第1463話 クレアが執務室に訪れました


 

「ん~……っと。おや?」


 半分以上の書類が片付き、小休止のため固まっていた体を伸ばしていると、執務室の扉がノックされた。

 誰かが訪ねてきたみたいだ。


「タクミさん。私です、クレアです」

「あぁ、クレア……入って大丈夫だよ」

「はい、失礼しますね」


 扉の向こうから聞こえたのは、クレアの声。

 俺が許可を出すと、扉を開けて入って来る。

 書類の高さもかなり低くなったおかげで、クレアの顔がよく見えた。


「どうしたんだい、クレア? まだ、夕食までもう少しあると思うけど……」


 クレアの顔を久々に見た気がして、思わず頬が緩むのを自覚しながら、用件を聞く。

 実際には、大広間を出てそれぞれの執務室にこもってから、二時間経ったかどうかくらいなんだけどな。


「いえ、私の方が先に片付いたので、もしタクミさんがまだのようでしたら手伝えないかと」


 どうやらクレアの方は、おれより先に終わったらしく様子を見に来てくれたみたいだ。

 俺の方はまだ少なくとも三分の一は残っているのに、不甲斐ない。

 と思っていたら、クレアより俺の方が書類の量が多かったらしく、まだ終わらないのも当然とフォローされた。

 まぁ、こちらは俺が知らない事を知るための事が記されていたりもするので、多いのも当然か。


「ありがたいし、凄く助かるけど……うーん……」


 手伝ってくれるのは本当に助かるんだけど、どうでもいいかもしれない男の意地みたいなので、クレアに手伝ってもらうのはいいのか悩む。

 一応終わりも見え始めているし、手伝ってもらわなくても今日中には終わるとは思う。

 アルフレットさんやキースさんも、他の仕事のため部屋にいないから、追加の書類もなさそうだし。

 でも、早く終わらせたい気持ちもあるわけで……。


「どうされました、タクミさん?」

「いや、えーと……」


 悩んでいる俺を、不思議そうに見ているクレア。

 どうかしたわけではないんだけど、内心で頼っていいのかというのと、見栄を張るなという思いがせめぎ合っている。


「タクミさん、悩んでいますね? えーと、僕はよくわからないんですけど、タクミさんを手伝うのは駄目なのですか?」

「いえ、そんな事はございません。ただ少し、主様が葛藤しておられるだけかと」


 同じく俺を見て、不思議そうに呟くテオ君と、疑問に答えるライラさん。

 ライラさん……絶対俺が何を悩んでいるのか、わかっているな。

 セバスチャンさん程じゃないにしても、ライラさんはよく見ていてくれて鋭いところがある。

 お世話をする事が生き甲斐なところがあるから、よく観察しているからなんだろうけど。


「……主様?」

「あ、あぁそれはさっき……」


 とりあえず、ライラさんが主様と言った事に反応するクレアに、先程決まった俺への呼び名の話をする。

 猶予ができたと思ってその間に、クレアに手伝ってもらうかどうかも考えておこう。


「成る程、確かにお父様と呼び方が同じになると、どちらを呼んでいるのかわかりにくいですね……私は、ライラが提案したご主人様が一番良いと思いましたけど」

「クレアまで……主様っていうのも慣れないけど、諸般の事情があってそれはちょっとね」


 話の流れで、ライラさんの提案の話をしてしまい、クレアはそちらの方が好みだったようだ。

 まぁ、俺が話したわけではなく、テオ君が口に出したんだけど……ライラさんが珍しく、少し慌てた様子だったのは不思議だった。

 アルフレットさん達といた時は、そんな様子は見られなかったのに。


 ともあれ、ご主人様は狙い過ぎな感じがしたから、理由はともあれ誤魔化しておく……さっきも考えたけど、ユートさんに聞かれたら変な想像をされそうだしな。

 自分からユートさんが面白がりそうな事には、足を突っ込まないのが無難だ。

 ……最終的には、ルグレッタさんによる強めのツッコミで収まるんだろうけど。


「ちょっと残念です……ご主人様?」

「っっっ! ク、クレアから言われるのは、ちょっとやめて欲しい……すぅ、はぁ……」


 クレアが首を傾げつつ、微笑みを湛えて呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。

 顔も赤くなっている気がしたので、顔を逸らしつつ胸に手を当てて自分を落ち着かせるように深呼吸をする。

 こんなに破壊力があるものなのか……いや、相手がクレアだから特別なんだろうけど。


 あと、今日は色々とあってさらに書類仕事で疲れていて、精神的防御力が下がっているからかもしれない。

 ……精神的防御力ってなんだろう? 適当な事を考え過ぎだな。


「むぅ、駄目でしたか」


 少しだけ頬を膨らませるクレア。

 駄目じゃない、駄目じゃないんだクレア……むしろ破壊力が高すぎるというか、鬼に金棒というか。

 クレアは鬼じゃないけど、それだけ強いって事で……とにかく強い。

 何を考えているのか自分でもわからないけど、強いでいい事にしよう。


「と、とにかくクレアはいつもの呼び方でお願い。あと、申し訳ないけど手伝ってもらおうかな、うん」

「はい、わかりました! 任せて下さい!」


 この話が続くのは、俺の心臓が持たないと感じ誤魔化すように、クレアからの手伝いの申し出を受ける事にした。

 男の意地とか葛藤とか、さっきので全て飛んで行ったよね。


「……私とテオ様はお邪魔かもしれませんね。――テオ様、そろそろオーリエ様とレオ様達がお戻りになる頃です。お迎えに行きませんか?」

「んー、そうですね。このままタクミさんの様子を見ていたい気持ちもありますけど、迎えないとオーリエがむくれそうです」

「はい。それでは主様、クレア様、失礼いたします」


 俺とクレアの様子を見ていたライラさんが、突然テオ君に部屋を出るよう促した。

 オーリエちゃんを迎えるためと言っているけど、もしかしたらライラさんが居づらく感じているのかもしれない。

 クレアと二人の世界に入りそうだったからな……割といつもの事だけど。


「……ライラに気を遣わせてしまいましたね」

「そうですね。後でお礼を言っておきます」


 テオ君を連れて部屋を出るライラさんを見送り、クレアと話す。

 別に今クレアと二人になりたい、というわけではなかったんだけど……クレアの言う通り気を遣わせてしまったようだ。

 邪険にするつもりはないし、仕事中でもあるからもっとわきまえないとな――。



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