BLUE ZONE
夏木黒羽
BLUE ZONE
BLUE ZONE
1
六月のある日、休日にもかかわらず、半そでの白いセーラー服に、紺色のプリーツスカートを着ている、目つきが悪く、十人いれば十人が不良だろう、と答えるほどガラの悪い少女が歩いている。
そしてその隣には、西洋人のような白い肌をした、細身の耳の長い少女が、お洒落な青い水玉の柄の入ったワンピースを着て、ニコニコと笑いながら一緒に歩いていた。
「茜さん、今日は晴れてよかったですね」
小躍りしているヨーロピアンな少女は、久方ぶりに見る太陽の光を全身に浴び、輝いていた。
「まあ、そうね。ていうか、セレナ、何でついて来てるのさ」
目の前ではしゃいでいるセレナとは全く反対の感情を浮かべながら、五代茜は手でひさしを作り、恨めしそうに太陽を見上げた。
「え? だって茜さんのご友人が、今日門出の舞台なのでしょう? それならば私にもそれを見届ける権利があると思います!」
相も変わらず、茜の目の前でひらり、ひらり、と落ち着きがないのか、動き回っている。
「もう、今日はあたしが呼ばれたんだけどねぇ……」
茜はほうっ、とため息を吐きながら顔に左手を当てる。
その時、左手の薬指にはめている赤い宝石のかたどられた指輪がきらり、と光った。
「あれあれ、茜さん、誰のおかげで定期テストの赤点免れたと思ってるんですか?」
突然セレナが茜の顔を下から覗き込むようにしてきて、茜は少し驚く。
「あー……、うー……、それは……」
しどろもどろになりながら茜はセレナから目をそらす。
「ふふっ、ちゃんと自分の分は自分で出しますから安心してください、茜さんにこれからしばらくパンの耳生活なんて私がさせると思いますか?」
ふふーん、と言わんばかりに腕を組み、セレナはどや顔で、茜を見下ろそうとするが、長身の茜を見下ろすことはできず、ただ尊大な態度をとるだけだった。
「はー、それはとてもうれしゅうございます、お嬢様」
七割棒読みで茜は答え、どや顔のセレナをスルーし、歩く速さを上げると、後ろから「待ってくださいよー」と言う、セレナのひ弱な声が後ろからしたが、茜はそれをさらにスルーした。
バス代をケチって、電車の駅から目的の場所へと向かうこと約三十分、ようやく二人の前に大きなドーム施設が現れる。
「とても大きな建物ですね、私のかつていた世界の闘技場に少し似ているような……」
セレナは眼前に見えるコンクリートのドームを見て、感想を漏らす。
「あー、まあ確かに闘技場に様な物かもね」
野球って闘技なのか、と疑問に思いながらも茜は答える。
「茜さん、本日そのらいぶ、とやらをする人とはどのような関係で?」と、セレナは率直に聞いてきた。
「ああ、今日ライブする、神崎ありさとあたしはマブダチさ」
「へぇ、それでその神崎さんってどんな方なんですか?」
セレナのまっすぐな瞳に茜は少し考えて、言葉を選ぶ。
「なんというかまあ、小悪魔な奴と言うか、つかみどころがよくわからないと言うか……変な奴だけど、良い奴だよ」
そう言って茜は少しだけはぐらかした。
「ふーん、まあ、茜さんがそういうのでしたら、きっと素敵な方なんでしょうね」
太陽のようにまぶしい笑顔を浮かべ、セレナはそう答え、張り切って先へと駆けて行った。
「まあ、あたしや麻里と同じように、元ヤンなんだけどね」
走って行くセレナの背中に対し、茜はぼそり、とそうつぶやいた。
バス代をケチってしまったが故に、茜とセレナはライブの始まる一分前にようやくたどり着き、席へと向かう最中にステージ上が一気に明るくなり、光の中から小柄で青いバレッタで止めたツインテールがトレードマークの少女、今日の主役である神崎ありさが現れた。
ステージが目と鼻の先に見える、一番近くの席に招待された茜は旧友の晴れ舞台をしっかりとその目に焼き付けようと、目を見張って彼女の一挙手一投足を見つめる。
地下アイドル時代に何度か見に行ったことはあったが、あれからもかなりの練習を積んだのだろう、歌も踊りも茜の記憶の中よりも数段と上達しており、見とれてしまう。
特にとある歌の歌詞で、恋をしている女の子が好きな男の子の心を射止める、というフレーズに合わせて矢を射抜くような振付の後に、スポットライトを浴びた席に座っていた観客がそろって射抜かれたようにうなだれる、という演出はかなり茜にとって印象的だった。
「いやあ、私の知らない世界でしたね、とても刺激的でした」
ライブが終わり、隣で座っていたセレナがほうっ、と息を吐きながら余韻に浸っていた。
「いやあ、あたしもこういう大きなところで見たのは初めてだけど、すさまじかったな」
スポットライトの消えた物静かなステージに目をやり、茜は感慨深そうに席を立ち、
「さ、明日学校あるんだから帰らねーとな」
と珍しく真面目そうなことを言った。
「ふふ、そうですね」
セレナはその言葉に笑みを浮かべながら答え、席を立つ。
「あなたが五代茜さんですか?」
と不意に声をかけられたので、驚きながら茜とセレナは声のした方を振り向くと、三十代くらいの眼鏡をかけたスーツ姿の男性が、にこやかな表情で立っていた。
「私、こういうものです」
スーツの男性が胸ポケットから、名刺を取り出し、茜に手渡す。
「クリスタルワークス芸能部……って、ありさのマネージャーなの!?」
名刺と目の前の男性の顔を交互に見ながら、茜は目を輝かせた。
「ええ、神崎さんのマネージャーをしています。 五代さんとそのご友人を楽屋に招待したいのですが、お時間ありますか?」
その言葉に茜は二つ返事で食いつくように答え、その様子を後ろから見ていたセレナが笑いを必死にこらえていた。
ありさのマネージャーに連れられて、関係者以外が立ち入ることのできない空間へとやってきて、自然に茜は緊張していた。
久しぶりにどんな話をしようか、変わっていないだろうか、お互いに、と言うことばかり考えていると、セレナが気が付いたのか、茜さん大丈夫ですか、と言わんばかりの表情で心配そうに見ていた。
そうこうしているうちに、神崎ありさのいる楽屋へとやってきて、マネージャーが三回ノックをした後に、扉の向こうから返事があり、マネージャーが木目調の扉を開ける。
