第5話 序 5

 父も母も、私は大好きだった。

 二人とも世界で一番大切な人達に違いなかった。

 だけど、二人にとって、私は一番ではなかった。


「……悪ぃ。こんなこと、当たり前だけど、言いたくないならさ」

 私は、どんな顔をしているのだろう。

 彼女が戸惑うほど、深刻な顔をしているのだろうか。

 だとしたら、それは杞憂だ。

 もう、諦めたし、忘れた過去だ。

 今更身の上話をしたところで、私には何の感慨も湧かない。

 だけど、何故だろう。

 カナエには知っていってほしかった。そういう、感情はあった。

「ううん。聞いてほしいな」

 私の言葉にカナエは無言で頷いた。

 相変わらず、彼女は私に抱きしめられている格好だが、それでも、どこか私の方が彼女に甘えているような気持ちにさせられた。

 生い立ちは違えど、境遇は違えど。

 陥った現状は同じだからなのか、私は彼女を頼ってしまっているのかもしれない。


「私が8歳の時に、二人は離婚したんだ。父親が、不倫相手と結婚するために、離婚した。そこから、父親がどうなったのか、しらない。だけど、別れ際に、私のことを愛していると言ってくれたし、何か困ったことがあったら力になるとも言ってくれた。当時の私は、そんな言葉を無邪気に信じていた」

 そこからは、母との二人暮らしが始まったが、それも長くは続かなかった。

「一年後、母は、私を置いて出ていった。好きな人がいる、って。だから、私がいると母の邪魔になってしまうから、私は、大丈夫だよ、一人でも大丈夫だよって、言っちゃった」

 本当は、母に良く思われたかっただけだった。

 本当は、一人なんて耐えられなかった。

「でも、母は、私の言葉を信じて、本当に出ていった。でも、再婚相手を説得できたら、迎えに来るっていったんだ。私はそれを信じた。1ヶ月待った、3ヶ月待った。そして、半年待った。母が迎えに来ないから、私はこっそり、母が暮らす家まで見に行った」

 そこで見たものは、私のあるべき場所だった。

「母が、再婚相手の連れ子の誕生日を祝っていた。私の大好きな、母の唐揚げも、手作りのマフラーも、全てその子の為のものだった。母さん、私の大好きなものだよ。それは、その子じゃなくて、私のものだよ。そこは、私が居たい場所だよ。そう、叫びたかった」

 でも、言えなかったんだ。

「待っている半年間、母の帰ってくるのを信じて、私はゴミを漁ってその日を食いつないでいた。だから、身体は薄汚れていて、それもあってかな、拒絶されることが怖かった。母が幸せなら、父が幸せなら。例え私が忘れられても、満足だって。だから、私はもう、この世界の役目を終えたんだと思った。かつて両親と暮らしていた家に戻って、私は食べることも飲むこともしないで朽ちていった」

 だけど、何もしないで死ぬことを、世界は許してはくれなかった。

「母が提出した、小学校の転出届。転校先の学校に、転入届けが出されてないこととか、市役所に出すはずの書類の不備とかで、私の家に警察が来て、私は保護された。そして、母は、育児放棄とか虐待とか、あんまり覚えてないけど、そんな罪状で逮捕された。その時、私は母に、地方裁判所で久しぶりに面と向かった時に言われたんだ。って。って。その時、私はようやく理解したんだよ」


「選ばれない私は。きっと、何をしていても、誰と過ごしても、結果はマイナスにしかならない。誰を想ってもいけない。誰を信じてもいけない。ただ、私は、無為に人生を過ごすことしか許されていないって」


 口の中が、カラカラだった。こんなに喋ったのは久しぶりだった。

 だけど、何でだろう。

「辛かったんだな……。アタシも、アンタも。この世界に少しだけ早く生まれてきただけの奴らに、良いように扱われて、捨てられて、そして、このザマだ」

「……カナエ?」

「ったく、泣くなよ。これからは、アタシが付いている」

「泣いてるの……?私」

「鏡見ろよ。すげー泣いてる。一つだけ、お前にいいこと教えてやるよ。この世に生まれるのには、確かに母親と父親が必要だ。だけどな、この世界に生きていくのには、その二人は必要ねぇ。一人だって生きていける。楽しく愉快に生きるにも、両親なんざ居なくたって、親友一人いれば、事足りる」

「カナエは強いね」

「馬鹿。お前の方が私の数倍強いよ。どうせ、この星とともに死ぬ運命なんだ。なら、アタシは楽しく愉快に生きていきたい。そのために必要な人間に、ナナはなって欲しい」

「……私も、カナエなら、親友になれると思う」

 心の中で、何かが欠けている。

 そんなことを、私はずっと感じ続けていた。

 例えば、周囲の誰もが笑うようなアクシデントも、泣いてしまうような映画も、憤慨してしまうようなニュースも。

 全て冷めた目で見てしまうのは、その何かが欠けているのだと思っていた。

 その欠けを埋めようとも思わなかったし、ただ受け入れていた。

 だが、私はカナエに出会って、心情を吐露して。

 心の何かが埋まっていくような感覚を覚えた。そして、それは何処かくすぐったい感覚で、思わず私は目を細めた。

「ナナ。生き延びようぜ。アタシらを見捨てた連中が、羨むような、楽しくて愉快な人生を謳歌しよう」

「……うん」


 甘美な感情。

 私は彼女に心を委ねることが、こんなにも心地よいものなのかと、思わず笑みを浮かべていた。

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