第8話 清算
「随分と……形になってきましたね」
およそひと月掛けて作った、グラウンド一面に広がる菜園を見下ろして、校舎の二階から透が声をかけた。
透は、病気のせいか眠りが深く、昼前まで寝ている。時間帯からして、寝起きなのだろう。
私は、透を見上げて顔色が良好だと判断すると、昼食の準備を頼む。
「腐葉土の運搬も、あと三往復くらいで終わるかな」
菜園にはまだ何も植えられていないが、膝ほどの高さまで積み上げられたレンガに囲われている様子を見るだけでも、一目で何らかの植物を育てる場所だとわかる程度には形を成してきている。
「しかし、あとは水の確保か…」
飲用水ではないのだから、いくつかの方法が考えられる。
一つは、屋上に設置したビニールシートを利用した雨水を貯める装置から直接畑に撒けるようにすること。
もう一つは、近場の川から自然流下を利用してグラウンドまで水を引く方法だ。
雨水は現在、身体を洗ったり掃除や食器洗いなどに使用しているが、いざとなったら煮沸して飲用水にする予定なので、ただでさえ不安定なリソースを菜園にまで割きたくはない。
(と、なると、川から直接水を引くしかないか)
そうなってくると、かなりの重労働になる。
しかし、後々、濾過できる技術を獲得できるのであれば飲料水の問題もこれで解決する。
とはいえ、圧倒的に人手不足なのが依然として課題でもある。
「透に肉体労働させるわけにもいかないしね…」
透は手伝いをしたがるが、私はそれを断っている。
彼女にはなるべく身体に負担のかからない仕事をお願いしているのだが、それすらも私としては本当はさせたくないのだ。
「でも、意外と透は頑固だし…」
したいようにさせておくのが一番なのかもしれない、と私は自身を無理やり納得させ、再び腐葉土を敷き詰める作業に戻る。
「あの……一つ、お願いがあるんですけど」
土鍋で炊いた米の上にレトルトカレーを乗せた、こんな環境にしては豪勢な食事に舌鼓を打っていると、透が私に申し訳なさそうな顔で言った。
「最初に、ナナさんと出会った時、私、気を失ってましたよね?あれも私の病状の一つなんですけど、急に意識が飛ぶことがあるんです。それを抑える薬があるのですが、一緒に取りに行ってもらってもよろしいですか?」
「……いや、透はここに残ってて」
私は少し逡巡した。
透を連れて病院へ行くリスクも勿論あるが、何より、初めて出会った時のことを思い出していた。
あの時、透は安楽死を強要されたと言っていた。
その最中に、透は病院から逃げ出して、ノアの箱舟が出港するのを、息を潜めて隠れ待っていたのだという。
(なら、あの時、カナエと共に訪れた時に見たエントランスの夥しい血はなんだ?)
恐らく、カナエは大桐病院で起きた顛末を知らない。
だが、私は、顛末は知らなくとも、リノリウムの床に落ちて乾いた血の跡を見てしまっている。
最悪の可能性をするのなら。
(安楽死を拒否した患者を、全員、殺してしまったのかもしれない)
そうなれば、不自然に二重に閉じられた正面口の謎も、なんとなく理由がつく。
だが、長年入院していたという透には、当然、大桐病院に顔見知りや知人がいただろう。
もし私の想像が事実だとすれば、透にそんな酷な現実を突きつける訳にはいかない。
私の言葉に、透は不満そうな表情を浮かべた。
「そんなに気を使わなくても、少し動く位なら、平気ですよ」
「ああ、いや、そうじゃないんだ。透には頼みたい仕事があって」
「仕事?」
「この学校の図書館の本から、用水路の作り方とか書いてありそうな本を探して欲しい。できれば、機械のなかった時代の人々がどんな風にして作業していたのか、とか、そういうのがわかるやつ」
透は、窓の外からグラウンドを一瞥すると、渋々頷いた。
「じゃあ、その薬の名前とか特徴を教えてもらえるかな」
「分かりました。では、メモにして渡しますね」
「カプラルコール……ね」
小さな字で書かれたメモを広げて、車を降りると、やはり、あの時のまま、正面口のガラス戸が破られた状態で大桐病院は放置されていた。
持ってきた懐中電灯を照らして、ガラスの破片に気をつけながら院内に入り込むと、やはり血痕もそのままであった。
「……まずは、薬の確保から、だね」
どうせなら、薬局にはなさそうなものを持っていこうと私は考えていた。
案内板を見て、透に教えられた薬品庫へと向かう。
薄暗い病院の廊下は、エントランスほど荒れてはいないものの、やはりどこか薄気味の悪い雰囲気が漂っている。
予めナースセンターから持ち込んだ鍵で薬品庫を開けると、鉄製のラックに所狭しと薬が並んでいる。
「……これ、かな?」
学の無い私にとって訳の分からない文字列の後に「カプラルコール」と書かれた錠剤の束を見つけると、私はそれを箱ごと、あるだけカバンに詰め込むと、もう少し探索することにした。
(綺麗なシーツとか、あとは……何かあった時のために麻酔とかも欲しいな)
素人が使うのは危険なので、本当に最終手段ではあるが、大怪我した時に必要になるだろう麻酔を入手することに決めると、取り敢えず置いてありそうな外科病棟の手術室へと向かう。
「……麻酔薬って、注射するものなんだ」
今まで幸運なことに麻酔に世話になることがなかったので、意外な事実に私は驚きつつ、取り敢えず必要になりそうな分だけをカバンに入れる。
その足で手術室を出ると、ふと、仙元高校より高い建物である大桐総合病院の屋上から街を眺めたくなり、なんとなく、足が上階へと向かった。
普段から開放されているのか、物干し台や観葉植物が置かれている屋上から眼下を望むと、街が一望できる。
「……双眼鏡とか、持って来ればよかったかな」
裸眼で確認できる中で、やはり街中で車は走ってないことがわかった。
やはり、もうこの街に私と透以外は存在していないのかもしれない。
カナエや透と出逢って、私は人と生きることに前向きになったのか、誰もいないことに落胆した。
「……最後に、アレを確認しなきゃね」
エントランスから続く、血の跡。
それを辿っていけば、何が起こったのか、分かるような気がしたのだ。
それを知ってどうするのか。
私自身、そう問いかけたが、気になるものはしょうがない。
一度エントランスに戻り、血を辿っていくと、地下のリネン室へと続いていた。
「……」
生唾を飲んで、思い扉を開く。
そこには、血が滲み、変色した、何かを包んだシーツが十数個、転がっている。
「これ……全部、か」
シーツの隙間から蛆が集っているのを見ると、それがなんであるかを理解するのは容易い。
「やっぱり、透は連れてこなくて正解だった」
リネン室がこのような状態なら、綺麗なシーツの入手は、ここでは難しいだろう。
私は、足早に車へと戻ると、学校へと戻ることにした。
だが、戻る途上で、
私は、ふと気づいてしまった。
病院から程近い位置にあるコンビニ。
私がまだ、訪れていないはずのコンビニのガラスが割られていることに。
「………まだ、この街には、誰かいるのか」
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