第2話 序 2

 私よりもひと回りもふた回りも上の世代が、この島国に暮らしていた頃は、四季というものがあったらしい。

 すっかり、死語となってしまった「春夏秋冬」という言葉は、いまや作り物の世界の中で聞くだけだ。

 それでも、日本人は文化を守り続けてきた。

 正月になれば御節を食べたし、お盆になれば墓参りもした。

 昔程の情緒はないと悲観的にいうのはやはり、四季を知る世代で、私達若い世代にとっては、それが普通で普遍でもあった。

 そんな時代にあって、日本人を含めた世界中の人類にとって人類史に記すべき、ちょっとした出来事が起きたのは、今から三年前の出来事だ。

 《ヒューマンレポート》。

 そんな名前で呼ばれる人類の一大プロジェクトは、当時の私にとっては想像もつかない速度で展開され、残すは最後の大仕事まで残り2ヶ月を切っていた。

 世間を見ると、誰もが何処か不安そうな表情を浮かべながらも、期待と希望に満ちた表情で慌ただしく身辺整理をしている。

 私は、それをどんな感情で見ていればいいのか、分からなかった。


「えー。皆さん。本日で、250年の歴史を誇る我が校は閉校となるわけですが、新天地へ向け、人類が新たな一歩を踏み出すこの時代に生まれたことに誇りを持って、我が校で学んだことを忘れずに、活躍してほしいと思います」


 西暦2150年7月10日。


 私の通う、仙元高等学校はこの日を持って閉校した。

 それは、仙元高校だけではなかった。

 日本政府によって、7月10日に学校や企業を含む、全ての団体の活動停止を命じられているからだ。

 それは暗に、2ヶ月後に備えて、身辺整理をしろということでもある。

 全校生徒が集められた体育館では、さながら卒業式のごとく、別れを惜しんで抱き合いながら泣いたり、クラス毎に冊子を作って、大して長くもない期間を過ごした仲間達に向けてあれこれ感動的なメッセージを残したりしている。

 当然私も貰ったが、何となくだが、私に対する当てつけのような気がして、終ぞとして開く機会は訪れなかった。

 閉校式が終わると、今度はクラス毎に教室へ戻って最後のホームルームが行われる。

 気の弱そうな担任の先生は、生徒達にサプライズ的な寄書きをプレゼントされて号泣していた。そんな茶番に、私は目を細めて、しかし、それでも周囲の空気に合わせて、口を噤んでいた。

「相模さん。今まで、ありがとう。もし、向こうで会うことがあったら、よろしくね」

 ろくに話したことがない隣席の生徒までもが、そんな感動的な空気に当てられたのか、涙ぐみながら私に向かってそんな言葉を言って抱き寄せてきた。

 本当は突き放したかった。

だが、

(ああ…この子は、何も知らないんだな)

 と、そんなことが頭を過ぎり、虚しさだけが、胸に湧いた。

 私は、選ばれなかった人間だということは、きっと、誰も気にすらしなかったのだろう。


 皆が居なくなった教室で、黒板にデカデカと書かれた、青春の残滓のようなものを眺めて、私は寂寞の中、一人夕焼けの赤に染まりながら、頬杖をついていた。

 黄昏たかった訳ではない。

 結果的にそうなっただけで、本当の理由はなんてことないものだった。

 担任の先生に、話があるから待っているよう言われただけだ。

 私としては、もはや関係のない人の指示であるし、無視しても良かったが、無為な反抗をする気もなかったので大人しく待つことにした。

 やがて、その担任が教室へ戻ってきて、ついてくるように言った。その間、私達は無言だった。

 初老の気の弱そうなこの担任は、どこか気まずそうに私を見ながら、一つの部屋へと招いた。

「ここで、待っていてください」

 小さな部屋だった。何かの資料室だろうか。長机と4脚のパイプ椅子、それから書類棚があるだけの部屋だった。

 そこには、先客がいた。

 髪を金色に染めた、小柄な生徒だった。制服も着崩していて、目つきも女性にしては珍しい三白眼のためか、第一印象としてはよく受け取れないタイプの見た目だ。いわゆる不良というやつだろうか。

 気怠げな表情で、私を一瞥すると、すぐに視線を逸らし、スマホを操作し始めた。

「……」

 私も彼女に倣ってパイプ椅子に腰掛ける。

 一体、先生は私と彼女にどんな用があるというのだろうか。

 私と不良らしき女性とは終始無言だった。チラリと何度か、彼女の方を盗み見たが、耳にピアスを開けているのが分かった。

 僅かにタバコの匂いもしたので、喫煙者なのだろう。

 そんなことを思っていると、部屋の引き戸が開けられた。

 温和そうな顔をした校長先生が、どうやら私達を呼び出した張本人らしい。

「相模さん、氷川さん。お二人に、なんて言葉をかければいいのか分かりませんが……」

 一年半の高校生活で、校長先生と会話をしたことなどないのだが、この人は本当に優しい人なのだろう。

 見ると、目尻にうっすらと涙が見える。

 だが、氷川と呼ばれた女生徒もどのような反応をすればいいのかわからず、そんな校長先生の様子を眺めるだけだった。

「君達も知っているように、ヒューマンレポートは、地球の総人口を全て救済するというわけにはいきません。各国で決められた規定人数の中から、どうしても何人かは我慢を強いなくてはなりません。本当なら私のような老いぼれが、貴方方のような若い人に席を譲るべきなのですが……。権利の譲渡は禁止されていますから」

「……センセ。隣の奴はどーか知らねーけど、アタシは素行が悪かった。お袋もどうしようもねー奴だった。だから権利は渡らなかった。アタシはそれで納得してるし、そんな同情はいらないんで」

 氷川さんは苛立ったような口調で言いすてると、校長先生はますます不憫そうに私達を見つめた。

「そう、ですか…。ですが、貴方達は誇っていい。成り行きとはいえ、貴方方は未来ある子供に席を譲ったんだ。貴方方は、残念ながら……ここで終わってしまいますが、誰よりも、誇るべき行動をしている。……しかし、私のような者が言っても、どうしようもありませんがね。これは、私からの餞別です。どうぞ、受け取って下さい」

 校長先生は私と氷川さんに、手提げ袋のような物を手渡した。中には、色々な物が収められているようだ。

「さて、私からはこれだけです。どうか、不甲斐ない我々を許して下さい」

 そう言うなり、校長先生は俯いたまま、部屋を出て行く。

 残された私達は、妙な居心地のまま、校長先生が出て行くのを見送るだけしかできなかった。


「アンタも、居残り組か」

 直ぐに席を立たなかったのは、恐らく、私も彼女も、互いに興味があったのだろう。

「アタシは氷川カナエ。よろしくな」


 ――昔々、遠い昔のお話。

 新しい世界を望んだ人間達は皆、英雄だった。

 だけど、きっと、

 同じ場所に留まり続ける人達もまた、英雄だったに違いない。

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