「おっひさー、茜ちん」
楽屋の中の畳の上で寝転びながらスマートフォンをいじっているツインテールの少女、神崎ありさが画面から目を離し、茜たちの方を見る。
先ほどまでのツインテールにしている青いバレッタは健在だったが、ステージ衣装ではなく、有名私立高校のセーラー服に身を包み、何か悪いことを考えていそうな表情を浮かべなら、スマホをいじる手を止めて、一つ猫の様な大きなあくびをして立ち上がり、茜を出迎え、手をさし伸ばす。
茜はそれに応じて手を差し出し、相手の掌をうつ。
乾いた音がし、今度はお互いにげんこつを握り、一回、二回と上下にかわし、お互いに笑った。
「ドームでの初ライブだっけ? お疲れさん、相変わらずそうでほっとしたよ」
「そっちこそ」
お互いの挨拶を済ませると、今度はセレナの方に視線を移し、
「あれあれ~、茜ちんまた新しい女の子侍らしちゃって~、モテモテですな~」
と言って茜をからかう。
「馬鹿、そんなんじゃねえよ、こいつはなぁ……」
茜が顔を真っ赤にさせながら反論しようとした矢先に、ありさはセレナにCDを手渡していた。
「えっ、良いんですかこれ」
「いいのいいの、茜のダチなら私のダチみたいなもんだし、これからも応援よろしく頼むよー? ささ、茜ちんにも」
そう言ってありさはにっこりと笑い、またもう一枚CDを取り出し、茜に手渡そうとする。
「?、おいおいありさ、あたしはもう持ってるぞ、あんた、今日のチケットと一緒に送ってくれたじゃないか」
茜は困惑した表情で言うと、ありさも一瞬、おや、と言う表情をしたが、すぐに思い出したのか照れ笑いをし、首裏に手をやり、
「あ、いやーごめんごめん、たくさん出したからね、忘れてたよ」
あはは、と言って笑うありさにこんなうっかりな奴だったか、と少し違和感を覚える茜だった。
しばらく談笑をした後に会場から外に出るとすでに夜になっていた。
おまけに予報になかった雨が降っているというおまけ付きであり、茜とセレナの二人は帰り道を急いでいた。
「何でバスに乗るお金すら持ってないんですかあなたは!」
泣きそうな表情で、セレナはそう恨めし気に茜に言う。
「仕方ないだろ、貧乏なんだもん」
悟りを開いたようなどや顔で茜は返事をする。
「ま、小雨だから大した事ねえだろ」
そう言う茜だったが、ノースリーブのワンピースを着ているセレナの方を見ると、雨が体の中に入ってきていて、汗で濡れているのか、雨で濡れているのか、わからないほど濡れていた。
小走りで二人が雨の中を走っているうちに、月も厚い雨雲に覆われてしまい、さらにあたりが暗くなっていく。
その時、どこか近くから叫び声が聞こえる。
「今、何か聞えませんでしたか?」
セレナが足を止め、あたりを見渡す。
「あ? 車のブレーキ音かなんかじゃないのか?」
首をかしげながら茜はそう言って、足を止める。
すると再びまた誰かが叫ぶ声がした。
「ほらやっぱり、こっちみたいです」
そう言ってセレナは走り出し、茜も後に続いた。
雨の降る暗闇の中、真剣な眼差しで路地裏へと進むと、男性と思われる人が一人、うずくまっていた。
ほらやっぱり、と言う表情でセレナは茜の顔を見てから、うずくまっている男性の元へと歩み寄る。
「すいません、大丈夫ですか?」
そう声をかけた時だった、にちゃり、という音がし、男性がセレナと茜の方を振り返ると、男の顔は魚の鱗のようなものがびっしりと生えており、口は大きく肥大化し、赤く塗れているそこから鋭い牙のようなものが伺える。
そして、その奇妙な魚人間の後ろには人が一人倒れており、腹部から臓物がはみ出ていて雨に打たれていた。
セレナは小さく悲鳴を上げ、後ずさりをする。
彼女はこちらを振り返った男の向こうに、人だったものの残骸を目にし、さらにショックを受け、大きく後ろに下がった。
「
その様子を見ていた茜は、何も考えることなく、左手の指輪を赤く輝かせ、全身に炎をまとったかと思うと、瞬く間に炎はセーラー服を赤く染め、魔法使いのローブのように替わった。
「このっ!」
腰の鞘から片手剣を抜刀し、袈裟懸けで魚人間に切りかかる。
確かに刃は魚人間をとらえ、入ったはずなのだが、茜は手ごたえを感じなかった。
魚人間の反撃を察知し、後退するときに刃先を確認すると、煙を上げ、音を立てながら剣から色がなくなっていた。
明らかな異変を感じ取り、茜は少し距離を取ろうとするが、魚人間が大きな口から水の球を吐き出してくる。
「ちっ」
舌打ちしながら茜は水の球を剣で弾くと、剣が真っ二つに折れてしまう。
顔をしかめ、持っていた剣を投げ捨て、飛びかかり、両こぶしに炎を纏わせ、顔と体を殴りつける。
すると今度は多少効いたのか、魚人間はふらつき、体から煙を噴き上げ、うめき声をあげる。
「どらぁ!」
そして、魚人間の顎へとハイキックをぶちかますと、嫌な音が辺りに響く。
倒れてピクリともしなくなった魚人間をしばらく眺めていると、見る見るうちに泡になり、消えてなくなっていった。
「大丈夫でしたか、茜さん」
遠巻きにして眺めていたセレナが、恐る恐る近づいてきて、不安気に茜に聞いた。
「まさかあたしの魔力が通じないなんてね」
首をかしげながら、茜は元の服装に戻り、セレナの方を振り返る。
「もしかしたら奴らが本格的にこっちの世界に侵攻してきたのかもしれませんね」
顎に手を当て、真剣な表情でセレナはそうつぶやいた。
2
次の日もまた雨が降っていた。
授業を聞き流しながら、昨晩戦った魚人間たちのことを考えていると、いつの間にやら茜は夢の世界へと旅立っていて、次に目を覚ました時には、もうお昼放課になっていた。
「茜さん、また寝てたんですか、お昼ごはん食べましょう」
呆れ返った表情で、セレナは弁当箱を二つ持って茜の席のそばで立っていた。
「ん、ああ、悪い悪い」
口元のよだれを腕で拭い、弁当箱を受け取ると、茜は立ち上がる。
いつも二人は誰もいない学校の屋上で、弁当を食べるのだが、ここしばらくはこんな雨模様なので、空いている教室を借りて、二人仲良く食べていた。
今日もそんな感じでセレナの作った弁当を食べる二人。
「茜さん、私思ったんですが、やっぱり昨日の敵は私のいた世界に存在した、海人族だと思うんです」
