第1468話 気恥ずかしい空気が流れ続けました



 クレアに抱き締められてしばらく、安らぎだとか温かい気持ちだとかを享受させてもらった後、お互いにゆっくりと離れる。

 椅子から離れていた腰を改めて乗せて座り直す……ずっとあのまま、という気持ちというか欲求もあったけど、実際問題俺の腰が悲鳴を上げ始めていたからな。

 無理な体勢は良くない。

 先程までの安心感や平静はどこへやら、今は照れ臭くなってしまい、俺はクレアを、クレアは俺を見られなくなってお互いそっぽを向いているけど。


「た、タクミさん。もう、平気ですか?」

「うん……」


 小さく呟くクレアの声に、こくんと頷きながらこちらも小さな声で答える。


「あー、えっと……」

「ふふ……」

「ク、クレア?」


 この空気をどうしたもんか……と思ってなんとかしようと、声を出しながら言葉を探していると、クレアの方から聞こえてくる小さな笑い声。

 何かおかしかったんだろうか?

 思わずクレアの方を見ると、クレアも俺の方を見て微笑んでいた……ただ、その頬はリンゴのように真っ赤に染まっているから、恥ずかしくないとか照れていないわけじゃないみたいだ。

 まぁそうだよな、俺もそうだし。


「あ、いえ……すみません。タクミさんが可愛らしかったもので」

「か、可愛らしい? お、俺が……? それを言うなら、クレアとかティルラちゃんじゃ……」

「ここで、ティルラの名前を出すのは行けませんよ、タクミさん?」


 可愛らしいと言われて、照れるやら恥ずかしいやら……でも俺なんかより、と思って返したら少しだけクレアがむくれた。

 頬を赤く染めたまま、目を細めて軽くだけど睨まれている。

 うんまぁ、そんなクレアも可愛いと思うけど、確かにここでクレア以外の名前を出すのはいけないなと気付く。

 ほんと、俺は苦手だったのもあってこういうところが至らない。


「ご、ごめんなさい。でも、可愛らしいなんて俺に言うような事じゃ……」

「いえ、タクミさんは可愛らしい人です」


 謝りつつ、クレアの言葉を否定しようとしたけど、睨むのを止めて真っ直ぐ俺を見つめて断言された。

 そりゃ、どちらかと言えば童顔の部類に入るなぁという自覚はあるし、よく言われてもいた。

 可愛いと言われた事だって一度や二度じゃない……大体は伯母さんとかで、クレアの言っているのとは、少し意味が違う気もするけど。

 でも、男に対して可愛いは誉め言葉じゃない事もあるわけで。


「もちろん、格好いい人でもありますけどね?」

「うーん……」


 クレアが赤い頬のまま、首をかしげるようにして魅力的な微笑みを浮かべて言った。

 照れてはいるんだろうけど、今はそれより考えている事を伝えようとする気持ちが勝っているようだ。

 ともかく、恰好いいと思ってくれているのなら、それはそれでありなのか?

 可愛らしいと恰好いい……相反する言葉のようで、共存するのかもしれない。


 いや、少なくともクレアの中では共存しているのかもしれない。

 だったら、変に思う事なくただただ誉め言葉として受け取っておけばいいか。

 ……なんで俺は、クレアに可愛らしいと言われただけで、こんなに葛藤しているのだろうか。

 多分だけど、クレアには恰好付けたいとか、恰好いいと思われていたいという考えがあるからかもしれないな。


「でも、なんで急にあんな事を?」


 決して、胸に抱きしめたとか具体的な事は言わない。

 クレアをこれ以上恥ずかしがらせたくはないからな……俺が恥ずかしいのもあるけど。


「そ、それは……!」


 と思ったんだけど、駄目だったらしい。

 思いっ切り顔を背けたクレアは、首筋まで真っ赤になっている。


「す、すみません! 急にあんな事を……私ったら!」

「あ、いや、謝る必要はないんだけど。嬉しかったし」

「う、うれ!?」


 よっぽど恥ずかしかったのか、顔を背けたまま謝るクレアに、思わず素直な気持ちを口に出してしまった。

 俺も恥ずかしくなっているせいで、、かろうじてクレアの方へ顔を向けたままだけど、頬は熱い……クレアばかりじゃなく、俺も赤くなっているんだろうな。

 

「……その、すみません。タ、タクミさんの顔を見ていると、つい勢い余ってしまって」

「俺の顔……?」


 おずおずと話すクレアの言葉を聞き、熱くなっている頬を自分の手でペタペタと触る。

 特におかしい事はないと思うけど……抱きしめたくなる顔、なんてわけもないだろうし。

 ちなみにその際、抱き締められる直前までクレアの柔らかい手で右手が包まれていたんだと思い当たり、さらに体温が上がったけどクレアには内緒だ。

 顔を背けているから、多分バレていないし。


「えっと、話しているタクミさんの顔が、ずっと苦しそうでしたので。それで、なんとかしてあげたくなって」


 笑えていないどころか、苦しそうに見える表情になっていたのか。

 意識していなかったというか、以前の辛い記憶を思い出していたからそうなるのも無理はないのかもしれないけど、それでクレアに心配させてしまったってわけだな。


「そ、その……私は、いつもタクミさんに抱き締められて、し、幸せな気持ちになるんです」


 恥ずかしさが上乗せされているんだろう、顔を背けたままさっきまでよりもためらいがちに、そして小さな声で話してくれるクレア。

 声は小さくても、部屋には他に誰もいないし隣に座って距離が近いので、俺にはしっかり聞こえる。


「だ、だからですね……お、同じようにしたら、タクミさんも幸せな気持ちになるのかな、と。辛くて苦しそうな表情が、し、幸せで塗り替えられるかなと、思った次第です、はい」

「そ、そう……なんだ」

「は、はい……」


 最後はいつもとは違う口調になりながらも、話してくれたクレア。

 照れ臭い、恥ずかしいという感情に上限はないのか、と思ってしまう程頭が沸騰したような状態で、なんとか言葉を絞り出してクレアに答えるけど、たどたどしくなった。

 クレアも同じくだけど。


 それにしても、毎日ハグを要求されて習慣になってきているが、クレアはそうだったんだ……もちろん、俺も幸せだというクレアの気持ちと同じく、抱き締める事で幸せを実感していたんだけど。

 それは、さっきと形は違うけどクレアの方から抱き締められた事もそうだ。

 多分それが、本当にクレアがしたかった事で、俺はまんまと幸せやら何やらを享受させてもらった、という事なんだろうな――。



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