第6話 福岡在住の身としては餃子にはパリパリの羽が付いている物が好ましい
開いた待合室の扉に佇むエルを見て、俺はソファーに座ったまま固まってしまった。
理由は単純、接客のためにお洒落したエルに見惚れていたからだ。
エルが身に纏っているドレスは髪の色と合わせたのか薄い青色で、スカートはひざ下まであり清楚な印象を与えている。
セットされた髪にはウェーブがかかっており、軽くラメが入っているのかキラキラしていた。
頬や唇にメイクもしているが軽いため、艶やかさよりも年齢相応の健康的な美しさが強調されている。
キャバ嬢風にドレスを着て髪をセットしているのにも関わらずその佇まいは、とても自然に見えた。
呆けている俺を見たエルが口を開いた。
「あの、タケル様? どうかされました? またご病気ですか?」
エルはそう言いながら俺の座っているソファーのそばまでやって来て、心配そうに俺の顔を覗き込む。
辛辣な言葉を受けたが、心配をしてくれているエルを見てやはり悪気が有る訳ではないと分かった。
前々から思っていたが、恐らく言葉をオブラートに包む梱包作業が壊滅的に下手くそなようだ。
「いや、ごめん! 何でもないよ!」
「そうですか」
ああ、覗き込むのをやめてしまった。
くそっ! 次からは体調悪いフリでもしようかな。
「タケル様って普段から突然ワーって大きな声出したり、ボーと固まったりするのでびっくりしてしまいます」
そう言いながら手を大きく広げたり、ぼんやりしてみせたりとエルはその小さな体で身振り手振り表現している。
まあ何が言いたいかというと、小動物的可愛さということだ。
それはそうと、これ以上エルに心配をかけると先に進まないので、俺は気を取り直し口を開いた。
「本当に大丈夫だよ! あまりにもエルが綺麗だからびっくりしただけさ」
私利私欲で口説いているわけではない。
キャバ嬢なんて仕事中に口説かれることなど日常茶飯事だ。
これは口説かれた際に、相手を不快にさせないように躱し、受け流す訓練なのだ。
あわよくば好感度が上がれば良いとかは、これっぽっちも思っていない。ウヘヘ
「綺麗だなんてそんな事無いですよ......」
エルは綺麗と言う言葉に少し顔を俯けた。
俯いた顔が一瞬だが悲しそうな顔に見えたのは気のせいだろうか。
「いやいや! 本当に綺麗だよ! 可愛いだけじゃなくて綺麗なんてもう最強」
エルが見せた悲しそうな顔は、一瞬の事だったため確信が持てない。
だが、俺の気のせいだとしても、そんなエルを放って置くことは出来なかった。
口説き訓練のことを忘れ、励ますように明るく言葉を紡いでいた。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです...それではタケル様、ご案内しますので此方に来ていただけますか?」
一度軽く会釈をして、待合室の出口に向かうエルを俺はソファーから腰を上げ追いかけた。
廊下に出た後、エルは俺の方を向いていた。
エルの表情は笑顔で、先程見せた悲しそうな表情は影も形もない。
やはり俺の気のせいだったのだろうか?
「今からはタケル様はお客様です。本当は待合室に入った時からちゃんといないといけなかったのですが、タケル様が変だったのでつい元に戻っちゃいました。...それでは準備はよろしいでしょうか?」
「大丈夫! いつでもOKだよ!」
「分かりました! ではお客様、行きましょうか?」
そう言うとエルの声は明るいトーンの声になった。
接客用の声なのだろう、15才でここまで普段と接客用の使い分けが出来ていれば言う事はないだろう。
まだ始まったばかりだが、今の所100点だ。
なぜ100点かと言うと、接客を見てほしいと店長に言われた時に俺は減点方式で点数を付けようと決めていたからである。
まあ俺個人の感想でいうなら、エルの存在自体が6兆点くらいはあるのだが。
だが今回は心を鬼にして厳しく採点させてもらおうと思う。
そんな事を考えていると向かい合って話していたエルが俺の隣に来ようとして躓いた。
よろめいた程度なので転けることはなかったが、と咄嗟に俺の腕を掴みもたれかかるよう体制になった。
恐らく自身の想定より靴底と床の摩擦係数が高かったのだろう、体制を立て直しつつ俺の顔を見て照れをごまかす様に笑みを浮かべていた。
今のはエルが悪いわけではない、摩擦という物理現象が悪かったのだ。
よって現在の点数は……140点だな。
減点方式のはずが点数は上がっていた。
照れ隠しの笑みを浮かべていたエルは、先ほどから掴んでいた俺の腕をそのまま自分の方に引き寄せ腕を絡めてきた。
「えっ、ちょ! エル!?」
エルから腕を組んできた?
