第3話 序 3
死期の近い人間の多くは、多分、普通の人よりも少しだけ素直に世界と向き合える。
これを、悟るとか表現する人も多いけど、私はきっと、これが本来の人間のあるべき心情なんだと思う。
老いると、新しいことをしなくなる。
それはきっと、今まで歩んできた道から外れたくないからだ。それは素直に、自身の人生を肯定して、それが正しかったのだと頷くような行為だ。
それが良いか悪いかは別として、私の生まれた時代は、人類全体が老け込んでしまったようなものだった。
新しいものを生み出さず、かつて使い潰した技術を使い回して、ゆっくりと朽ちていくようであった。
地球が近い将来、人の住めなくなる環境になってしまうと判明してから、人は安楽死を選んだ病人のように、無為に過ごすようになってしまった。
それは感覚的な話ではなく、実際に出生率を見ても、手に取るようにわかる。
かろうじて、地球の総人口は100億を超えているのが現状だが、世界的に見て50代以上の人間が70%を超えるのは明らかに生物としてはおかしい。
そして、医療技術はかつてのそれと同じ筈なのに、平均寿命はここ100年で、約10年ほど下がってしまった。
きっと、人類という種はもう直ぐその寿命を終えようとしていたのだろう。
人類は、戦争なんていうエネルギーの使う活動すらする余裕は無くなってしまい、商業活動ですら、私が生まれてから明るい話題がない。
それもこれも、地球が人の住める土地ではなくなりつつあったからだ。
勉強は苦手だったので、詳しくは覚えていないが、社会の授業で習ったのは、日本の土地が、海面上昇により、かつての60パーセント程度しか今は残っていないということだ。
そして、頭の良い人達が、計算したところによると、急激な地殻変動や海面上昇により、地球の陸地は、2200年には殆ど無くなってしまうそうだ。
それが判明したのが50年前。
そして、実際にそれが現実として進行を始めたのが40年前のことだという。つまり、私は70歳までは生きられないということだ。
そんな夢も希望も無いような状況だ、人類が老け込んでしまうのも無理はない。だが、そんな状況が一変したのは3年前だ。
前世紀に宇宙に放逐した無人探査機が、とある巨大な宇宙船を連れて帰ってきた。
それは、こんな未来を予測した、私達人類よりも高度な文明を築き上げ、そして、どういう訳か姿を消した、地球人としての大先輩が残したもので、有名な逸話になぞらえて《ノアの箱舟》と称するようになった。
どうやら、それは人間を100億人載せることのできる、新たな可住惑星を探すための移民船で、何百、何千年も航行できるものであった。
最大航行スピードは光速の97%。則ち、人類は新たな星へと居住する段階に入ったというわけだ。
そして、各国は緊急措置として、総人類による移民計画、通称〈ヒューマンレポート〉を開始、三年かけて地球中全ての人類を〈ノアの箱舟〉に載せるための活動を始めた。
そして、現在100億と数万人を数える地球人のうち、端数を切り落とすように、2万人が地球に残ることが決まっていた。
そして運悪く、私はその2万人の中に入ってしまったのだ。
氷川さんが、よろしくな、と握手してきたのには、理由があった。
日本国内における、居残り組は2000人。世界における人口比から見て、日本人が2000人もノアの箱舟に乗れないのは明らかにおかしいが、それは特別な理由があった。
それはともかく、その2000人がヒューマンレポート計画後に自然に出会うことは稀だろう。
人は寄り添わなくては、生きてはいけない種族だ。
だから、ここで互いの状況が同じだと気づいたということは、どちらが口に出さずとも、自然と今後は二人で協力していく可能性が高いということなのだ。
私は彼女の小さな手を握り返した。
「……私は相模ナナ。これから、よろしく…でいいのかな?氷川さん」
とはいえ、初対面の相手と、これからの生活(2ヶ月後の話ではあるが)をいきなり共にするのは、やはり抵抗がある。
一人きりでは厳しいとは感じていたし、このタイミングで同じ居残り組を見つけられたのは僥倖ではあったが、やはり、私の内向的な性格は、こんな状況でも依然として健在らしい。
歯切れの悪い返事に、私自身自嘲するような笑みを浮かべると、氷川さんは、これまでの不機嫌そうな顔が一変して、笑顔になった。
「カナエでいいよ。アタシもナナって呼ぶから」
