第237話 飲んだワインには仕掛けがありました



 ウードの様子を想像したのか、楽しそうに笑うエッケンハルトさん。

 本人がランジ村に仕掛けて、ワインで病を広めたわけじゃないが、それを知って助けようとするわけでもなく、伯爵の命を受けて利用し、利益を得ていたからな。

 そんなウードが、焦っていた様子は、領主であるエッケンハルトさんにとっては、確かに愉快な事なのかもしれない。


「ですがタクミさん?」

「はい?」


 エッケンハルトさんが豪快に笑う様子を眺めていると、心配そうな顔をしたクレアさんにも声をかけられた。


「打ち合わせでは、タクミさんもワインを飲む手筈でしたが、大丈夫だったのですか?」

「あぁ、それなら大丈夫ですよ」


 クレアさんが心配しているのは、俺が間違って病に感染しているワインを飲んだら……という事だろう。


「ちゃんと、俺とセバスチャンさんが飲んだ物は、事前に煮詰めて飲んでも大丈夫な物でしたよ」

「そうですか……それなら良かったです」


 ホッとした様子を見せるクレアさん。

 俺やセバスチャンさんが、手違いでウードの方に飲ませるワインを飲んだら……と考えて心配していたらしい。

 まぁ、もしそんな事になっても、ラモギを作って治せば良いから、あまり問題にはならないんだけど、俺やセバスチャンさんが病に罹らないかと、心配してくれたんだろう。

 優しい人だ。


「ですが、驚きましたな。まさか直前になってあのような手を思いつくとは……」

「ははは。あぁした方が、説得力があるでしょう? 人に勧めるなら、まず自分から……ですよ」


 そう、俺とセバスチャンさんがウードに対し、ワインを勧めた時、俺達が飲んだのはヘレーナさんに頼んでジュースにしてもらった物……つまり、何も問題のないワイン……ではなく、ブドウジュースだ。

 アルコールの味も無くなり、甘さが際立つ美味しい飲み物として、たっぷり飲ませてもらった。

 もちろん、ウードに飲ませようとしたのは、ランジ村から持って来た、何も処理をしていないワインだけどな。

 だからあの時、セバスチャンさんが取りだした瓶は2本で、飲んでも大丈夫な方を確認し、俺が自分達用のグラスに注いだんだ。


「タクミ殿は、ああいう場面に慣れているのか?」

「いえ、そんな事はありませんよ? ですが、近い経験はした事があるので。人に何かを勧める時、自分でそれを試している、もしくは試してみせると、説得力が高まります」


 営業とかで、何かの商品を紹介する時、自分で経験した事での利点を話すと、相手に伝わりやすい。

 ……そうしなくても、上手く相手に伝えて、契約を獲得する人もいるけどな。


「ウードは、1滴のワインを舐める程度でしたが……その反応で十分証拠となり得るでしょう。酒好きなのに、旦那様から勧められたワインを飲まない……というのは、誰から見てもおかしく思われます」

「そうだな。私はあまり気にしないが……貴族から勧められた物を受け取らない、というのは、気にする者は気にするからな」


 俺には貴族のしきたりや、マナーなんかはよくわからないが、会社での飲み会を思い出すと、そういうものなのだろうと納得できた。

 上司や会社の重役、取引先の役員とかからお酒を勧められると、嫌いな銘柄のお酒であっても飲まないと決まずい。

 もしかしたら、世の中には断っても気にしない人はいるのかもしれないが、場の雰囲気としても、飲まないといけない……という空気になるからな……あれは苦しかった。


「どうしたのですか、タクミさん?」

「いえ……ちょっと昔を思い出したもので……。大した事じゃないので、大丈夫ですよ」

「……そうですか」


 飲み会で、勧められたお酒を飲むだけ飲んで、トイレに駆け込んで戻ったらまた……というループを繰り返した苦い思い出が浮かんだ事で、顔をしかめてしまっていたらしい。

 心配そうに尋ねて来るクレアさんに、何でもないと誤魔化し、表情を崩して笑う。

 ……今はもう、そんな事はないんだ……こっちで楽しく過ごしてるんだから、昔を思い出して心配をかけちゃいけないな。


「ウードと言ったか、あ奴の方は大丈夫なのか? ワインを飲んだようだが」

「ウードは1滴程、舐める程度でしたので病に罹る事はないでしょう。もし病になったとしても……」

「因果応報……だな」

「そうですな。……もしもの時は、ラモギもあります」


 ウードはワインを舐める程度だった。

 あれだけで病になるとは考えにくいが、もし病になっても、ラモギがあれば治す事はできる。

 一番心配なのは、ウードが病に罹って、近くにいる衛兵さん達にうつらないかだけだが……その時はセバスチャンさんと一緒に謝りながら、ラモギを渡そうと思う。

 そんな事を話しながら、俺達はラクトス西門へと向かった。



「公爵様、この度はありがとうございました」

「うむ。まぁ、今回の事はそなた達では、対処できない事だっただろうからな」


 街の入り口まで戻った時、来た時と同じように、衛兵さん達が並んでエッケンハルトさんを迎えた。

 その中から、代表者が進み出て、エッケンハルトさんへ頭を下げる。

 わざわざ公爵家の当主様が、ここまで来て解決した……という事になるからだろう。


「では……馬車へ……」

「お父様は、こちらです」

「……え?」

「ワフ、ワフワフ」


 用意してあった馬車に、乗り込もうとしたエッケンハルトさんを引っ張って、クレアさんが示したのはレオ。

 それを受けて、レオは何かをやる気になって鼻息を荒くしている。

 ……もしかして、エッケンハルトさんへの罰……みたいなものかな?


「いや……レオ様はタクミ殿が乗るだろう? だから私は……」

「タクミ様は私達と一緒に、馬車へ乗ります。お父様はこちらです……良いですね?」

「……はい」


 娘に弱い父親再び。

 まだ怒りが収まらない様子のクレアさんが、エッケンハルトさんを言ってレオの所へ連れて行く。


「レオ様、お願いしますね?」

「ワフ!」


 クレアさんの言葉に力強く頷いたレオ。

 随分と乗り気だな……。


「……レオ、程々にな?」

「ワフゥ」


 クレアさんが怖いので、レオの方手加減するように言ったが、少し気の抜けた返事だ。

 レオもクレアさんと同じく、エッケンハルトさんに対してまだ怒っているのか……。

 鍛錬のため……という事で、俺を危険に晒した事を怒ってくれるのは嬉しいんだがなぁ……段々エッケンハルトさんがかわいそうに思えて来た。

 ……屋敷に帰ったら、ヘレーナさんに頼んで、たっぷりと美味しいブドウジュースをご馳走しよう、うん。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る