弁当を片付け、一服しているところで、セレナは昨日戦った怪物に対して言及した。
「ふん、やっぱりそうか」
椅子の背もたれがきしむくらいにもたれていた茜が背筋を正し、そう答える。
「ええ、前のマリーが私を追いかけてきて起こした四月の事件覚えていますか?」
「ああ、あれは忘れようと思っても忘れられないからね」
苦笑いしながら、水筒のお茶をコップに注ぎ、一口含みうなずく茜。
「たぶんあれから向こうの世界の連中が、私の、私たちの世界だけじゃ飽き足らず、こっちの世界に何らかの方法で干渉できるようになったんだと思うんです」
セレナの言葉に茜は頷く。
「そして向こうの私の仲間、エルフ族はきっともう全滅したんだと思うんです」
「おい、なんだってそんな悲観的なことを……」
「だって現にこちらの世界の、私たちによく似ているあなたたち人間が昨晩どうなっていたか見ているでしょう?」
たしなめようとした茜だったが、セレナの言葉に押され、茜は押し黙ってしまう。
「茜さん、奴ら海人族は水の魔法を主に操ります。 だから、あなたのいつもの炎の魔法だけでは通用しなくなるかもしれません」
その言葉に茜は、昨日の戦闘の時に剣が力なく折れてしまったのを思い出す。
「おいおい、セレナ、あたしはあんたからもらったこの指輪の力しか、うまく使えないんだよ? 他にどうしろって言うのさ」
「それはですね茜さん、以前あなたマリーを倒したじゃないですか……」
そこまでセレナが口を開いたところで、急に教室に設置してある、スピーカーから昨日二人で聞きに行った神崎ありさの歌声が流れ出す。
あれ、あいつのこと知ってるやつがこの学校にもいるなんて、しばらくの間地下アイドルだったのに有名人になったんだな、と茜は思った。
しばらく学校中に神崎ありさの歌う曲が流れ、他に物音を立てる者がおらず、雨の音と、彼女の歌だけが聞える、と言う時間が流れた。
そして、曲が終わり、おしまいに今日の放送委員がこの曲についてのうんちくを語り出したところで、茜は再びセレナの方を見て、
「そんで、また奴らと戦う羽目になったら、あたしはどうすればいいのさ」
と聞くと、しばらくの間セレナは上の空なのか、ぽかんとしていた。
「ん? おい、セレナ?」
とまた声をかけるとやっと気が付いたのか、セレナははっ、とし、
「すいません茜さん……」
と言ってまたぼーっとした様子で、セレナは立ち上がり、ふらふらと先に行ってしまった」
その様子を茜は不思議そうに首をかしげるだけだった。
それから一週間、連日のようにお昼に神崎ありさの歌が流れていた。
あと変わったことと言ったら、毎日毎日同じ歌がお昼にかかるせいなのか、学校中のみんながセレナと同じように何事にも上の空になっていた。
茜は、何か嫌な雰囲気を感じながらも雨の降る毎日を登校していたが、一週間ももう終わりごろになる木曜日にセレナが学校に来なくなった。
そして今日は花金だというのにあいにくの雨が降り、教室にもポツリポツリと、休んでいる人が目立った。
茜は今日もまた日がな一日、机に突っ伏して授業を全部寝て過ごしてしまおうかと考えたが、それこそ時間をどぶに捨てるような物なのでどうしたものかと考えた挙句、セレナの机に溜まったプリントを書き出し、乱暴に自分の鞄に突っ込むと席を立つ。
「五代さん、もう授業始まりますよ」
ちょうど一限目の教科の担当教師が教室にやってきて、茜に注意をする。
「あー……悪いけどあたし今日ふけるよ、そんじゃ」
そう言って乱暴に教室のドアを閉め、ずんずんと廊下を進んでいくが、誰も茜を止めようと追いかけてくる人はいなかった。
「さて、ここだったっけか?」
学校を出る時に傘立てから誰のものか分からないビニール傘を一本拝借し、茜は高級マンションの前に立っていた。
辺りを見回し、めんどくさい警察が見回っていないか確認した後に、そそくさと玄関へ入って行く。
「あー」っと、入ってから茜はさらにだるそうに息をつく。
このマンションの玄関から先は、カードキーを持っている人間しか自由に入れない仕組みになっていたのだ。
「まったくもう、セレナもうちのぼろアパートに住めばいいのにさ」
そうぶつくさと文句を垂れながら、セレナの住んでいたはずの部屋番号を押して、チャイムを鳴らす。
しかし、うんともすんとも反応はなく、ただ雨が玄関のガラス戸を叩く音しかしなかった。
「まいったな」
そうつぶやくと今度は瞬時に思いついた適当な番号を押し、手当たり次第にチャイムを鳴らす。
すると五回目で、
「はい」と返答があったので、すかさずに、
「406の者なんですけど、部屋に鍵を忘れちゃって、すいませんが開けてくれませんか」
と猫なで声で言うと、忌々しいガラス戸が開いた。
「ありがと」
そう、もう切れたであろうインターホンに向かってお礼をし、茜はセレナの住んでいる部屋へと向かった。
階段を上り、四階までたどり着くとセレナの部屋までわき目もふらずに歩いていき、力強く戸を叩く。
「おいセレナ! 生きてるか?」
しきりに窓を叩く雨音に負けないように、茜も声を張り上げる。
しかし、なかなか反応がなく、茜は肩をすくめる。
困ったな、と思いながら茜はドアノブに手をやると、案外素直に戸が開く。
すると部屋の中から、今週一週間、嫌と言うほど聞かされ続けられた神崎ありさの例の曲がかかっていた。
「セレナ、入るぞ」
茜は一応断りを入れてから、ゆっくりと部屋の中へと入って行く。
玄関から入った先に見える戸から例の音楽が聞こえ、茜はもしかしてセレナがこの間戦った魚人間のようになってしまっているのではないか、と不安に思いながら恐る恐る、戸を開けると、茜の耳をつんざくように、音楽が大音量で鳴っていた。
「ああ、あかねひゃんだ」
すると部屋の真ん中で呆けたように座り込んでいたセレナが、焦点の合わない目つきで茜の方を振り返った。
「おい、セレナ大丈夫なのか!?」
血相を変え茜はセレナの身体を揺らすが、相変わらずセレナはえへへ、と酔っぱらっているかのように、上機嫌そうな表情を浮かべ笑っているだけだった。
「こいつはひどい、昔シャブをやっているやつがこんな感じだった」