屈託のない笑みに、どういう訳か、私は私らしくなく、素直に頷いてしまっていた。
「つーかさ、アンタなんか考えてんの?」
「なんかって?」
「これからのことだよ。海面上昇で、いくら陸地が少なくなったとはいえ、日本で2000人しかいなんだ、恐らく、これから運良く誰かと合流できても、5、6人ってとこでしょ?つまり、アタシ達で何とか生きてかなくちゃいけないってこと」
カナエは校長先生から貰った袋の中身を机の上に取り出しながらそんなことを切り出した。
「んー、なにも」
本当に、何も考えていなかった。
強いて言うなら、苦しまないで、このまま終わってしまえばいいのに。というくらいだった。
「あはは、アタシもだ。つーか、あのジジイ、餞別なんて言ってロクなもん寄越さねえな」
カナエは高級そうな万年筆を興味無さそうに放り投げると舌打ちした。
たしかに、万年筆はともかく、各教科の問題集やら説教臭いハードカバーの純文学小説やらが中に入っている。
「ったく、これからこっちは満足に飯も食えねー状況になるかも知れねぇってのに、ホント使えねーな」
「所詮は校長先生の自己満足だもんね。本当に同情したのだろうし、本当に義憤があったのかもしれない。けど、結局は他人事なんだよ」
「……ナナ、お前さ、居残り組になったことに対して、何も思ってねぇのか?」
「……うん。そうだね。正直言って、残されるのは目に見えてたし、選ばれないことは、慣れている」
そうだ。
私はいつも選ばれない人間だった。そういう人間なんだと、知ってしまっていた。
「……アタシはさ、正直言うと、スゲェ不満だ。確かに素行不良だし、先生の説教なんてものは無視してた。だけどさ、日本で価値のない2000人に選ばれたってのは、気にくわない。」
「……そっか」
「それにさ、アタシのところに来た通知、選考から外れた理由が書いてあったんだけどさ、理由が親父が犯罪者だからだとさ。笑えるよな。人を切り捨てるために、それらしい理由を探して、突きつけるんだぜ。しかも当の親父は、技術士だかなんだかの資格を持ってるから、ノアの箱舟内でも必要な要職があるらしくて、選ばれてる。親父が原因で私は置いていかれるのに、その親父が乗るんだ。そこが、気にくわねぇ」
理不尽。
その一言に尽きると、私は思った。
だが、そうでもしなくては、2000人という人間を円滑に切り落とすことなんて出来ないはずなのだ。
例え、本人が理不尽だなんだと騒ぎ立てても、誰も味方をしないような人間。
恐らく、本当の選考基準はそこなのだ。
私も、そして彼女も、そういう人間なのだ。
「……アンタは?」
「私?」
「通知。来たんだろ?ちゃんとそこには、理由が書いてあるはずだぜ」
「……理由は……私にもよく分かんないや」
私の言葉は、半分嘘だ。身に染みて、良く理解している。
それと同時に、なぜそんなものが理由になるのか、分からなかった。
とはいえ、理由の説明は出来たはずだ。それをしなかったのは、端的に言えば「言いたくなかった」ということになる。
私自身、そんな気持ちになったのが驚きだった。
カナエは「そっか」と、短く言うと立ち上がった。
案外、彼女は優しい人間なのかもしれない。
(それか、優しくしてほしいから、優しいのかも)
邪推のような、意地の悪い推測をカナエは知る由もなく、話を続けた。
「確か…今日から、携帯は使えないだったっけな。とりあえず、今日は普通に帰るとして、これから互いに連絡する時は、どうしようか」
カナエはポケットから携帯電話を取り出して、画面を確かめる。
どうやら、既に電話会社は全業務を終了したらしく、既にサービスは停止されているようで、ため息交じりに彼女は再び懐にしまった。
「そうだね…互いの家を、知っておいたほうがいいんじゃないかな」
「……家、か。そうだ……、アンタ、家族は?」
「いない。こんな状況なら、幸か不幸か迷うところだけど」
カナエはそんな私の言葉に同意するように、無邪気な笑顔を見せた。
そんなカナエに私もつられて笑顔を浮かべる。
こんな、不条理さが蔓延する世界の中で私は、久し振りに、心の底から素直に笑った。
初めて、私と対等な人間に出会った。
一緒に生き延びていくために手を取り合う仲間ではなく、単純に友達になりたい。
そんな気持ちは、私にとって初めての経験であった。
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