ドグマリア

紅林みお

雨闇夜(あまやみよ)


 どうしたんですか? そんなところで一人でいるなんて。

 雨が降っていますよ。傘を持っていないのですか?


  どうやら持っていないようですね。

 ではこちらの赤い傘をお使いください。

 ここはいつでも雨なんですから、傘を忘れてはいけませんよ。では、道中お気を付けて。


 え、どこに行けばいいかわからない、ですって?

 貴方、もしかして、初めてここに来られました?

 うん、なるほど。だからそんなに、きょろきょろしていたんですね。

 危ないですよ。そんな動きをここでしていると。


 ここ?

 ここは、暗闇坂というところです。

 まさか知らないで来られたんですか。まあ、そういう方もたまにいますね。

 迷い込んでしまったというか、興味本位でここを見つけたといいますか……。


 とにかく貴方は、ここが暗闇坂と知らないで来てしまった。

 それは恐ろしく危険な行為です。

 うかうかしていると、狂って死んでしまいますよ。


 ぜひ店の中に入って、私の話をお聞きください。

  天井の電球に気を付けて、そこの縁側で待っていてください。すぐにお茶を出しますから。

 今日は見たところ、まだ人通りも多くないようで、店もお茶をひいているところが多いようですね。

 いつもより暗闇も濃くありません。あの提灯をご覧になってください。


 え? 提灯が見えない?

 想像してください。ここは暗闇坂ですよ?

 真っ暗な坂にたくさんの店と提灯が並んでいるんです。いつも雨が降っていて、建物は黒い涙を流しています。

 その雨のなかに、赤い提灯がいくつもいくつも見えてくるはずです。

 何でもいいですよ。ひとつ、提灯を見つめてください。その中にある灯火を、息を止めて静かに見てください。


 あの光が赤く見えるほど、暗闇が濃いという意味です。

 わけがわからないという顔をしていますね。

 さあ、お茶ができましたよ。

 線香あるいは花のような香りでしょう?

 そこの丸い窓から見える屋台で売っているお茶です。

 代金?

 面白いですね、それを私に聞きます?

 大丈夫ですよ。今回は特別サービスなので、無料です。

 

 私はそろそろ支度をしますね。

 ドレスにも着替えて、朝食をとります。

 ほら、見てくださいよ。美味しそうでしょう?

 この肉の煮物は絶品なんです。

 これを食べなければ、仕事に精が出ませんから。

 

 変なにおい?

 すいません、もう私はずっとここにいるので鼻がおかしくなって、わからなくなってしまいました。

 ここには屋台の食べ物や煙草の香り、排水溝、腐った肉、動物の排泄物、男女、死体。

 本当にいろんなにおいが混じっていますから。

 はは、帰りたくなったでしょう?

 でも貴方はまた絶対ここに来ますよ。

 なぜ?

 私の話を聞けばわかるでしょう。

 さっさと話せと思っていますね。

 私も一言で話せるものなら話してしまいたいのですが……。

 さて、何から話していいのやら……なんせ貴方は何も知りませんからね。

 ちょっと煙草を失礼しますね。

 ああ、美味しいです。生き返りました。 

 

 この暗闇坂は、

 簡単に消えるし、かと思ったら全く違った場所に突然現れるのですよ。

 この街は、常に移動しているんです。

 だから、地図上には存在しません。

 この場所を知るためには人に聞くか、たまに開かれている暗闇坂への入口に、あなたが偶然入り込むか。それだけです。

 こうしている間にも、この街は少しずつ動いています。

 人間が地球の自転に気がつかないのと同じだと思ってください。

 ここにきて少ししか時間は経っていませんが、あなたは、私達と時空をともにすることで、確実に暗闇坂側の人間になっていっていますね。

 あなたはなぜここに来たのか、聞くのはやめておきましょう。

 暗闇坂に来る方は、誰でも特殊な事情を持っていますから。私も含めて。


 来たときはそういうつもりではなくても、もう歯車は回り始めています。

 あ、風鈴が鳴った。

 どうやら、お客様が来たみたいです。

 そろそろ私の姿がうっすらと見えてきたのではありませんか?


 赤い袖からのびた手首、爪、はだけた胸、その上にある鳥肌のたった首、黒く塗った歯


 ええ、見てのとおり売女ですよ。

 もうすぐあちらのお客様に自分を売ってきます。

 あはは、心配しないでください。ちゃんとそれなりにお金はもらえますから。

 まあ、「私」がここに返ってくる保障はありませんが。

 どういう意味かって?

 いろんな意味でですよ。そのままの「私」がここに返ってくることはないでしょう。

 自分を売るって、そういうことですから。

 あの灰色のテントの中の椅子に腰かけているのがお客様です。

 懐中電灯で照らしてみましょう。

 うん、なるほど。

 手、足、耳、鼻、目。見た感じ全て揃っているのできっと初めての方でしょうね。どこも欠けていません。

 そんな怪訝とした表情をしないでください。

 私の話を聞いていれば、意味がそのうちわかりますよ。

 私がいつからここにいたかなんて、聞かないでくださいね。

 私の値段が下がりかねないので。

 この店に来るお客様も、そこにいる私も、普通じゃないんですよ。


 はい。これが私の名刺です。

 え? 名前が読めない?

 暗闇が濃すぎるのかもしれませんね。だって、まだあなたは

 私の顔が見えないでしょう? 

 私がどんな表情をしているか、わからないでしょう?

 

 不安でしょうね。

 暗闇坂は、売ったものの代償の大きさに応じて、ちゃんとお金をもらうことができる場所なんです。

 だから、みんなここに来るんですよ。


 そろそろ提灯の赤が強くなってきましたね。

 闇が濃くなってきたみたいです。血や獣のにおいもたちこめてきました。人だか何かわからない、たくさんの視線も感じます。

 私は、そろそろ行かなければなりません。


 貴方は暗闇坂で売りますか? 買いますか?

 え、何もしないで見ていたい?


 わかりました。では、私と一緒にいきましょう。

 雨も強くなりましたね。


 暗いので足元に気を付けて。さあ傘を持って。

 絶対に振り返ってはいけませんよ。


 もう私たちは、過去には戻れません。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る