意を決して茜はこの音源を絶つために、コンポに手をかけ、停止ボタンを押す。
すると部屋には雨がガラス戸を叩く自然な音が残り、静かになった。
CDを取り出し、破壊しようとしたところで手に持つと、裏面に紫色の文字で何かの文様が浮かび上がっているのを茜は目にする。
何だこれは、と思いもう少し観察しようとしたところで茜は押し倒された。
「はっ?」
CDを取り上げられ、茜は目を丸くする。
マウントポジションを取ったセレナの表情には言葉にできない狂気をはらんでいた。
「何てことするんですか!」
そう言い彼女はぽかぽかと、茜の胸元を握りこぶしで殴りつける。
「ちょっと、ちょっと」
セレナの勢いに茜は押され、あっけにとられていると、上に乗り、騒いでいる彼女は近くにあるテーブルの上からハサミを取り、乱暴に握ると、茜に突き刺そうと振り下ろす。
「ちょっ」
その行動に茜はびっくりしながらも、手でセレナの振り下ろすハサミを受け止め、力任せに突き飛ばした。
ごろんごろんとセレナが部屋を転がって行くのを尻目に、茜は一目散に部屋を飛び出す。
非常階段を駆け下り、マンションのロビーを傘も差さずに飛び出し、しばらくの間降りしきる雨に打たれながら、茜はぼんやりとセレナのいるであろう部屋を眺めていると、何故だか神崎ありさのあの曲が聞えるような気がした。
仕方なしに家までの帰路についていると、次第に雨足が強まって行き、バケツをひっくり返したような土砂降りになった。
「はあ、こりゃあもう裸足で帰った方がましだな」
肩を落とし、独り言を呟きながらとぼとぼと街中を歩く。
家電量販店の前に差し掛かると、店頭に置かれたさまざまな大きさのディスプレイが、神崎ありさの歌のプロモーションビデオを流していた。
足を止め、茜はただそれをじっと眺めているだけだった。
「キミキミ、下着がすけっすけだぞ、貧乏学生ちゃん」
不意に声をかけられ、雨が幾分か茜の頭上にかからなくなる。
誰だ、と思いながら振り返ると目の前には数秒前に目にしていた人物が経っていた。
「どったの茜ちん、傘も買えないくらい落ちぶれちゃった?」
神崎ありさはそう言い笑う。
不審な顔をし、茜は爪を噛む。
「ふん、あんたは相変わらず絶好調みたいだね」
それだけ茜は言うと、大股で歩き出す。
それに合わせるように、一回りほど小さいありさも頑張って同じ間隔を維持し、ついて歩いていく。
「どうよ茜ちん、私の歌」
得意げな表情で前を歩く茜の背中に向け、ありさは投げかける。
「ああ、すごいよなみんなありさの歌に夢中だよ」
やれやれ、といった表情で茜は後ろも見ずにそう返す。
「すごいでしょ、これがメジャーデビューアイドルの実力って奴よ」
「ほんとな、昔とは比べ物にならないくらいだよ」
「それで茜ちんはあの後私の歌ちゃんと家でも聞いてくれてる?」
その彼女の言葉に、茜は答えることができなかった。
正直な話、あのライブの後から今日まで毎日学校で聞かさせれてうんざりしているのに、茜は家でもう一度ゆっくり聞こうという気分には到底なれなかった。
「茜ちん?」
後ろでありさが声をかけるが、茜は答えない。
それに今、彼女の頭の中では先ほど見た謎の文様が脳裏にこびりついて離れていなかった。
しばらく歩いていたからか、少し人通りの少ない街の裏路地へと入りこんでいく。
「茜ちん、私の話ちゃんと聞いてる?」
再び後ろからありさが声をかけると、茜は驚き、びくっと体が動く。
「あー、聞いてなかったな? それで茜ちんはさ、私の歌ちゃんと聞いてくれてる?」
「あ、うん、ちゃんと毎日欠かさず聞いているよ、けど最近はよく学校で流れるからさ、家では聞いてないかな」
そう答えながら、茜は何でこいつはこんなにも執拗に、自身の歌の感想を聞いてくるのかが引っ掛かっていた。
「そっか、残念だな、茜ちん」
「ああ、悪いな」
「ううん、悪いのは茜ちんじゃないよ、その左手の赤い指輪が悪いんだね」
ありさの声のトーンが少し変わる。
その言葉に茜の野生の勘が、何か危険のようなものを察知していた。
雨が再び、茜の身体に降り注ぐ。
そして、金属のぶつかり合う音が、雨音の中に消えて行く。
魔力を全開放し、赤いセーラー服のような魔法のローブが身を包み、自身の首元を狙った弓を剣で受け止める。
弓の部分をよくよく見ると、刀のような刃がついている。
「何しやがる!」
弓を押し返し、後ろを振り返ると、そこにいたはずのありさがいなくなっていて、茜は驚く。
「うーん、やっぱり簡単にはいかないか」
声のする方へと目をやると、ノースリーブの青いドレスを身にまとい、ツインテールを青いバレッタで留めた小柄な少女が弓を持ち、不敵な笑みを浮かべて、ビルの非常階段の上から茜を見下ろしていた。
「お前は、一体何もんだ!」
自分よりも高いところにいる謎の人物に向かって、声を荒げ、茜は叫ぶ。
「ふふん、ボクのこと知りたいの?」
そう少女は言い、まるで屋上へ来いと言わんばかりに、茜へとハンドサインを出し、先に彼女は非常階段から跳躍し、ビルの屋上へと消えて行く。
その様子を見て茜は一度舌打ちをし、同じように屋上へと飛び上がる。
何か一撃飛んで来るのではないのか、と思いながらも特に矢が飛んで来ることはなく、無事に濡れた足場に滑ることなく、茜は着地する。
「へ~、やっぱりキミすごいね、人間のくせにそこまで魔力をコントロールしてるなんて」
あおるように先に待っていた彼女は拍手で茜を迎えた。
「そんなこたぁどうでもいい、お前は何もんだ、目的は何なんだ!」
切っ先を向け、茜はいきりたつ。
「そんなに興奮しなくってもいいじゃないか、ちゃんと順番に、お話ししてあげるからさ」
やれやれといった風に、青いドレスの少女は手を広げる。
「ボクはセイレーンのアリス、キミのお友達のあのエルフのいた世界からこっちの世界にやってきた言わば、侵略者って奴さ」
アリス、と名乗った彼女はそれが当たり前の仕事の様にそう口にした。
それを聞いた茜は、昔図書館で読んだ西洋の怪物辞典のセイレーンのページを思い出す。
はるか昔の人たちが漁のために海に出ると、大きな嵐が起き、船の乗組員たちは次々と荒波の中へと放り込まれ、瞬く間に船は沈んで行ってしまった。
