第1530話 少しだけクレアさんが大胆になりました



「ワフ~。ワッフフ~」


 クレアさんと二人、お互い背中を向けて俺達が浸かっている浴槽の隣からは、レオの楽しそうな鳴き声のような鼻歌のような声が聞こえて来る。


「レオめ……結局楽しそうにしているんじゃないか」


 恨みがましくそちらを見ると、レオは水風呂にぷかぷかと仰向けに浮かんでいた。

 足は付くはずだし、いつもは犬かきなのに……自由に泳げないからなんだろうけど、仰向けで浮かぶ犬……じゃないシルバーフェンリルというのはどうなんだ。

 まぁ、楽しんでくれているのならいいけど。

 やっぱり、温かいお湯じゃなければ苦手じゃないみたいだな。


「そ、そうみたいですね。気に入ってもらえたようで……」


 レオはともかく、背中越しに聞こえるクレアさんの消え入りそうな声。

 なんだろう、特殊な状況で向こうの緊張みたいなのが伝わってくる。

 俺の緊張もクレアには伝わっているような気もするけど。

 ちなみに、二人ともかけ湯ならぬかけ水をしてから浸かっている。


 レオが俺達を押して、浴槽に近付いた時最後の抵抗としてかけ湯をせずに浸かるのはマナー違反だ! と俺が主張したせいだ。

 それならばと、一旦俺達を押すのをやめてくれたレオだけど、それで済むわけもなく。

 魔法を使って水を生成……俺とクレアさんに頭からぶっかけた、それはもう滝のように。

 そういえばレオって、リーザお気に入りの飲み水を魔法で作り出せるんだったよなぁ……なんて思い出しても後の祭り。


 全身ずぶ濡れなうえ、レオに掛けられた水は冷たくて体が冷えてしまった。

 結局、俺もクレアも体を温めるにはレオの勧める通り、一緒に入るしかなくなったってわけだ。

 まぁ温かいお湯を使って、体を流せば冷える事はないだろうと思ったんだけど、桶を取ろうとするとレオが立ちはだかったからでもある。


 何がなんでも、一緒に入らせる……レオ的には自分と一緒に入ってもらう、だけど……そんな意気込みを感じた。

 しかし……結局一緒に入ったはいいけど、この後どうしよう?

 決して邪な気持ちはないし、何かするつもりはないんだけど、いつまで入っていればいいのか。


「レオ、そろそろ……いいんじゃないか?」

「ワウ? ワッフ!」

「まだかぁ……」


 もう体も温まったし、体が冷える事はないだろう……と思って、プカプカと浮かんでいるレオに声をかけると、否定するような鳴き声が返ってきた。

 どうやら、レオが満足するまで俺達はここから出られないらしい。

 ……のぼせてしまわないかが心配だけど、子供達が使った後なので新しいお湯が流れていても少し温度が低くなっているのが、救いと言えば救いか。


「タクミさん……」

「クレ……っ!?」


 レオの様子を窺っていたら、俺達が入っているお湯に波が立ったと思った瞬間、ピト……と背中に何か柔らかな感触が。

 一瞬、後ろから抱き着かれたのかと錯覚して体が硬直してしまったけど、違った。


「ク、クレア……?」

「ふ、振り向かないでくださいね? やっぱり、恥ずかしいですから」

「う、うん。わかった……」


 背中越しに掛けられる声に、思わず動こうとする俺の体が止まる。

 恥ずかしそうにしながらも大胆な行動に出たクレアは、俺に背中を預けているみたいだった。

 振り向いていないから、見えないしわからないけど……濡れた服越しに伝わる感触は、背中のそれだった。

 お湯よりも温かいように感じるのは、クレアの体温かそれとも俺自身の体温が上がったのか……。


「そ、それでクレア。ど、どうしたの?」


 どもってしまう自分が情けないが、仕方ない。


「……どうせなら、こうしていたいなと思って。恥ずかしいですけれど、タクミさんにはいつも恥ずかしい思いをさせられていますから」

「そ、そんなに恥ずかしくさせてたかなぁ……?」


 人聞きの悪い事を言われるが、覚えがないわけじゃない。

 でも、いざという時大胆になるのは女性だからか……いや、俺の意気地がないだけかもしれないし、あとクレアはよく考えれば、思い切ったら結構大胆な事をしている気がする。

 恥ずかしそうにしながらも、いつも朝晩の挨拶代わりにハグを求められるからな。

 俺が忘れそうになったら、拗ねたように口を尖らせたり頬を膨らませたりもするくらいだ。


「すぅ……ふぅ……少し、落ち着きました」

「そ、そう?」


 深呼吸する動きも、背中越しに伝わってくる。

 落ち着いたと言うクレアとは違い、俺は心臓がバクバクとうるさいくらいで、全然落ち着かないんだけど。

 水着ですらなく、服を着てお風呂に浸かっているという特殊な状況、むしろだからこそ余計に意識してしまうのも無理はない事だ……きっと。


「……ん、ん……」


 小さく声を漏らしているクレアは、何を思ったのか後頭部を俺の首根っこに触れさせていた。

 お風呂に入る前にクレアは髪をまとめていたんだけど、後頭部でお団子になっているそれが、押し付けられて、柔らかく刺激してくる。


「ちょ、ちょっとくすぐったんだけど、クレア?」

「ふふ、いつもからかわれるお返しです。んー、ここですかね?」

「くっ……ふっ……」

「タクミさん、体が震えていますよ?」

「そ、そう言われても……くすぐったいんだから仕方ないよ」


 笑ってしまいそうになるのを堪えながら、クレアに抗議をするけど一向に止める気配がない。

 むしろ面白がって、さらにくすぐるように俺の首根っこに髪のお団子を触れさせてくる。

 こそばゆさと恥ずかしさで、体が震えるのは当然クレアに伝わっているけど、それすらも楽しんでいるようだ。


「ワフ。ワ~ウ……ワッフ! ワフフ~」

「……レ、レオ?」

「あらレオ様?」


 くすぐられているからか、妙な雰囲気になっているからなのかはともかく、なんとも言えないこそばゆさを感じていると、隣の浴槽にいたレオが飛び出した。

 どうやって、浮かんでいた状況から勢いよく浴槽から出られるのかわからないけど、シュタッと着地したレオは誇らし気にこちらに顔を向けた。

 どうだと言わんばかりだけど……なんだろう、点数でもつければいいのか?


「ワゥ。ワ~フ、ワフゥ!!」


 窺う俺達に対し、首を振りながら溜め息を吐いたレオは、のっそりと俺達の入っている浴槽に近付き……次の瞬間、外から体を震わせた。

 狼ドリル……レオドリルだ!


「ぶわ!?」

「きゃっ!?」


 冷たい水を頭からかぶって、思わず声を出す俺とクレア。

 浸かっているお湯の温度も、少しだけ下がったようだ……浴槽が広くてお湯の量が多いから、体が冷える程ではないけど――。


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