第238話 アンネさんから思いもよらぬ申し出がありました



 帰りながら、ちょっと不憫に思えて来たエッケンハルトさんにブドウジュースをご馳走……という事で思い出した。

 考えてみれば、ワインを煮詰めただけでジュースになるのは、ちょっと不思議な話だ。

 俺は詳しくないから、簡単に考えてブドウジュースと言っていたが……まぁ、元々甘さが強いワインだったから、ジュースとしても違和感がないのかもしれないな。


 もしかすると、この世界特有のブドウの品種だったり、ヘレーナさんが処理をする時、飲みやすくするため何か工夫をしている可能性もあるからな。

 とりあえず今は、ランジ村のワインを沸騰させて、アルコールを飛ばすとジュースになる……という事で納得しておこうと考えた。

 ラモギやロエのように、似ていても凄い効果を発揮する物……という例もあるしな。


「ぬわぁぁぁぁぁ!」

「ワフ! ワフ!」

「レオ様、はしゃいでいますね」

「……そうですね」


 そんな事を考えていた、馬車での帰り道……エッケンハルトさんを乗せたレオは、振り落とさない程度に道を爆走。

 馬車を追い越して先に行ったり、戻って来たりを繰り返している。

 レオにしがみ付いて、なんとか振り落とされないようにしながら、悲鳴にも聞こえる叫びを上げているエッケンハルトさん。

 そんな様子を、馬車の窓から見ていたクレアさんは。レオの事を微笑ましく見ている。


 叫び声を上げても、心配されない父親……ちょっと不憫だ。

 ……怖いから、俺はクレアさんを怒らせたりする事が無いように気を付けよう。

 敵に回したら怖いセバスチャンさんとは、また違った意味で怖いからな。


「それにしても、本当にシルバーフェンリルが、人の言う事を聞いていますのね?」

「レオ様は優しいのよ」


 馬車の中、アンネさんが興味深そうに走るレオを、窓から見ながら呟く。

 ……まぁ、レオは元々マルチーズで賢かったからなぁ……シルバーフェンリルではなかったから、人の言う事を聞くし、俺の言う事を特に理解してくれる。


「そして、そのシルバーフェンリルを従える人間、ですのね?」

「そうよ。アンネなら知っているでしょう? 公爵家がこの国でも、特にシルバーフェンリルを敬っている事を」

「ええ、もちろんですわ。国の歴史にも登場するシルバーフェンリルですもの。公爵家以外でも、貴族なら知っていて当然ですわ。……タクミさん、と仰ったかしら?」

「はい」


 レオ……シルバーフェンリルの事を話していたアンネさんが、外を見るのを止め、俺の方へ視線を向けて来る。

 そう言えば、こうして直接話すのは初めてか……昨日の客間では、クレアさんが怒ってすぐにレオをけしかけたからな……離す暇が無かった。

 というより、アンネさんは俺の事を、使用人か何かだと考えていた節がある。

 まぁ、確かに貴族ではないから、伯爵令嬢からすると、俺なんて特に気にする必要のない、取るに足らない路傍の石のようなものかもしれない……と思うのは、自分を卑下し過ぎかな?


「貴方が、シルバーフェンリルの主人ですのね?」

「……主人というか……相棒ですね。俺はレオを従えてるとは考えていません。対等の関係だと思っていますから」

「そうなのね……シルバーフェンリルを対等……面白そうね……」

「アンネ?」


 俺の返答を聞いたアンネさんは、何かを考え込むように俯く。

 何か最後に呟いたような気がするけど、さすがにもう感覚強化の薬草の効果が切れているため、よく聞こえない。


 ちなみに、馬車の中は広く、3人で乗っていても触れたりする事は無く、快適だ。

 座る椅子は二つあり、片方にクレアさんとアンネさん。

 逆側に俺、という形だ。

 椅子の間の両側に扉があり、どちらかから出入りし、その扉を挟むように小さな窓が、計4つある。

 外も見えるし、窓を開ければ風が入って来るから、息苦しくなる事もない。


「そうね……シルバーフェンリルを連れているのなら、良いかもしれないわね。顔も……まぁ、及第点ってところかしら?」

「……どうしたの、アンネ? また何か変な事でも……」


 俯いたまま、誰にも聞こえないような小さな声で、何やらぶつぶつ言っているアンネさん。

 その様子に、クレアさんが訝し気に聞いているが、それには反応しない。

 確か……今回の件を考えて、思いついたのがアンネさんだったか……何か嫌な予感がするな。


「タクミさん、貴方……すでに結婚をしているとか、そういう事はありませんわよね?」

「え? えぇ、まぁ……」

「何を聞いているの、アンネ?」


 俺が結婚しているかを聞いて来たアンネさん。

 生まれてこの方、結婚という言葉とは無縁だったからなぁ……時折、女性をどう扱って良いかわからない時もあるくらいだし……。

 俺には今までレオがいたからな、それで寂しくなんてなかったんだ……なかったんだ!

 そういえば、レオに早く番いを……とか言われてたっけか……ふと、そんな事を思い出した。


「貴方、私の婿になりなさい。そして、一緒に伯爵家を盛り立てて行くのです!」

「は?」

「アアアア、アンネ!? 急に何を言い出しているの!?」

「何をそんなに驚いていますの、クレアさん? 女なら、良い男がいれば婿に取りたいと思うもの、そうでしょう?」


 何やら突然、アンネさんが婿になれとのたまった。

 直接話したのは今が初めてなのに、急にどうしたんだろう?

 求婚されるのはもちろん初めてで、どう反応して良いのかわからない。

 取り乱してる様子のクレアさんだが、俺も十分に頭の中が取り乱してる。

 ……という事を考える事で、なんとか脳内の平静を保っているんだ、多分。


「シルバーフェンリルを従えている、この事だけで価値がありますわ。きっと、伯爵家のために働いてくれるでしょう!」

「そそそ、そんな……タクミさんが伯爵家に……なんて……」

「いえ、その……俺は……」

「まさかとは、と思いますけれど……断る、なんて事は致しませんわよね? 次期伯爵家当主からのお誘いですわよ?」

「えーと……」


 ぐいぐい来るな、このアンネさんは……。

 アンネさんは、確かに美人だし、話を聞く限りでは頭も悪くなさそうだ。

 クレアさんと比べると……一部物足りない胸部があるが……それを差し引いても余りある魅力が……とは、さすがに俺でも考えていない。

 美人な事は美人なんだが……残念な雰囲気が漂うような……いや、確かに街を歩けば、すれ違う男が全員振り返るような容姿ではあるんだけどな?

 でも、話したのは今が初めてだし……こんな事を突然決めるのはどうかと思うし……。

 ……俺もやっぱり、十分に混乱してるな、これ。



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