それはさながら天使の抱擁と言うのが正しいだろう。
なぜならマシュマロのようなお胸様が腕に軽く当たったからだ。
ふおおぉぉぉ! ふぅ…
危うく声に出るところだった…危ない危ない。
だが突然の事態に動揺が隠せなかった。
体は正直である。
「あっ......ごめんなさい。メリムさんがこう言う風にしていたので喜んでいただけるかと思って」
エルの突然の行動に動揺した俺を見て、エルは腕を放し少し離れてしまった。
俯きながら申し訳なさそうに謝っているエルを見てこっちまで申し訳なってしまう。
それとメリムと言うのは先ほど見た本にも載っていたし先輩なのだろうか。
なんと素晴らしい事をエルに教えたのだろう!
俺の中でまだ会ってもいないメリムの株価が上昇している。
「あっ! 違うんだ! いきなりだったから少し驚いただけで、むしろうれしい! もっと押し付ける様にぎゅっとしてほしいくらいだ」
「.....」
「怖くないよ~? ほらぁ……ぎゅっとしてみようぎゅうっと! 早くぅ!」
「どうしてなのか判りませんが今はとってもいやです.......」
腕を出しながら近づく俺に怪訝な顔をしたエルをまた距離をあけた。
気が急った……ちくしょう。千載一遇のチャンスを逃してしまった。
ここは異世界なんだ、死んだら腕を組む前に戻れないだろうか。
俺が悔やんでいると店の入り口の方から店長の声が聞こえた。
「エルちゃん! そんな所でイチャイチャしてないで早くお客様を案内してちょうだい?」
いいぞ店長! ナイスパスだ! キレてる、キレてるよー!
筋肉のシャープさがいい感じに出ている、というボディビルダー界の業界用語を心の中で店長に贈りつつ、エルが照れてくれることを期待した。
「イチャイチャなんてしてません! タケ……お客様が少し気持ち悪いだけです!!」
エルは入り口横のカウンターから顔を出している店長に向かって大きな声でそう言った。
動揺したせいか呼名がタケル様に戻りかけていた。
照れてはいない、だが可愛い。
「エルさん? 気持ち悪いって酷くない!? しかもそんな大きな声で」
「失礼しました。気持ち悪くないです。病気なんですね、ごめんなさい。」
断定された!? エルの中で俺はもう病気で確定らしい。
氷のような冷たい声にさらされ、黒く濁った瞳は侮蔑の感情を見て取れた。
ふむ……だがそれも悪くない。
どうしよう、このままだと俺はMに目覚めてしまうかもしれない。
「店長さんも、ああ言ってますし席にご案内します。ついて来てください」
まだ何処となく冷たい気はするが、エルは俺の服の袖を掴んで引っ張って歩き出した。
腕は組んでもらえなかったが次のチャンスに期待しよう。
そんな事を思いながらホールまでたどり着いたその時だった。
「お客様一名様入ります! らーしゃあせぇー!」
「らあっしゃあぁぁせい!! 一名様喜んでぇぇぇ!!」
ドン! ドン!
エルの大きな声と怒号の様な店長の声に続き、太鼓のような音が店内に響き渡る。
ここからでは見えないが恐らく入口の精算カウンターの下に太鼓があるのだろう。
キャバクラに太鼓……?