その生き残った人たちは口々に、美しい女性の歌声が聞こえた、綺麗な女性を見た、足が魚のひれの様だったと言っていた。
その逸話から、生まれた怪物がセイレーンであり、様々な災いをもたらす、と言われ続けていた。
「はん、まさかそんな怪物がこんなところまで来てアイドルをしているなんてな」
剣を握る力を強め、茜は皮肉のようにつぶやく。
「この世界は良いね、みんな程よく魔力を持っているのに、ボクみたいな捕食者がいなくて食べ放題さ」
「まさかあたしたちをただ食べるためだけに、こっちに来たわけじゃないよな?」
「ふふっ、当たり前じゃないか、この世界はボクたちが生きていくのに必要な水が豊富にある。 まさに楽園じゃないか」
「なるほどね……、だけどあたしはあんたに食われるのを待つほどお人よしじゃなくってな!」
そう言うや否や、茜は剣を振り、ソフトボール大の火球を放つ。
直線的に向かっていった火球は、弾丸よりも速く打ち出され、アリスに襲い掛かる。
しかし、アリスの纏っている青色のドレスが火球を吸い込み、彼女自身は何事もなかったかのように弓を構え、矢をつがえる。
「その程度かい?」
冷たい目線で茜をにらみ、弓を引き絞り、手を放す。
ひょう、と風を切る音がしたかと思うと、次の瞬間には茜は苦悶の表情を浮かべる。
痛みのする左肩を見ると、鎖骨の辺りに一本、矢が突き刺さっていた。
「ざっけんなよ!」
痛いのと、今の一矢が見えなかったことに対する恐怖心を払うように、茜は叫び、片に刺さった矢を引き抜き投げ捨てると、今度は接近戦に持ち込もうとし、猛進していく。
走って行く最中に、何回も体に矢を撃ち込まれるが、臆することなく近接、肉薄し、アリスに向け、剣を振るう。
しかし、その一撃も弓に防がれてしまう。
力任せに茜はそれでも剣を振るい続けるが、その攻撃全てが、いとも容易く受けられ、いなされる。
「キミ、センスないんじゃないの?」
何度か組んだ時に、アリスはさらに煽るように、さらりとそう言い、茜を蹴飛ばした。
「ふざけやがってこの野郎!
雨に濡れたコンクリートの上を転がり、頭に血を上らせながら、茜はそう叫ぶと、アリスの立っている場所を囲むように地面から鎖が飛び出し、瞬く間に彼女の身体をがんじがらめに縛り付ける。
「んっ」
アリスは力任せに魔法の鎖をほどこうとするが、なかなか簡単には外れなかった。
「へっ、さすがにそいつは外れない見てぇだな、おい!」
得意げに茜はそう言うと全身の魔力を、右手に持っている剣に集中させる。
「食らえ、
そうつぶやくと、剣から炎が噴き出し、一回り大きくなる。
そして、鎖で縛られているアリスの元へと大きく跳躍し、彼女の脳天をかち割るように剣を振り下ろす。
大きな煙が上がり、アリスの姿が見えなくなる。
「やったか!?」
確かな手ごたえがあり、彼女は確信する。
しかし、次の瞬間には、茜の持っていた剣が色を無くし、力なく折れてしまう。
そして次は、背中に鋭い痛みが走り、その場に崩れ落ちていく。
「残念だったね、魔法使いさん」
首元に弓を突きつけられ、茜は蒼白する。
渾身の一撃を放ったにもかかわらず、相も変わらず彼女は全身から白い煙を上げながら、茜を見下ろし、笑っていた。
「さて、どうしてくれようね、キミもう魔力は使い果たしちゃったんじゃないの?」
これからどうしてやろうか、と言う勝者特有の悪い顔を浮かべながらアリスはそう言う。
「ただ殺すだけじゃもったいない気もするし……どうしよっかな~」
隙だらけでにやにやとしている彼女を見て、茜は動こうとすると、背中を足で踏みつけられる。
小さなうめき声をあげ、茜はうなだれた。
「まあ、やるならこういうことだよね」
そう言い、弓をどかし、茜の服に手をかけようと、アリスも体勢を低くした時だった。
急に茜は体を反転させると、アリスの顔面目掛けて拳を放つと、その一撃の重さに、彼女の身体が浮き上がる。
「そういうことは薄い本だけにしてほしいぜ、
そしてその隙に茜は立ち上がり、捨て台詞と共に呪文を言うと、あたりに薄いもやが立ち込め、だんだんと濃くなっていく。
「待て!」
煙の中アリスは叫んだが、今度煙が晴れた時にはもうそこには茜の姿はなかった。
元の姿に戻り、何とか自慢のぼろアパートに戻るころにはあたりはすっかり夜になっていた。
全身から血を流しながら茜は這うように借りている部屋へと帰り、寝室にある埃の被った化粧台の引き出しを開ける。
そこにはたった一つ、緑の宝石が使用されたピアスがあるだけだった。
「マリー……」
それだけ呟き、彼女はピアスを左耳につけると、その場に崩れ落ちた。
3
茜がアリスと戦ってから、数日が経った。
相変わらず雨は降り続き、茜のクラスでも相変わらず空席が多く、セレナも学校を休み続けていた。
そんな状況の中、茜も自主休講と言う体で学校をさぼり、ボロアパートの近くにある資材置き場で秘密の特訓をしていた。
「くそっ」
力を制御しきれず、体が大きく弾かれ、茜は今日で何度目になるのか分からないが、また地面に叩き付けられる。
体中が痛みできしみ、とても立ち上がることができず、しばらくの間うずくまっていたが、痛みが引いていくと、体中の泥を払い、立ち上がると、一度大きく息を吐く。
彼女の中で渦巻くもやもやのようなものをぶつけるように、雨空を見あげる。
「だぁもう! このじゃじゃ馬め!」
そう叫び、左耳のピアスを指ではじく。
二か月ほど前に戦った吸血鬼のマリーを思い出し、彼女の戦い方を思い出す。
しかし、茜には彼女ほどうまく今、このピアスに眠る風の能力を扱いこなせず、手に余らせていた。
「
そう、いつもの変身呪文を呟き、赤いローブの魔法使いの姿に変わる。
「さて、
次にそうつぶやくと、手にはめている指輪の石の色が、赤から緑に変わる。
そしてそれに呼応するように、茜を中心に風が吹き、着ているローブも、緑色に変わる。
「ここまでは大丈夫なんだけど……」
そう腕を伸ばし、衣装の感触を確かめ、首を鳴らす。
片手剣を引き抜き、数回試しに振るうと、きっ、と前を向き、積まれている土管に向かい、走ろうとする。
うわっ、と悲鳴を上げながら、彼女の身体は自身が思うよりも軽やかに進んでしまい、浮き上がる。
