第1467話 過去の話どころじゃなくなってしまいました



「タクミさん……私には話を聞いて、想像するくらいしかできませんが……」

「ははは、まぁそうだよね。でもこうして聞いてくれるだけでも、少し気が楽になった気がするよ」


 俺の話を聞いていたクレアの、沈痛な面持ちになってしまった表情を解したくて、笑いかける。

 でも俺は上手く笑えているだろうか? さっきはトラウマがのぞいたと言ったけど、明確に思い出して話しているせいか、今はのぞくどころではなく表面に出てきている気がする。

 いつの間にか握りしめていた右手、それをクレアの両手に包まれていても、震えが収まらないくらいだ。

 ここにはクレア以外いなくて、会議でもなんでもないのにな……情けない。


「……私がもし、その場にいたなら……もしタクミさんを助けられたら……」


 やっぱり、ちゃんと笑えていなかったみたいだ。

 それか、手の震えのせいかもしれない。

 決して目を逸らさず、俺の話を少しでも漏らさず聞こうとしている姿勢は崩さず、けれどクレアはまるで泣いているかのように顔を歪めた。

 どう言えばいいんだろう? どうすればクレアは笑顔になってくれるだろうか?


 手だけでなく、体まで震えて、頭の中を苛む不安の中で、そんな事を考えている。

 押し潰したり、押し殺さなくてもクレアの事を考えられるのは、話を聞いてもらった事で少しでも救われているからだろう。


「仕方ないよ。クレアとはこちらの世界で出会ったんだから。そのまま、住む世界が違ったとも言うかな? でも、こうして出会えたんだから。俺にはそれが、もしかしたらこれまでの事があったからこそじゃないかって思うんだ」


 クレアが貴族で、俺は一般人……という意味ではなく、本当に異世界だ。

 でもクレアにはクレアの、俺には俺の生活があって今の考えや性格になったわけで……たらればではあるけど、もし何かが違えば、今こうしていなかった可能性もある。


「それに、本当にクレアがその場にいたら、全員公爵家のご令嬢に平伏してしていたかもね? あーでも、それはそれで見たかったかも」

「タクミさん……」


 あの会社に、別の世界で公爵家の娘だというのが通じるかはともかく、想像するとちょっとだけ笑えた。

 冗談交じりではあるけど、これで少しはクレアも笑ってくれるかな? と思っていたら、何故か悲痛な表情で俺を見ていた。

 あれ? そんなにつまらない冗談だったかな? 確かに、空気は読めていない発言かもしれないけど。

 そう考えた瞬間の事だった。


「っ!」

「え!?」


 突然、クレアの両手に包まれていた右手が引っ張られる。

 急な事で、踏ん張る事ができずクレアの方に体ごと倒れ込んだ……このままじゃ、クレアが俺に押し潰されて……あれ?

 なんだか、柔らかいよう……な……?


「強がらなくてもいいんです、タクミさん。せめて、私の前では……大丈夫、大丈夫です。ここには……いえ、少なくともこの屋敷にいる者達や、村の者達は、タクミさんにそんな表情をさせる人はいませんから。レオ様や、フェンリル達だって」


 俺は一体どんな表情をしていたんだろう? 笑おうとして失敗していたような気はするけど。

 それはともかく今の状況だ。

 手を引かれて体を引き寄せられ、クレアを巻き込んで椅子から落ちるのではないか、と思っていたけどどうやらそうはなっていない。

 そして、俺の顔を埋め尽くす柔らかい感触……。


 一体何が……と考えるまでもなく、今俺はクレアに抱き締められているという事なんだろう。

 しかも、体を抱き締めるのではなく、顔を抱き締めているわけでつまりこの柔らかさは……。

 と現状を理解していくごとに、熱くなっていく体。

 照れて顔とか頬が熱くなるのではなく、全身が熱を帯びていく。


「んー!」

「大丈夫です、落ち着いて下さい。大丈夫、大丈夫……」

「……」


 思わず抵抗しようとした俺を、さらに強く抱きしめて、背中を撫でてくれるクレア。

 幸いながら、包まれている感触の中でもなんとか呼吸ができるため、窒息する危険はないけどこれは……。


「タクミさんが苦しむ必要はありません。そして、我慢する必要も……タクミさんが以前体験した事は辛い事かもしれませんが、ここでは私がそんな事をさせませんから」


 囁くように、優しく耳に届くクレアの言葉。

 瞬間的に熱くなっていた体の熱が、少しずつ引いて行く気がする。

 それどころか、日本での経験を思い出して陰鬱な気持ちになっていた心が、解けていくような感覚。

 不思議だ……状況を考えれば、男として色々思うところがあるというか、邪な気持ちを抱いてしまいそうではあるけど何故だろう、クレアの声と背中を撫でれられる感触に導かれるように、気持ちが和らいでいくような。


「……」

「大丈夫、大丈夫……」


 抵抗する気が失せ、黙ってされるがままになる俺と、ひたすら優しく大丈夫だと伝えてくれるクレアの優しい声。

 俺も男だから、自分の顔が女性の胸に抱きしめられるという状況になったら、平静ではいられないだろうな……なんて考えていた。

 少なくとも、異性として好きだったり意識している相手には。

 けど今は、頭が沸騰するとか、混乱するとかは一切なく、ただただ平静……いや、凪のような状態になっているような気がする。


 ただただ穏やかで、優しさが何も抵抗なく心に入っていくような。

 あくまでイメージだけど、心に付いた傷を優しく撫でられて癒されて行くような……そんな感覚だ。

 いやまぁ、実際に背中は撫でられているけど。


「……あ」


 背中を撫でていたクレアの手が、俺の後頭部を包むように、髪を絡めながら優しく撫でられるのを感じた。

 逆なでしないようゆっくり上から下へ、ふんわりと撫でられる感触に、思わず声を漏らす俺。


「す、すみません! けど、なんだかこうしたくて……」

「……」


 俺の声がクレアに聞こえたんだろう、ピタッと撫でる手が止まって、謝られる。

 けど別に謝られる事はないし、むしろもっととせがむように……小さくほんの少しだけ首を下に動かして首肯。


「ほっ……ふふ」


 クレアが小さく息を漏らすとともに、再び後頭部を撫でる手が動き始めた。

 意識してなのかはわからないが、クレアの漏らした笑い声と共に、かかる息が心地いい。

 そうしているうちに気付く、柔らかな感触を通して伝わるクレアの鼓動。

 ドクン、ドクンという音や振動。


 若干、どころかかなり速い鼓動なのは、クレアの今の気持ちを表しているのだろうか?

 穏やかで、そのまま眠ってしまいそうな程の安らぎでありながらも、鼓動の速さが俺の意識を繋ぎとめている気がした……さすがに寝られる状況ではないけど。

 でもその鼓動が、与えられている安らぎとはまた別の、温かい気持ちを心から湧き立たせるような気もした――。



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