「はっ? えっ? なに!?」
突然の状態に驚愕しているとエルは更に俺の袖を引っ張り二人掛けの席まで連れて行った。
「お客様こちらにお座りください」
案内された俺は戸惑いながらも黒い革張りのソファーに腰を下ろした。
俺が席に着くとエルは何もなかったかのように接客を始めた。
「本日はご指名いただきありがとうございます! 改めて自己紹介をさせて頂きます。 わたくしリエルと申します。エルとお呼びください。」
そう言うとエルは軽くお辞儀した。
お辞儀をした際に少しだけ見えた胸の谷間で俺の戸惑いは消し飛んだ、さっきの入り口の居酒屋的なノリも何かの間違いに違いない。
異世界なのだから多少は違いがあるのだろう、いやあるに違いない。そう思うことにした。
「俺は御手洗健。タケルって呼んでいいからね」
「はい! タケル様ですね、かしこまりました。」
自己紹介をした後まだテーブルの横に立っているエルを見て、俺はソファーを軽く叩きながら言った。
「エルも座りなよ、それに堅苦しく様付けじゃなくていいよ?」
「はい! ありがとうございます。お隣失礼します、タケル様......あっ! タケルさんですね!」
言い直した……可愛い。
そう言ってエルは俺の隣にちょこんと座わった。
ここまでの接客の採点をするとすれば特段、減点のポイントはなかった。
今だに160点である。
あれ?また増えてる……不思議だなぁ。
気になった点があるとすれば名刺とおしぼりが出ないくらいだろうか?
あと入り口の一件は……とりあえずそっちは考えないでおこう。
「今日は沢山お話ししましょうね? タケルさんに楽しんでいただけるように頑張ります!」
エルは俺の方を向いて両の手を胸の上あたりでぎゅっと握りしめている。
この世界がマンガならふんす!と言う擬音がエルの横に大きく描かれているのだろう。
頑張るぞいって言ってくんねぇかな。フヘヘ。
「あっ、そうだ! このままでもなんですし、何か食べながらお話ししませんか?」
食べる? キャバクラの場合は飲むの方が正しくないだろうか……
少し疑問を覚えたが、エルはテーブルの上にあった一冊の本を手渡してきた。
「あーうん……そうしようか」
「では、こちらがメニューになります、ここからお選びください!」
エルは笑顔で首を軽く傾げつつ、両手でメニューを手渡してきた。
いちいち可愛いなこいつ……
そんな事を思いつつ、俺は受け取った本を開いた。
【お品書き】
<定食>
アサチュン鶏の唐揚げ定食
メスー豚の野菜炒め定食
ベンギ牛の焼肉定食
日替わり定食
<一品料理>
餃子
唐揚げ
春巻
麻婆豆腐
浅漬けセット
<飯類>
炒飯
天津飯
銀シャリ
<麺類>
ラーメン
チャンポン
焼そば
<甘味>
団子(茶、黒、紫、緑)
<飲み物>
ビール
聖乳
※定食はライス・スープお替り自由です。
※当店の肉料理は新鮮な国産の肉を使っております。
※メニューに載ってない物もあります詳しくは店長まで。
んん? ……中華料理屋かな?
それにしてもアサチュン鶏とメスー豚って……ウラスジンとタマティンといいこの世界の動物の名前はどうなってんだ!?
