第298話 髭を剃る決意を固めたようでした



 ティルラちゃん本人は、物心つく前だろうからエッケンハルトさんの顔を見て泣いたなんて、覚えていないだろうし……確認をする方法も無いかもしれないが、エッケンハルトさんの早とちりなだけのような気がする。

 セバスチャンさんとか、教えてあげなかったんだろうか……いや、あのセバスチャンさんだから、面白そうと考えて言わなかった可能性もあるな。

 そもそも、その頃のセバスチャンさんが、エッケンハルトさんに何かを言える立場にあったのかも知らないしな。

 まぁ、ここまで考えたのは、単なる俺の憶測だが……あまり遠くないような気がする。


「……えぇと、必ずというわけじゃないんですけど、子供は髭を怖がったりする事もあるようです」

「ここの孤児院の子供達は、私を見ても怖がったりしないぞ?」

「……」

「えっとですね……」


 孤児院の子供達の事を言うエッケンハルトさんだが、ちらりと横目でアンナさんを見ると、何か言いたいけど言えないと言ったように目を閉じている。

 あー、うん……言えないんだろうなぁ。


「多分ですが、この孤児院の子供達はアンナさん達がいますから、大人が怖いと感じていないからだと思います。だから、イジメられる事があったリーザは、大人に慣れていないから……髭を怖がったのかもしれません。……ほら、スラムだと髭を綺麗に剃ってたり整えたりしてる人って、あまりいなさそうじゃないですか?」

「……そうだな……確かに、言われてみればその通りかもしれん……」


 今日初めて見たスラムだが、そこらにいた人たちは髭を整えている人はいなかったように思う。

 今日のように、お爺さんが亡くなってから、色んな人達にイジメられて来た可能性のあるリーザは、髭を生やした大人にもイジメられた経験があってもおかしくないだろう。

 だから、エッケンハルトさんの髭を見て怖がっても仕方ないと思う。

 アンナさんの方は、孤児院の子供達に関する事を誤魔化して伝えた事で、感謝するように、俺に対して目礼をした。


「タクミ殿の言う通りかもしれん……わかった。屋敷に帰ったら、この髭はすぐに剃る事にしよう!」

「ははは、それが良いかもしれませんね……」


 髭を生やしていたら、山賊にも見えるエッケンハルトさん。

 剃ったら……多分美形の中年になるんだろうなぁ。


「ティルラも大きくなった事だしな。私が髭を剃っても、泣く事はもうないだろう」

「そうですね。むしろ、格好良く見えて、自慢の父親と思ってくれるかもしれません」

「そうか? ふふふ、そうだと良いな……」


 ティルラちゃんがそう考える事を想像したのか、口元を緩ませて笑うエッケンハルトさん。

 娘に慕われて嬉しくない父親はいないというが……エッケンハルトさんも例に漏れず、という事なんだろうな。


「さて、取り乱したが……そろそろリーザを連れて行かねばならんな」

「そうですね。楽しそうに遊んでいますが……ここに置いていられないのなら、仕方ありません」

「……申し訳ございません」

「なに、気にするな。孤児が多く、施設が十分でないのなら仕方のない事だ。いずれ、何か対策を練る事にする」

「はい。よろしくお願い致します」


 立ち直ったエッケンハルトさんが立ちあがり、リーザやレオ、子供達がはしゃいでいる方を見ながら呟く。

 楽しそうにしている所を引き離すのは、少し気が引けるが……屋敷には年の近いティルラちゃんもいるからな。

 周りは大人達が多いが……俺やレオがしっかり様子を見ていれば、寂しがることも少ないだろうと思う。

 孤児院に対して、何とかする事を約束したエッケンハルトさんと、頭を下げるアンナさんの二人を見ながら、レオに声をかけて呼ぶ事にした。


「おーいレオ、リーザ。そろそろお暇するぞー」

「ワフ? ワフワフ」

「きゃあ! あははは!」


 レオに声をかけると、顔をこちらに向け首を傾げるようにした後、俺の言葉を理解したレオが、リーザだけを、襟元を咥えてこちらに連れて来た。

 最初は驚いたリーザだが、もうレオに慣れたのか、楽しそうに笑顔で笑い声を上げてる。

 子供が無邪気に喜んでる姿は、嬉しいもんだ。

 ……少し……というより大分……巨大な狼が小さな少女を咥えてる……という姿はショッキングにも見えるが……。


「ワフ、ワフ」

「よしよし、ありがとうなレオ。子供達と遊んで楽しかったか?」

「ワフ!」


 こちらへ来たレオが、俺の隣にリーザを降ろすと、頬を甘えるように俺にこすりつけて来た。

 体全体でレオの頬を受け止めつつ、褒めながら頭をガシガシと撫でてやった。

 俺の言葉に頷くレオは、嬉しそうに頷く。


「さて、リーザ。ここの子供達と一旦お別れしようか。大丈夫、また遊びに来れば良いからね?」

「……はい……わかりました。……皆、ありがとう……楽しかった……」

「「「またねー!」」」


 俺の横に来たリーザに向かって、視線を合わせつつ、子供達とお別れするように言い聞かせる。

 寂しそうにしながら頷いたリーザは、俺の言葉に従って、子供達に向かって感謝を伝えた。

 これまでそういう事が無かったようだから、寂しいのは仕方ないだろうなぁ。


「大丈夫、またここに来るから。それに、これから行く所もリーザに近い女の子がいるから、きっと友達になれるよ?」

「……ほんとう……ですか? 私、またあそこに戻らなくても良いんですか?」

「うん。リーザがイジメられるようなところには戻さないよ。大丈夫優しい人達ばかりだから。誰もリーザをイジメたりはしないよ」

「……はい……う……うぅ……」

「大丈夫、大丈夫だよ……」


 ひと時、子供達と遊んで楽しかった事や、もしかしたらまたあの場所へ戻らなければいけないと、リーザは考えてしまっていたのかもしれない。

 それらが重なって、戻らなくてもいい……もうイジメられないんだと理解したのだろう……リーザはポロポロと涙をこぼして泣き始めた。

 声を大きく出したりはしないが、その涙は、今まで我慢して来た物が全て流れて行くように感じた。

 安心させるように、小さい少女が持つには重すぎる物が無くなるように、優しく抱きしめて、ゆっくりと頭を撫でてやった。



「……では、行こうか、タクミ殿」

「はい。リーザ、行こう?」

「……ぐしゅ……ん……はい!」


 しばらくして、いつの間にかまた布を巻いて、顔を隠したエッケンハルトさんから声をかけられ、抱きしめていたリーザを離し、立ち上がる。

 多分、布を巻いたのはこれからまた街を歩くためと、リーザに怖がられないためなんだろうな。

 リーザと手を繋ぐように、手を差し出しながら声をかけると、鼻水をすすり、涙を拭って笑顔で俺と手を繋いでくれた。

 この子が、また同じように泣いてしまわないよう、しっかり見ておかないとな。



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