大きな物音を立て、茜は目標としていた土管に向かい、一人ボーリングの体でストライクしてしまう。
「だあぁぁぁぁぁぁ!」
怒りの咆哮を上げ、土管を粉砕し、泥だらけになり、茜はまた再び元の姿に戻った。
「くそっ、もう一回だ、もう一回!」
自身の頬を張りながら、再び呪文を唱えようとした時だった。
お腹がぐぅ、と音を上げる。
「魔力切れか、仕方ねえな……」
少し残念そうに、肩を落とすと、茜はめちゃくちゃに荒らしてしまった資材置き場から、自身の拠点である、ぼろアパートに戻った。
自室に完備されている、シャワーだけの浴室でしっかりと汗なのか雨だかわからないようなものを洗い流し、予備の夏服に着替え、二層式洗濯機とにらめっこをしながら、ここ数日間の実りのない特訓を頭の中で反復していた。
「はーあ、どうもうまくいかねえな、やっぱあたしセンスないんじゃないかな」
力なくうなだれ、そう愚痴をこぼしていると、再びお腹が鳴る。
「ああ、そうだった、魔力を補給しないとな」
狭い部屋の、台所と呼ばれる一角の戸棚を開け、中にしまっておいたパンの耳を取り出す。
ビニール袋を開けると、なんとも言えない独特のカビ臭さが、茜を襲った。
そして恐る恐る、パンの耳を袋から取り出すと、すべてにカビが生えており、悲鳴を上げ、すべてごみ箱の中に投げ捨てた。
「はー、最悪」
お腹を空かし、茜は仕方なく、リビングと呼べるわずかなスペースに座り込み、寝転がる。
何とかうまいこと、ピアスに眠る魔力を引き出せないか考えているうちに、疲労からかうたたねを始めてしまう。
そんなまどろみの時間を過ごしている時だった。
ぼろ屋の壁では満足に防音できないほど雨が降りしきっている時だった。
不意を突くように、部屋に置いてある固定電話が鳴り響く。
いびきをかいて眠っていた茜は飛び起き、急いで受話器を取った。
「もしもし、五代です」
「こちら、風見野総合病院です」
寝ぼけているとはいえ、急に病院から電話が来て、不思議に思う茜。
彼女は、身元保証人である、親戚のおばさんに何かあったのだろうか、推測した。
「何かあったんですか?」
「はい、セレナさんの持っていた生徒手帳にあなたの連絡先しか書かれていなかったものですから」
「あいつに何かあったんですか!?」
電話越しに、茜はわめきたて、病院の人は落ち着くように促す。
「とりあえず、病院まで来てください」
そう言われた後、必要な物などを暗記し、茜は再び雨の中、家を飛び出した。
茜が風見野総合病院にたどり着き、セレナが運ばれた経緯を聞き、彼女の担ぎ込まれた病室へと向かうと、彼女はベットの上ですやすやと寝息を立てて眠っていた。
「お前、何してんだよ、ほんと……」
あきれたように茜は、眠り姫の顔を撫でる。
少し頬はこけ、生気がなくなっているかのように感じた。
きっと、飲まず食わずであいつの歌を聞いていた、と言うことが推測できた。
改めて、セイレーンの歌に秘められた魔力の強さを実感し、本当に奴に勝てるのだろうか、と言う弱気な気持ちが表に出てきそうになるのをこらえる。
その時、茜はセレナの枕元に一枚の紙切れが置かれているのを発見した。
「これは?」
紙片を手に取り、確認すると、神崎ありさのライブのチケットだった。
「あいつ、こんなものを……」
なんとも言えない気持ちが彼女の中で溢れ、目の前にある机を殴り飛ばしそうになったが、それをぐっと我慢し、チケットを確認する。
すると日付は明日の昼開催、と言うことになっていた。
ふむ、と少し考えてから茜はチケットをポケットにしまうと、眠っているセレナの顔をもう一度見てから、病院を出た。
家に帰るころにはもうすっかり日は暮れ、夜になっていた。
茜の空腹具合は限界を超えそうになっていたが、部屋には先ほど捨てたかびたパンしか口にできる物が無かった。
買い物に行こうか少し迷うも、明日の朝が早いことや、雨が降っていることを考えると、このまま眠るのが最善であると茜ははじき出し、寝ることに決めた。
普段着にしているセーラー服に手をかけ、寝間着である、学校のジャージに着替えようとした時に、茜の手が止まる。
「着替える……、そうか! そういうことか!」
セーラー服の上を脱ぎ捨て、彼女は半裸で小さな子供の様に嬉しさで小躍りをし始める。
「うるさいぞ隣人! 時間を考えろ!」
と言う女性の大声と共に、壁を殴りつける音がし、驚き一度踊っていたへんてこな踊りを止めたが、またすぐに、踊り始めた。
4
翌日もあいにくの雨だった。
だが、昨日セレナから失敬したチケットには雨天決行と明記されていたので、市で一番大きな広場へと向かう。
その途中で見つけたコンビニで、新発売のシチュー入りカツサンドを買い、空腹を満たす。
現場へ入ると、物販があり、かなりの人だかりが出来ていた。
茜も人だかりに紛れるように、入って行き、何を販売ているのかを確認すると、神崎ありさのメジャーデビュー記念のアルバムが先行販売の形で置かれていて、すでに完売していた。
「すごい熱気だな」
この場所の熱気に飲まれそうになり、顔を振り、気を紛らわせ、再び、他の物販を見物し、あまりの値段に目を白黒させていた。
そうこうしているうちに開園の時間になり、アナウンスが入る。
人の海を切り分けながら、進み、入場門にいる係員にチケットを見せ、ライブの行われる広場中央のステージ付近へと向かう。
セレナはかなりいい席を買っており、ステージが目と鼻の先であり、近くには親衛隊、と書かれたお揃いの法被を着た青年たちの集団がいた。
それからしばらく、雨が降る中待たされていたが、アナウンスが再び入り、会場が静まり返った。
そしてしばらくの静寂の後ついに、奴が会場に姿を現した。
「やっほー! みんなお待たせ! 雨の中、よく来てくれたね、それじゃいっくよー!」
小柄な体に、まぶしい笑顔、そして青い宝石のあしらわれたバレッタで留めたツインテールがトレードマークのアイドル、神崎ありさの挨拶と共に、ここしばらく茜がうんざりするほど聞かされている、彼女の代名詞となったメジャーデビュー曲が流れ、野外ライブがスタートした。
順調にライブが進んで行き、会場のボルテージが上がっているところで、今日のラッキーさんは誰だ、と言う催しが行われた。
