第4話 序 4


 3

 2年前。

 既に形骸化されて久しいと思われていた国際連盟の偉い人が、全世界で同時に放送した記者発表、即ち、ヒューマンレポート計画の実施を表明した時、欧米人の彼は、今の世界をこう表現した。

「希望なき星」。

 彼は全世界を鼓舞するための比喩表現のつもりで言ったのだろう。

 だが、彼は、何一つとして、そこに残される人々の気持ちを汲み取ってはいなかった。

 この事実こそが、世間一般の残留組に対する気持ちを表す、最も分かりやすいエピソードであろう。


「なんていうかさ。結局、耳障りの良い言葉ばかり並べ立てて、残されるアタシたちは、悲劇の物語の登場人物みてーな扱いってのは、なーんか腹立つな」

 あれから、1週間が経過していた。

 結局のところ、私達はあれから会うこともなく、それぞれ今後の身の振り方を考えるために、敢えて会わずにいた。

 街の住民は、目に見えて、少なくなっていた。


 ヒューマンレポート計画よりも半世紀近く前。まだ人類が地球という惑星に以前と変わらぬ信頼と期待を抱いていた頃。

 人類は、新たな資源の供給源と同時に増加の一途を辿っていた人口の受け皿として、宇宙に可能性を見出していた。

 それはヒューマンレポート計画のような、こちらの手を加えずとも居住可能な惑星を探し出すような非現実的なものではなく、月や火星と言った比較的身近な星をテラフォーミングする計画であったという。

 とはいえ、移住は数百、数千年の単位で研究を重ね、技術を発展させる必要があった。そのため、当面の目的は、宇宙空間での実験や、太陽光からのエネルギー採取とされた。

 その計画は、人類の破滅が予告されると、あっけなく頓挫したが、施設だけは立派に完成していた。

 軌道エレベーター。

 地上と宇宙の間における人やモノの往来によって発生するコストを、従来の万分の一以上に抑えるもので、事実として、衛星軌道上に備え付けられた数万平方メートルもの太陽光発電システムパネルは、この軌道エレベーターなくしては完成しなかった。

 付け加えるなら、ここから抽出されるエネルギーが軌道エレベーターを通って運ばれて来なければ、人類はもっと早く、枯渇したエネルギー問題によって、衰退を余儀なくされていたとも言われている。

 そして現在、赤道上に三本建てられた軌道エレベーターを通じて、人類は次々とノアの箱舟へと乗り込んでいった。


 即ち。

 日に日に、枯れていく大樹を見るように、街は活気を失っていった。

 人の数が明らかに減少しているのもそうだが、やはりあらゆる店がシャッターを下ろしてしまっているのが、そう思ってしまう要因だ。

「今日が、第3班だって。15万人しかいねー街だけも、やっぱ、いないと寂しいもんだな」

 1週間ぶりに顔を合わせたカナエは、制服ではなく、温い陽光を遮るようにパーカーのフードをすっぽりと被り、待ち合わせの場所で私に会うなりそう言った。

 寂しい。

 その気持ちは、分かる。

 だが、不特定多数の同じ街にいる人間がいなくなることに対して、彼女と違い、私はそう感じることはなかった。

 待ち合わせた、ターミナル駅前には、カナエの言う第3班を載せるためのシャトルバスが数十台止まっている。

 ここから港まで行き、日本から一番近い、スリランカの軌道エレベーターへと向かうのだ。

 彼等は一様に、街との別れを自身の心中でドラマチックに演出しているのか、目尻に涙を溜めたり、或いは、希望に満ちた清々しい表情をしている。

 カナエはそれを見るのが辛いのか、背を向けて私の手を取った。

「な、今から、下見に行こうぜ」

「下見?」

 カナエは私の言葉も聞かず、大股で歩みを進める。

 私はそれに引っ張られて、小走りになってしまっていたが、彼女は気にせず、住宅街へと進んでいった。

 

 現ローマ法王は、聖書に書かれた物語と酷似した今の現状に浮かれているのか、ノアの箱舟が地球に近い宙域に飛来し、ヒューマンレポート計画が立ち上がった時、そんな言葉を放った。