ただ、ベンギ牛だけは下ネタじゃないのか? 牛肉、肉、肉ベンギ…うーん。わかりませんね。
なんだか見覚えがあるメニューを一通り見て疑惑は確信へと変わりつつあった。
ホールに通された時の対応から、まさかとは思ってたが間違いないんじゃないだろうか。
そんな事を考えていた矢先、エルが先に口を開いた。
「タケルさぁん......私ぃ、これが食べたいです」
エルは上目遣いで、メニューを指差している。
恐らく件のメリムの見様見真似なのだろう。ぎこちないながらも精一杯、品を作っている。
もし仮にシャンパンを飲みたいと言われても俺は頼んでしまうだろう、そのくらいの破壊力だ。
そんなエルが指さしたのは唐揚げ定食だった。
「……唐揚げ定食?」
俺はキャバクラという空間で、唐揚げ定食と言うパワーワードに呆然としてしまった。
「あの......ごめんなさい。私なんかがお願いしても迷惑ですよね」
俺が困惑しているとエルが申し訳なさそうに瞳を潤ませながら俯いた。
そんなエルを見て俺は咄嗟に声に出していた。
「いや迷惑じゃないよ! もちろん頼もう! 唐揚げ定食!」
「ありがとうございます。私、アサチュン大好きなんです!」
エルはアサチュンがお好き?……ゴクリ
いやいや、冷静になれ御手洗健。
アサチュン鶏って書いてあるし、なんかニワトリ的な生物なんだろう。
エルは鳥肉が好きって言っているだけだ。
色々疑問に思ったことがあったが、嬉しそうにしているエルも見ているとどうでもよくなってきた。
ここは異世界だし、ここまで来ると突っ込んだら負けな気がする。
キャバクラで定食をおねだりされるのも斬新だ。
スタンダードなキャバクラが既に存在している事が前提の話だが……
評価や改善点は接客後にまとめてという話だったし、一旦はこのエルとの空間を楽しもう。
「タケルさんは決まりましたか?」
「そうだな……何かおススメはあるかな?」
その問いかけにエルは唇に指をあて少し考えた後、俺が持っているメニューの餃子を指さした。
「餃子はおススメですよ。とっても美味しいです!」
「そっか! じゃあ唐揚げ定食を二人前と餃子二人前頼もうかな?」
エルは注文が嬉しかったのか無意識に体を左右に揺らしリズムをとっている。
今日一番の笑顔だ、どうやらエルは食いしん坊キャラでもあるようだ。
「お飲み物はどうしますか?」
「じゃあ俺は……ビールをもらおうかな? エルは何か頼む?」
「私もいいんですか! じゃあ聖乳が飲みたいです!!」
飲み物一覧の聖乳を指さしながら笑顔を輝かせるエルを見て微笑ましい気持ちになった。
聖乳? 生乳じゃなくて?
とは思ったが今の俺にとっては些細な事だった。
もしこの世界にスキルレベルの概念があるのなら、この瞬間に俺のスルースキルのレベルが上がっただろう。
「じゃあ注文をお願いしてもいいかな?」
「分かりました! お願いしまーす!」
片手をあげエルが店の入口の方へ呼びかける。すると店長がやってきた。
店長が席の横まで来ると、エルの横に片膝を落とした。
そうしてる店長はホストやキャバクラのボーイのような感じだった。
エルは店長に対して元気よくメニューを伝えた。
「ご注文入ります! 唐定ツー、ビールワン、聖乳ワン、あとリャンガーコーテル!!」
「はい! よろこんでぇ! ご注文ありあぁっす!!」
リャンガーコーテル……それは全国チェーン展開している将棋の駒の名前で有名な中華料理屋で、餃子2人前を一皿で盛って提供するときのオーダーの通し方である。
突っ込みたい……すごく突っ込みたい。
だが耐えた。
リャンガーコーテルに耐えた俺、とても偉い。
注文を受けた店長は俺の方にやって来た。
「お姉さんがお料理作ってくるから少しだけ待っててねん? がんばるぞい! ふんっす!!」
そう言って店長は両の手を胸の上あたりでぎゅっと握りしめた。
店長のふんす! はエルのそれとは違い、ボディビルダーのポージング前の掛け声にしか聞こえない。
「お前が言うんかい!!」
限界だった。
ここまでいろいろ耐えて来たが、エルにしてほしかった事を店長がするといった、ベタなオチのせいで俺の我慢が決壊してしまった。
ソファーから立ち上がり、天を仰ぎ見ながら叫んだ余韻を噛みしめる俺。
突然の大声に驚いているエル。
俺の突っ込みを疑問に思ったのか、先程のポーズの状態で小首を傾げる店長。
静寂な店内には俺の突込みが残響となって、こだましていた。
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