隣にいる親衛隊たちが、今日こそは姫のおそばに、今日は派手な格好をしてきたから今日は俺だ、と口々に言っていることから、ラッキーさんに選ばれると、この観衆の中、彼女のいるステージの上に上がれる、と言うことを推測した茜だったが、特に気にも留めず、その場で気を抜いていると、ステージ上のありさが奇想天外なことを口にした。
「今日のラッキーさんは、あなた! この前、怖い人に襲われてるところを助けてくれた、赤い指輪をはめた魔法使いのお姉さん!」
その言葉に、会場が静まり返り、シーンとなる。
「は?」
その恐ろしく静まり返った空間で、茜は変な声を上げてしまう。
その声を聞き洩らさなかったのか、隣にいた親衛隊のメンバーが、茜をぎろり、と見つめ、
「姫は純粋無垢な存在であるから、姫が言うのなら魔法使いも存在するのだよ」
と説教をした。
はあ、とあきれ果てるように相槌を打ち、関わっちゃダメな人たちだ、と思い魔法使いとは無関係を装うとしたが、ステージ上にいるありさと目が合った。
ありさはその時、アイドルの顔から、あの日あったアリスと名乗るセイレーンと同じ冷たい、侵略者の顔をした。
「なーんだ、やっぱりいるじゃん、早くこっちに来なよ」
そうマイク越しに冷たい声色でつぶやくと、降っていた雨がさらに強くなり、雨粒が当たるたびに、ありさの姿は海を統べる歌姫、セイレーンのアリスへと変わっていく。
「さ、今度は楽しませてよ、魔法使いさん」
ステージ上から弓を構え、引き、茜たちが立っているところへと矢を放った。
「
咄嗟に身を構え、変身呪文を叫ぶと、指輪の宝石が赤く輝くと、激しい炎が茜を守るように包み、水の矢を蒸発させる。
そして炎は安定し、茜の身体にまとわれ、セーラー服状のローブになった。
「お前が魔法使いだったのか!」
突如、隣にいた親衛隊が襲いかかってきたので、ためらうことなく腰の片手剣を抜刀し、一太刀浴びせると、人の皮がはがれ、あのライブの日の夜遭遇した、魚人間になった。
そこで茜は察した。
「お前らもあいつの仲間だったのか!」
魚人間を切ってしまったことで、剣から力が失われて行ってしまう。
仕方なしに茜は跳躍し、アリスの待つステージ上に着地し、今にも折れそうな剣を構えると、会場から歓声が上がった。
「さ、舞台は整ったね、思う存分やろうか」
対面し、余裕そうな表情を浮かべるアリスを囲むように、親衛隊の面々も壇上に上がり、身構える。
「お楽しみはここからだ!」
アリスはそう言い、弓をつがえ、空に向け放つと、無数の矢が、文字通り、雨の様に降り始める。
何とか茜は、剣を振り回しつつ、矢が直撃するのを防ぐ。
しかし、頭上にばかり気を取られていると、親衛隊の彼らが今度は連携のとれた動きで、茜を翻弄する。
「はい!はい!」
両手に持った、こん棒のような何かを振り回し、次々に、攻撃しては引き下がり、攻撃しては引き下がる、と切り替わりながら茜に打撃を加えていく。
「このっ!」
ようやく、アリスの弓に雨が止み、打撃を加えようとしてきた一人の魚人間の攻撃を避け、一太刀を浴びせることの成功するが、彼らの身体にまとっている水の魔力に耐え切れず、剣が音を立て、折れてしまう。
茜は舌打ちをし、剣をその場に投げ捨て、徒手空拳に切り替え、殴りかかろうとする。
その様子を見た魚たちは、さらに追撃すると言わんばかりに、コンビネーションの動きを速め、次々に茜を持っているこん棒で殴打をしていく。
何度か攻撃をもらったところで、うめき声と共に茜は殴り飛ばされ、ステージの下手の方へと転がって行ってしまう。
「どうしたの、まさかこれで終わりなんて言わないよね?」
魚人間たちに守られながら、アリスはつまらなさそうな表情で転がっている茜を見る。
「ふん、舐められたもんだね」
頭を片手で抑えながら、ゆっくりと彼女は立ち上がり、オタサーの姫とその一行をヤンキーの眼光でにらみつける。
そして、鬼のような形相をしながら片手で髪をかき上げると、左耳のピアスが緑に輝いた。
「あんたたち、あたしを怒らせちまったなっ!
強烈な突風が突如として吹き始める。
左手の指輪の宝石の色が、赤からピアスの宝石と同じ、緑色に変わる。
そして、茜の着ているローブが再び燃え盛る激しい炎になり、風の中へと消えて行く。
一糸も纏わない、彼女の性的なボディを惜しみなく見せつけると、瞬時に茜を守るように緑の風が裸体を隠し、足元から、黒のニーソックス、緑のハーフパンツ、そして、半袖と、一見するとジャージのようなローブに変わった。
「魔力が変わった?」
取り巻き達に守られながら、その様子を見ていたアリスは、目の前にいる魔法使いの魔力を感じ取り、驚いたように目を見開く。
そんなうろたえる様子を見て、茜はにぃっ、と吸血鬼のように鋭くなった犬歯をむき出して、笑う。
その様子に臆することなく、一人の魚人間が果敢に茜に殴りかかりにこん棒を振り回し、立ち向かう。
「遅い遅い!」
しかし、先ほどよりも身軽になった茜はその一撃を苦にすることなく避けると、踏み込み、魚人間のがら空きになった脇腹に一撃拳を叩き込んだ。
が、思ったよりも攻撃に感触がなく顔をしかめると、逆に反撃のこん棒が茜の顔目掛けて飛んで来る。
しかし彼女は、上体を思いきり反らし、そのまま後方へとバク転をしながら回避し、先ほど投げた折れた剣の元へと跳躍し、剣を拾い上げ、それを数回振るう。
すると、剣は息を吹き返したのか、茜の魔力に反応し、彼女の身の丈ほどもある薙刀状の武器へと変わった。
数回ほど薙刀を振り回し、感触を確かめた後、茜は再び、アリスと取り巻き達をにらむ。
「さーって、やろうか」
そう言い、茜はアリス率いる集団へと単身突撃していくと、集団も散開し、迎撃しようと待ち受ける。
「
走りながら、茜は呪文を唱えると、体が更に軽くなる。
跳躍し、まず一人目に切りかかる、魚人間の固い、水の魔力をまとった鱗を薙刀で疾風の如く切り裂き、先までの苦戦が嘘のように有利に立つ。
「まず一人!」
薙刀を持つ手に力を入れ叫び、蹴り倒すと、うめき声をあげ、魚人間は泡になり消える。
倒したのと同時に、背後から二人の魚人がこん棒を振りかぶり、茜を狙う。
