第5話 退院
医者には二週間ほどで退院可能だと言われた。
自由に歩けるようになるのはもう少し先で、それまでは松葉杖生活になると言われたけれど、不安はなかった。
湊夏……さん……が、彼女が一緒にいたから。
……まだちょっと言い慣れないな。
入院中、上司と同僚達が見舞いに来てくれた。
同僚達には『一人だけさっさと定時退社なんてするから』なんて、からかわれたりもしたけれど早い退院を願ってくれた。
上司は夫婦で訪ねてくれて少し高級な果物を差し入れしてくれた。
いずれにせよ驚いたのは湊夏さんのことをみんな『初対面だけれども、いることは知っていた』として接していたことだ。
どうも俺の関係者の記憶が破綻しないように改ざんされているようだ。
この能力なんでも有りだな……。
親とかはどうなっているんだろう。
仮にも嫁ってことは結婚しているわけだし、顔見せぐらいは済ませていることになっているのだろうか?
実家に帰ることがあったらいろいろ大変そうだ。
それから二週間という時間はあっという間に過ぎて、その日は土曜日。
退院前の最後の検査を終えると、手続きをして晴れて自由の身となった俺は家に戻ることになった。
病院でタクシーを呼んでもらうと俺と湊夏さんは後部座席に並んで座る。
病院を離れたあと、見知らぬ町並みがしばらく続いた。
土地勘のない場所ではどこを走っているのかわからない。このまま見知らぬ場所へ連れて行かれたりはしないだろうか。
子供のような不安を感じて窓の外を見回し、隣に座る湊夏さんを見る。
すると湊夏さんはその視線に気づいたのか俺を見て微笑んだ。
「どうしたんですか?」
湊夏さんが少し楽しげに聞いてくる。
不安だったと言ったら湊夏さんはどう思うだろうか。呆れる?笑う?
「いや、別に……」
雑にごまかして思わず目をそらしてしまった。
……。
怒らせたりしていないだろうか?
また湊夏さんの方を見てみると……ニコニコしながらこっちを見ている。
「迷子みたいな顔してますよ」
つまり全部バレてた。
これはものすごく負けた気がする……。
やがて最寄り駅付近の路線高架をくぐると見慣れた通りの両脇に駅前のスーパー、商店街、学校などが現れた。
見慣れた町並みを通り過ぎ、そして住宅地に入ってしばらくしてタクシーは見慣れたアパートの前で停まる。
タクシーの支払いを済ませて、湊夏さんの肩を借りながら階段を登る。
俺たちは我が家……と言っても六畳の居間とキッチン、トイレ、風呂などが最低限のサイズであるだけのアパートの一室だけど……に戻ってきた。
……二人の部屋と言ってよいのだろうか。
まだちょっと実感がわかない。
そのうち慣れるだろうか?
「大悟は座っていてください。何か作りますね」
俺を居間へ押し込むと湊夏さんは台所に立ってなにか作り始めた。
傷は軽いとはいえ、今の俺はまともに動き回ることもできない。
撮りためたアニメはあるけれど、台所で料理を始めた湊夏さんを見ると、一人で見るのもなにか悪いような気がしてくる。
居間に座り込んで、何とはなしに部屋を見回すといくつかの見慣れないものに気がつく。
……ものがちょっとだけ増えている?
TVを置いたローボードには花瓶に生けた花が飾られている。またコンパクトながらいくつかの引き出しがついた箱も置かれている。なんの箱だろう?
ベッドの下には収納ボックスが三つ置かれている。
そういえばテーブルの下には楕円形のラグが敷かれている。
台所で忙しくしている湊夏さんに聞いてみた。
「これ、湊夏さんが買ったの?」
「どれですか?」
「このラグとか、収納ボックスとか」
少し考えて湊夏さんが答える。
「一緒に買いに行ったことになっていますね」
『なっています』?
「それってどういう?」
「ベット下の収納は私と大悟の服が入っているはずです」
そういえば、いつも部屋の中で干しっぱなしにしている洗濯物がないな。
「おそらく私が作られるのと同時に、あるべきものもそれらしく作られたのだと思います」
なにそれちょっと怖い。
つまり妄想の嫁が現実になっただけではなく、それまでの生活もそれに応じた改変がされているのか……。
「あ、じゃあもし俺が湊夏さんと一緒にタワーマンションの最上階で生活している妄想をしていたら……」
湊夏さんはくすっと笑って言った。
「そうなっていたかもしれませんね」
ああ、なんて貧弱な俺の妄想力。
嫁自身だけじゃなく、二人の生活もしっかり思い描いていれば、もっと……。
俺が自分の半端な妄想力を呪っていると、湊夏さんがフライパンで何かを炒め始める音が聞こえてくる。
台所の湊夏さんをぼんやり眺める。
こんな光景を見ることができる日が来るなんて、思いもよらなかった。
そういえばこの部屋にこんな風に俺以外の人がいるのって新鮮だな。
これって実はすでにすごい贅沢なんじゃ?
