田中康平の視点

 ……。

 目を開くと、全く知らない世界にいた。というか、俺は確か、ボクシングジムで練習をしていたはず。今度の試験でも王座を防衛して、史上最長を目指すんだ。なのに、ここは……?

 古ぼけた駅の中に、田中康平はいた。手にグローブ、トレーニングウェアにボクシングシューズ。口元でカチャカチャ音を立てるマウスピースなど、どれも先程と何も変わっていない。なのに、自分のいる場所だけが変わった。…変わってしまった。

「おーい、」

 たまらず、ガランとした駅に向かって声を張る。「誰かいないかー?」

 無言が返事をする。どうやらここには誰もいないらしい。しまった。ポケベルは鞄の中だ。ジムに忘れてきた。これじゃ、母さんからの連絡も届かない。

 俺は一つため息をつくと、マウスピースとグローブを外して、駅の中を彷徨いた。酔っ払ってここまで来たのだろうか?いや、俺は酒が飲めないじゃないか。酔う前に吐いてしまう。それに、大会前の酒は厳禁だ。俺がそんな馬鹿馬鹿しいことをするはずがない。

 俺は、自分がまだ自衛隊員だった頃を思い出す。あの頃はまだ、酒には強かったはずだ。それでも自衛隊を辞め、酒に弱くなってしまったのにはやはり、あの事件が関わってるってのか?

 二年前か。あれのせいで、俺はもう二度と銃器を握れない。

 観念して、俺は大声を上げた。

「すみませーん、ここ、何処だか分かりませんかー?」

 俺の声は誰かに伝わることもなく雑草に紛れて土に埋もれていった。途方に暮れて、俺は駅の名前から場所を調べられないかと、駅名を読み上げる。

「木ノ木駅……? 聞いたことないな」

 俺は訝しげに顔をしかめて、それから、まぁ、人を見つけなければ話にならないな。と思って、駅を出ることにした。

 それにしても、どういった経緯でこんなところに来てしまったのか。試合までは二週間ほど間があるし、それまでにジムに戻れないということも無いだろうし。公衆電話を使うと言っても、鐘は持っていないし…いや、公衆電話から110番しようか。110番なら、今の場所くらい分かるはずだ。何せ、気がついたら見知らぬ場所に一人ぼっちだ。事件性も可能性で言えば十分にあるだろう。

 俺は公衆電話の赤ボタンを力強く押し込む。電子音が鳴ったのを確認してから、1、1、0…と入力していく。数度のコール音の後、女性の声が聞こえた。

『はい高山警察です』

「ああ、すみません、なんか、連れ去り…ですかね、気がついたら全然知らない場所に居て」

『………もしかして、田中康平様ですか?』

 …………え。

「は、はい……」

『ああ、そうですか。それは良かった。二週間前にあなたの捜索願が出されていまして。現在地が分からないということでよろしいですか』

「ちょちょ、待ってください、二週間前? え、ホントですか」

『はい。二週間前に捜索願が出され、昨日捜索が打ち切られました。そうですね、現在いる場所が分からないのですか。わかりました。NTTに協力のほう問い合わせますので少々お待ちください』

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