「甘い!」
瞬時に振り向き、二人の攻撃を受け流し、よろめいたところへ、見せた無防備な背中に一撃ずつ、斬撃を入れると、叫び声をあげ泡になり消えてなくなる。
「
面倒くさくなったのか、薙刀に魔力を込め、アリス目掛け振るい、風の刃を無数に茜は打ち出す。
無数に風の刃は音速の速さでアリス一向を襲い、あまりの魔力の強さに爆発が起きる。
煙に包まれ、盛り上がっていた会場が静かになった。
「やったのか?」
そう首を傾げた時、煙の中から水の矢が突っ立っていた茜目掛けて、一直線に飛んで来る。
体がすぐさま反応し、矢をかわすと、煙の立っている方へと足を動かし、薙刀を振るった。
鈍い金属音がし、煙が晴れていくにつれて、薙刀を弓で抑える、無傷のアリスの姿が露わになった。
あれだけの攻撃を受け、無傷であったアリスの姿に驚き、一瞬隙が出来たところへ茜は薙刀をいなされ、蹴りこまれる。
数歩よろめくも、茜は何とか踏ん張り、もう一度薙刀を振り回す。
しかし彼女の太刀筋は完璧に見切られており、最小限の動きでアリスにかわされてしまう。
「くそっ」
なかなか攻撃が当たらず、少しずつ茜の頭に血がのぼっていき、爆発しそうになった時、不意にアリスが濡れた地面に足を取られ、滑る。
「もらった!」
絶好のチャンスとばかりに踏み込んで切りかかり、胴体を一閃した。
しかし、不思議と手ごたえがなく、振り返るとアリスは無傷の状態でピンピンとしていた。
「どういうこ……むぐっ!」
突如、茜の口と体が水に包まれ、動きが抑えられ、手から薙刀が落ち、目の前のアリスが見る見るうちに液状になり、消えて行く。
「捕まえた」
茜を包む水からアリスの声がし、口を塞いでいる水が手になり、肩に奴の顔が浮かび上がった。
「ふふ、苦しいかい? どんどん体に力が入らなくなっていくでしょ、キミにはボクの大切な仲間がたくさんやられたからね、その力で還元してもらうよ」
アリスの言うように、苦悶の表情を浮かべ、茜は自身の身体からどんどん魔力が失っていく感覚を覚え、そして地面に膝をついた。
これはかなりまずい、今回ばかりは負ける、と覚悟し、腹をくくった時、ふとセレナと神崎ありさの顔が脳裏に浮かんだ。
「……」
口を塞いでいる水の中、茜は必死に口を動かし、呪文を紡ぐ。
すると、彼女の体全身に強烈な電撃が走った。
「ぐぎゃぁぁぁぁ!」
アリスの悲鳴が上がり、茜の身体にまとわりついていた彼女は水の姿のまま離れ、少し距離を取ったところで元の姿に戻ると、全身から白い煙を噴き上げ、苦しそうな表情を浮かべ、茜を睨みつける。
「キミ、正気かい!? 自分に
肩で息をしながら、心底驚いたかのようにアリスは絶叫する。
「悪いね、これがあたし流なんだ!」
一つ咳をし、口を手で拭うと、先程落とした薙刀を拾い、ゆっくりとしてやった表情で、茜も立ち上がると、雨が止み、風が出始める。
そして薙刀の先端に風が集まり、緑の刃になり、もう片方の刃を空高く掲げると、空気をはじきながら青白いプラズマが発生する。
茜の身体に残っている魔力をすべて解放し、まだダメージの残っているアリスをきっ、と睨みつけ、プラズマの方の刃を振るい、ぶつけて再び動きを止めると走り出し、風の刃を今度は刃先に来るように持ち替える。
「
今度こそ体の中心を切り裂くように一閃し、茜は残心、後ろは振り向かない。
「まさか……ボクが負ける?」
後方で茜の魔力を叩き込まれ、アリスはふらつき、崩れ落ちると、青白いプラズマに包まれ、爆発した。
ようやく茜は振り返り、後ろを見るとそこには彼女のつけていた青いバレッタが落ちていた。
それを拾い、ステージの上から辺りを見渡すと、今までさんざん歓声を上げていた人たちは、眠っているように倒れていた。
「アイドルは夢を見せるもの、ねぇ」
やれやれと、肩をすくめ、騒ぎになる前に茜は元の服装に戻り、この場を後にした。
5
「そうだったんですか、大変でしたね」
パジャマ姿で病室のベットの上に座るセレナはまっるで他人事の様に茜の今までの顛末に感想をつけた。
「おいおいおい、それだけかよ」
来客者用のパイプ椅子に座る茜はガクッと、肩を落とし、苦笑する。
「眠ってる間に事件が解決してしまって、それしか感想が……ただやっぱりマリーに続いてアリスも来たとなると、本格的にこっちの世界と向こうの世界がつながってしまったのかもしれませんね」
考え込むようにセレナはうつむく。
「ま、その時はまたあたしがガツンと戦ってやるだけさ」
そんな彼女の背中を叩き、茜は立ち上がる。
「あれ、何か用事があったんですか?」
セレナは背中をさすりながら、茜の顔を見る。
「ああ、これから図書館の視聴覚ルームでこれを聞こうと思ってね」
そう言って茜は神崎ありさのCDを鞄から取り出し、見せる。
「あれ、でもそれって全部あの後割れちゃったり、再生できなかったりするはずじゃあ……」
「ふふん、あたしのはアリス版じゃなくて正真正銘の神崎ありさ版なのさ」
不思議そうに首をかしげるセレナを置いて茜は病室を出る。
そして病院を出ると、殺人的な暑さと強い日差しに包まれる。
あの日を境に雨雲と言う雨雲はどこかへいなくなってしまい、本格的な夏本番がやってきた。
灼熱の街の中、ふとビルのガラスに映る自身の姿が気になり立ち止まる。
マリーにアリス、戦った二人はいずれも茜の旧友を殺害し、なり替わっていた。
その意味とは何なのか、果たして理由はあるのか、そう考える。
「あーもう、やめやめ!」
髪をくしゃくしゃし、思考をかき消し、リセットする。
手櫛で再び髪を綺麗に整えた後、ポケットから青いバレッタを取り出し、一つにまとめる。
「熱いときはこれだよね、やっぱ」
いい感じにまとめることができ、上機嫌に茜は再び歩き出す。
結局ありさはメジャーデビューと言う夢をかなえることはできなかったが、彼女の残した歌はちゃんと茜が覚えている。
セミの歌声をコーラスに彼女は口ずさむ、この世で誰の記憶にも残っていない親友の歌を。
終わり
BLUE ZONE 夏木黒羽 @kuroha-natsuki
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