もっとなんて、いらないかもしれない。
少なくとも、今は。
そんな事を考えていると湊夏さんが炒め物をしながら言う。
「見ないんですか?」
「え、何を?」
思わず聞き返す。
「入院で溜まっているアニメがあるのでしょう?」
「知ってたの!?」
「はいもちろんです。今までも一緒に住んでいたことになっていますから」
『ことになっている』って……。
これも能力によるつじつま合わせなのかな。
「えーっと、それは……俺の今までの生活も知っている?」
「はい、最近のことは大体」
なんてこった、それはつまりアニメ三昧、ゲーム三昧な自堕落生活を知っているってことじゃないか。
他に何を知られているんだろう、色々怖いやら恥ずかしいやら……。
居間で頭を抱えて転げ回るのをこらえるのは大変だった。
苦し紛れに質問を続ける。
「アニメ、好きなの?」
「わかりません」
それってどういう……。
「でも、見てみたいです」
そう……なんだ。
なんか、嬉しいな。
「……じゃあ、後で一緒に見ようか」
「はい」
そうこうするうちに湊夏さんが料理を持ってきた。
テーブルに並ぶのは唐辛子とニンニクの効いた二皿のペペロンチーノ。
彼女はありあわせで作ったと謙遜気味に言うが、その皿からは実にうまそうな香りとできたての熱が溢れ出てきた。
だが彼女が俺の隣に座ると、料理の匂いは、鼻をくすぐるような湊夏さんのほのかな香りと時々当たる肩を通して感じる体温に霞みそうになる。
これはなんの匂いなんだろう?香水みたいな主張の強いものじゃないし、体臭というにはちょっと違うような……。
「もしかして、嫌いでしたか?」
「え?」
どうやらパスタを前にして俺は固まっていたらしい。
「そうじゃなくて……、いい匂いだなって」
「そうですか、それは良かったです」
湊夏さんが、とはとうとう言えなかった。
なんというヘタレ。
なんとか間をもたせようと俺はパスタをフォークで絡め取って口に運んだ。
「……!」
思わず言葉を失う。
理想の美少女の手料理ということを除いてもその味は絶品だった。
「お口に合いましたか?」
最大限の肯定を表そうとした結果、俺は首をカクカク上下に揺さぶるヘンな人形みたいになっていた。
さて、食事も終わり、日も落ちて、一つ屋根の下に男女が二人っきりとなれば、することは一つ。
……そう、録り溜めたアニメ鑑賞会である。
……。
俺は紳士なのだ。
決してヘタレなわけではない。
というかそもそも足の傷がまだ癒えていないのだから、無理は禁物というものだ。
そういえば湊夏さんて何歳なんだろう?
言動や行動はしっかりしているけれど、見た目は十代。
うっかり何かしたら事案発生じゃないだろうか?
うん、今はまだうかつなことはしないほうがいいな。
そう、俺は理性的な紳士なのだから。
俺がヘタレでないことを確認できたところで鑑賞会開始。
最近はネットでの配信サービスもあるが、俺は断然TV派だ。
特に最近の番組はCMにもネタが仕込まれていることが多いので、そこを見ない手はないだろう。
録り溜まった番組は40本近い。
湊夏さんはまだアニメ慣れしていないだろうから、ここはあまり凝った設定のない日常系から行ってみよう。
まずは4コマ漫画原作の『お料理研究会』
女子校の仲良し四人組が廃部寸前の料理部を立て直そうとするお話だ。
「この子が主人公なのですね」
「そうそう、やや暴走気味にみんなを引っ張っていくキャラだけど、ネーミングセンスが謎な上に飯マズな一番の問題児だね」
湊夏さんは思いの外アニメの内容に食いついてきた。
キャラクターの一喜一憂に反応して表情がくるくる変わる。
自分の好きなものを一緒に楽しんでくれる人がそばにいる幸せ。
この調子ならもう少し凝った内容のものでも楽しんでくれるかな?
じゃあ次は今期の本命、『暁の女王』を見てみようか。
こちらはうって変わってアジア的世界観で妖術を交えた異世界武術バトルもの。
ちなみに俺的には今期のイチオシだ。
「この主人公は武術家なのですね」
「そう、彼女は棒術の達人で謎の組織に追われて人知れず戦っているんだけど……」
どの作品も湊夏さんは夢中になって見て、一話終わるごとに楽しそうに感想を語ってくれる。
気がつかなかった点を指摘されて感心することも多かった。
久しぶりに趣味に没頭できた夜は湊夏さんという聞き役を得たことでこれまでになく盛り上がったが、退院直後で残り体力がもともと少なかった俺はその後数本を鑑賞しているうちに、いつの間にか寝落ちしていた。
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