして話を続けた。「こうしてニワトリとヤギとイヌと一緒に暮らしています」青年が言うのが聞こえた。何だって?とぼくは聞き返そうとしたが言葉をうまく口にすることができなかった。「ネコはいません。野生のヤマネコならたまに遭遇しますが、あなたたちのように、多くの国でそうしているようにネコを飼いならす習慣はありません」


 青年はぼくに向かって喋っているのではなく、カメラに向かって喋っているのだと,その時になって気がついた。「わたしたちの住む土地に入り込んだものはみな殺されてしまうと言われているようですが、ええと、それはついさっきWikipediaでも調べたんですが、それは違います。ぼくらは人を殺したりしません。それどころか仲良くなるんですよ、ほらこんな風に」


 そういうと青年はぼくの方を向いてにっこりと微笑んだ。それを見てぼくの心臓は熱く激しく高鳴り、喉元まで迫りあがってきた。青年が立ち上がり、ぼくの方に近づいてきて、美しく整った顔を寄せてきたのでぼくはもう夢中になって青年にキスをした。愛してる,愛してる。ぼくが言っているのか青年が言っているのかわからない。口を大きく開き舌をからめ、顎が外れるかと言うくらいに大きく開き、絡み合った舌同士でお互いの内臓をそっくり入れ替えてしまう勢いで貪り合った。


 あ。と思った瞬間に青年は離れて行き、キスなどしていなかったような落ち着きぶりで、それどころか一度も席を立ったことなどないような様子でカメラに向かって喋り続けている。「だからぼくたちにとって悪いことをする人はいないんです。そのまま住み続けるか、ぼくたちの住む土地を出てもぼくたちのことをそっとしておいてくれるか」そして青年はちらっとぼくを見て「あなたはどうしますか?」と尋ねてきた。


 けれども何と返事をしようか迷った瞬間、ぼくは自分の家のデスクの前に戻っていた。目の前のパソコンのモニターの中では青年が話し終えたところだった。彼は気弱な笑みを浮かべるとこちらに向かって手を伸ばしたかと思うとカメラを止め、YouTubeの動画も終わった。彼が伸ばした手に触れようとしてぼくは思わず手を差し出し、液晶画面を傷付けそうな勢いでつついてしまった。


     *     *     *


 すぐに動画を再生したが、今度は約5分の間、変わったことは何も起こらず、ただ未知の言語で喋る見知らぬ青年を眺めているだけだった。けれども、それでもぼくは良かった。なぜならぼくはもう青年に恋をしていたからだ。誤解されては困るが、ぼくはもともとゲイなわけではない。ゲイだから青年を好きになったのではなく、性別も何も関係なくただ青年に恋してしまったのだ。


 再生を終えると彼について何か手がかりはないか調べ始めた。コメント欄を読むと、世界にはいまなお知られざる言語がいくつもあって、部族外のものには決して教えないため、部族の消滅とともに永遠に失われる言語も少なからずあるのだという。そんな中でこの青年が喋っているものの候補としてもっとも有望なのはセンチネル語なのではないかというものだった。


 けれども調べると(青年が言っていた通りWikipediaで調べると)センチネル語を使う部族は外部に対して敵愾心をむき出しにする戦闘的な部族のようだ。その誤解を解くために喋っているのか。それとももっと別な言語なのか。ぼくはその後も何度も動画を再生しながら、恥ずかしげに微笑みを浮かべる青年を見つめ続けた。恐らく世界中で同じようにこの動画を見つめる人がどんどん増えていたのだろう。再生回数はみるみる増えて行った。


 翌週から月曜日ごとに青年の新しい動画がアップされ始め、さらにたくさんの人々がその動画に釘付けになり、やがて世界を揺るがすことになるあの事変へと続くことになる。


(「センチネル語」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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