 人間とは文明を持った時から格差という発明を生み出し、蔓延させていた。

 それは、絶滅の危機に瀕した今でも委細変わりない。

 つまり--。

「金持ってるやつらから、先に乗り込んでんだよな。ノアの箱舟に」

 カナエが私を連れてきたのは、市内の中でも高級住宅街にあたる山の手。

 流石に方舟にまでは持ち込めないらしく、車の車種に疎い私でも分かるような高級車がズラリと並ぶ、一軒家がいくつもあった。

「見ろよ、これ」

 スニーカーのつま先で、カナエは足元を叩いた。

 鼠色の舗装コンクリートではなく、地面は明るい色の煉瓦畳が敷き詰められている。

「税金使われ方が半端ねーな。知ってるか、街の景観だなんだいって結局貧乏人から巻き上げた税金は、金持ちどもに還元するようにできてんだ」

「でも、金持ちの方が、多く税金を取られるからしょうがないんじゃない?」

 ある意味、そちらの方が平等だ。

「アタシだって、本当にそうならこんな僻みみてーな文句は言わねーよ」

 だが、ホントは違う。

 彼女は付け足すように言う。

「……利益と権利だけは、いつだって、権力者だけの特権だ。俺たちみてーな庶民に課されるのはいつも義務だけなんだ」

「だから、不良に?」

「え?なんで不良が出てくんだよ」

「……だって、義務を放棄した人が不良なんでしょ?」

「……あはははっ!お前変わってるな!」

 一瞬ポカンとしたカナエが、途端に破顔一笑した。

「……そうかな?……でも、もうその理から私達は外れたんだよ。選ばれなかったのは、きっと私にとってはいいこと、なのかも」

「馬鹿みてぇに、阿呆らしい椅子取りゲームはノアの箱舟とやらに乗り込んで続くんだろ?それに比べりゃ、地球に残った方が数倍マシだ」

 カナエの言葉は、これから私達を待ち受ける状況に対して一見前向きに捉えているようにも見える。

 だが、言葉の端々には、やはり。

 彼女はどこか、地球に残されることへの不満というよりも諦観に近い、嘆きのような言葉を使う。

「それで、なんでここに?」

「やっぱ、拠点は豪華な方がいいだろ?」

「……?」

 カナエは、どうやら、私とは違う感性を持つ人間らしい。

 彼女は、人類と総称してもよい大多数の人々が地球を離れた後に住まう場所を物色に来たのだという。

「……陸地がどんどん沈んでいくんだから、もう少し、高台の方がいいんじゃない?」

「アタシも考えたんだけどさ。でも、人の手が入ってないところに住むのって難しいと思う」

 カナエは、私より今後のことを考えているらしい。

 ……いや、私が能天気すぎるだけなのか。

 それとも、彼女の不安の裏返しなのかもしれない。

「それだったらさ、東京にでるってのは?」

「……それもいいかもな。あんだけ都会なら、保存食もたんまり残ってるかもしれねえし」

 仙元市は、東京よりも200キロ程度離れた東北地方の地方都市だ。

 私も、そして年齢的に彼女も車を運転したことはないだろうが、人が居なくなれば通行者も対向車もいなくなるのだ、練習しながら東京へ向かうことも難しくないだろう。

「だけど、それも、こっちでしばらく暮らしてからだな。みんな同じ事を思って残留組は東京に向かうかもしれないだろ?」

「……人が沢山いるのはいいこと、じゃない?」

「……かもな。だけど、残留組2万人の内、大半は犯罪者だ。それも、大抵の罪人なら、ノアの箱舟で労働力になると考えられて保釈されるのにも関わらず、だ。残留組は、私達のような労働力としても期待されず、なおかつ、家庭や生活態度に問題のある子供か、余程世間からは許し難い犯罪を犯した人間だ。アンタや私の様な子供を残している時点で、倫理観なんてものは腐っているが、それでも倫理的に、15歳以下の子供は無条件で乗船権が与えられる。それ以外は、察しの通りだ」

「つまり、根っからの異常者が東京に多くいる、ってこと?」

「まぁ、そうだろ。今はもう放送しちゃいないが、数日前までやってたニュースだと、乗船者達の罪悪感を和らげるために、残留組の殆どは犯罪者だなんて嘯いてた。アタシみたいな、親が犯罪者ってだけで、素行が悪い不良ってだけで切り捨てられる様な人間なんて、まるでいないみたいな言い方だった」

 カナエの言葉に、私は、何を思ったのだろう。

 なんて思ったのか、それは自分自身でも定かではなかったが、気付いてしまった。

 唇を震わせて、頬を紅潮させて。

 悔しいのだろう。

 同時に、理不尽さに怒ってもいる。

 そして、そうやって感情的になること以外の選択肢を与えられていない現状に絶望しているのだ。

 口ではなんやかんやと言いながらも、彼女は誰よりも希望ある道を生きていきたいと願っているのだろう。


 ――だから、私は、彼女を抱きしめた。

「……今日から、一緒に住もうよ」

「や、な、何言ってんだよお前」

「だってさ……、カナエを一人に出来ないよ」

 彼女は強い。

 まだ、泣かないのだから。

 それでも、私が抱きしめた腕を振りほどこうとしない。

 それどころか、私の胸元に顔を押し付けて、涙を抑えるようにしている。

「ナナは強いな」

「そうかな?」

「だって、お前から、弱音とか不満とか、あって当たり前の愚痴を聞いたことがない」

「……私は、ノアの箱舟があろうがなかろうが、どの道、選ばれなかった人間だから」


 ああ。

 私は、最初から期待などなかった。

 希望など抱かなかった。

 だから、理不尽なことでも、受け入れられた。

 世界のあらゆる不条理が私に降りかかっても。

 それは、そういう運命なのだと、納得できたからだ。


「なぁ、聞かせてくれよ。ナナ。アンタ、何で選ばれなかったんだ?」

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