第7話 三寒四温の折

拝啓

降る雨毎に春が近づいて参ります。お元気にお過ごしでせうか。


突然の、不躾の手紙を差し上げること、何卒ご寛恕下さい。

貴女、と御呼びして良いものか、馴れ馴れし過ぎるのではないか等逡巡しつつしたためて居ります。先づ貴女と記す事をお許し下さい。


小生が不躾をも顧みず斯うして手紙を書く事にしたのは、不思議なことがあつたからであります。いまから其の事をお伝へするのでありますが、其の話に入る前に少しだけ寄り道にお付き合ひ下さい。小生は夢日記と云ふものを付けて居ります。貴女は夢日記をお付けになつた事はありますか。彼れは面白きもので、付ければ付ける程、夢を覚えて居れるやうになります。以前の小生は夢等見た事が無ひと思ひ込んで居つたのですが、然うではありませんでした。貴女も機会があつたら付けてご覧なさい。驚く程覚えてゐられるやうになりますから。


最近小生は立て続けに不思議な夢を見てゐます。それは自分が何処か他所の國の、もつと云つてしまへば何処か他所の惑星の、ホテルか何かの一室で生活をしてゐると云ふものです。何もかもが清潔で、食事から何から至れり尽くせりの面倒を見て貰えるのです。それも寝台に横たわつたままで! 可笑しいでせう? 眠るたびに其んな夢を見るなんて奇妙な事ですが、或は此れは小生がいま置かれてゐる情況の為せる業なのかもしれません。


さて数日前より、小生の夢日記に、書いた覚えの無い文章が現はれるやうになりました。其れはまるで活字を拾つて印刷したかのやうな、但し見慣れない書体の文字で記されてゐます。勿論最初に其れを目にした時は愕然と致しましたし、憤りも感じました。人目につかぬやうに付けてゐる夢日記を誰かが勝手に暴いてあまつさへ印刷までしてしまつたのかと思つたからであります。しかしそれは如何やら小生の勘違ひでした。鍵のかかる私物箱に厳重にしまつてゐても、然うして日中片時もその場から離れ無かつた時でさへも、夢日記を開くとその見慣れない書体の文字が付け加わつてゐたのです。


最初の内は自分の夢日記に勝手に書かれた文章等、読む気にもなれませんでしたが、やがて其れが何かもつと別な不思議な力で書かれてゐる事に思ひ至り、小生に何事かを告げんとしてゐるのではないかと思ふやうになり、改めて最初から読み直してみました。其れは病床の人に宛てて書かれた手紙でした。もうお気づきの事でせうが、貴女からの手紙でありました。貴女が御祖父殿に宛てて書かれた手紙でありました。再び小生を驚かした事に貴女の手紙の宛先の御祖父殿は小生と同姓同名の方のやうで、其れがひよつとすると、斯うして小生の元に届いてしまつた原因なのやもしれません。


ですから小生が貴女にお返事を書くのは筋違ひであることは百も承知して居ります。けれども何通もの手紙を読み進めるうち(今度は小生が他人の手紙を、貴女の手紙を勝手に読んでしまつてゐたことになります。お許し下さい。何しろ小生の夢日記に書かれていたのですから)、如何してもお返事を差し上げたくなりました。ただ如何すれば貴女にお返事を書けるのかがわかりません。そこで斯のやうに手紙にしたため夢日記に挟む事にしました。これが何のやうな形で貴女の目に触れるのかわかりません。きつと貴女が書いて居られるやうな不思議な書体の文面になつて貴女の目に触れるのではないかと拝察します。


前置きばかり長くなりました。あまりゆつくり書く時間がありませんので、少々乱暴ですが、思つた通りの事を書かせて下さい。先づ小生は貴女の文章に驚きました。とても素直で、まるで、然う、まるで目の前に貴女が居て喋つて居るのを聞いてゐるかのやうに読めました。実はこの手紙も、貴女の真似をして、なるたけ自然に喋つてゐるやうに書かうと努めてゐるのですよ。あまり上手く行つてゐるとは思へませんが。貴女の手紙の前では所謂「口語体」等、只の「現代風文語体」に過ぎぬと感じ入つて居ります。


其方では雪が降つたのですね。先日届いた手紙に書いてありました。街灯に映える帝都の雪景色を懐かしく思ひ出しました。轉んだりしませんでしたか? 小生の居る南方でも意外なことに高地では雪が降るのですよ。今年はまだ雪の地帯には踏み込んでおりませんが。


そして貴女の御祖父殿の御快癒をお祈りします。小生と同姓同名と云ふこともあり、とても他人事とは思へません。小生はいたつて健全でありますが、健全であるが故に前線に赴く事とも相ひ成りました。もしも宜しければ、同姓同名の御祖父殿との縁でもあります、小生の無事を祈つてやつて下さい。初対面なのに(否、初対面ですらありませんね)、而もいきなりの手紙で厚かましいお願ひ事で恐縮です。小生には身を気遣つてくれるやうな方が居りませんので、つひ貴女にお願ひしてしまひました。


図々しいと思はれるかもしれませんが、小生は貴女の手紙を読み、貴女にお逢ひできればと願ふやうになりました。ですから、きつと何時か祖國の土を踏み貴女にお逢ひ出来る日を楽しみに作戦の地に行つて参ります。其の前に。或は此のやうな事を書くのは不敬なことやも知れません。然し此れだけはお伝へしておきたい事があります。貴女は本がお好きなやうなので、それだけにお伝へしておきたいのです。


小生も書に触れる時間をとても大切にして居りました。ものがたりの中にどつぷりと入り別な世界を彷徨する事は大きな喜びでした。いま小生が身を置いてゐる軍隊にも一つのものがたりがあります。それはとても強大で拘束力が強く上は将軍から下は一兵卒に至るまで隅々に滲み渡り見事に統制し、行動は勿論考へ方までも支配してゐます。祖國に尽くし、祖國のために誇り高く命を捧げると云ふ、美しい、勇ましいものがたりです。


貴女に迷惑をかけない為には何う書くべきか判らず、上手く書く事が出来ません。察してやつて下さい。貴女は、貴女のものがたりを歩んで下さい。手紙に書いて居られた通り無数の短編を読みあさり、或は沢山の長編に触れ、さまざまな色や形や手触りのものがたりに触れ、決つして一つの強大なものがたりにとらわれることなく、貴女自身が信じられるものがたりを見つけ歩んで下さい。小生も、時が来たら其のやうにしたいと念じて居ります。


三寒四温の折、お身体ご自愛下さい。

                                 敬具


(「ものがたり」ordered by タリン-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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