特別な眼

@onuphurius

特別な眼




サフィザバールという国のとある一族は特別な眼を持っていました。それは澄んだ泉の水をすくってガラス玉いっぱいに満たしたような瞳に、夜の滴を垂らしたような漆黒の虹彩が、光の加減で星を鏤めたかのように輝くという、そんな稀有な美しさを持った眼でありました。

一族の中でもひときわ美しい眼と容貌を持つライーサという乙女を、王様は娶りたいとお考えになりました。


「ライーサ、お前は私が集めたどの宝石よりも、どの職人があつらえた装飾品よりも美しい。ぜひ、私の妻に迎え入れたい」


ライーサには将来を誓いあった幼いころからの婚約者がいました。二人は片時も離れずに育ち、いずれは夫婦になる運命と互いに思い合う仲でした。


「王様、辺境の民族の出であるわたくしめにそのようなお言葉、勿体のうございます。ですがわたくしには心に決めた婚約者がおります。どうかお許しください」


こう言ってライーサは王様の情熱的な求婚を断りました。ところが王様は、ライーサの婚約者のことなどお構い無しに、二人の仲を引き裂き、ライーサを無理やり自分の妻にしておしまいになりました。そして、婚約者を牢に閉じ込めておしまいになりました。


「ああ、何と不幸せなことだろう。あのひとは今、冷たい牢に繋がれて、寂しくつらく、ひもじい思いをしているのに違いない」


恋人との仲を引き裂かれたライーサには、宮殿で与えられる豪奢な衣装も料理も、すべて色のないもの、味のないものに思えました。

ライーサは落ち込み、日に日にやつれていきました。身体のどこも悪くないにもかかわらず、見えない裂け目から少しずつ魂が抜け出ていくように、ライーサの生気はなくなっていき、美しく澄んだガラス玉のようだった瞳は、磨りガラスのようにくもってしまったのです。王様はこれを見て驚きました。


「これはどうしたことだ。あんなに美しかった瞳が、まるでくすんだ石ころのように変わり果ててしまうとは」


王様はライーサの婚約者に嫉妬なさいました。何としても自分でライーサの瞳を輝かせたいとお思いになった王様は、なんと婚約者の首を斬り落としてしまわれました。


その首を、ライーサの侍女がこっそりとライーサに届けました。


「おお、いとしいひと。こんな姿になってしまったのね」


ライーサは首を抱きしめ、前後左右もあやういほどに混乱し、涙を流して悲しみました。


「あんまりだわ。こうなってしまったのはわたくしのこの瞳のせいなのだわ」


ライーサが涙をこぼすたび、ライーサの瞳は泉の水が枯れていくように淀み、濁ってゆきました。そしてとうとうライーサは視力をうしなってしまったのです。ライーサの一族の言い伝えで、身の内に抑えがたいほどの深い悲しみを抱えた者は、その瞳の輝きをうしない、愛する者さえ二度と映すことが叶わなくなってしまうというのがあります。それが本当になってしまったのです。


盲目となったライーサは、そのとき王様との間に子を身ごもっていました。ライーサは衰弱しきっていたので、子を産み落とすと息を引き取りました。

王様とライーサとの間に生まれた子の眼は、サフィザバールでは平凡でありふれた、緑がかった黒色でした。そのことを王様は非常に残念がりました。

王様はその子にタタンカと名づけました。タタンカとはサフィザバールのことばで「足りないもの」という意味でした。タタンカは名前と生い立ちから、王の家臣にも民にも蔑ろにされ、嘲りの視線を向けられました。

そんな中でたった一人、タタンカに愛情を注いでくれる人がいました。それはライーサの婚約者が王様に処刑されたとき、ライーサに首を届けたあの侍女でした。侍女はタタンカを我が子のように慈しみ、タタンカも彼女を本物の母のように思って育ちました。


「よいですか、タタンカ様。王様やみんなはけっして貴方を要らない子だなんて思ってやしません。貴方の母上はそれはそれは美しい眼をお持ちでしたのよ。でもね、その眼は真に愛するひとをうしなわれたときにすっかり濁ってしまったの。これがどういうわけかお分かりになりますか?」


侍女ファラランカはいつもタタンカにこのように聞きました。タタンカが首を振ると、ファラランカは歌でもうたうようにやさしく、続きを話しました。


「つまり、貴方の眼が黒いのはね、真に愛するひとを知らないからなのよ。だから王様は貴方にタタンカと名付けられたのだわ。貴方が真に愛するひとを見つければ、貴方の眼は母上と同じ、美しい眼に生まれ変わるのに違いないのだわ」


タタンカはファラランカのことが好きでしたが、ファラランカの言っていることがよくわかりませんでした。特に、愛する、ということの意味を掴むことがどうしてもできませんでした。母であるライーサが真に愛したひとの首を抱いて泣いた話と、自分自身とが結びつかなかったのです。何しろタタンカはライーサと王様との間に生まれた子なのですから。そして、真に愛するとは何か、自分にもできるのか、不安でおそろしくて、ファラランカにさえ訊くことができませんでした。


やがて月日が流れ、タタンカは16歳になりました。王宮から町へ降りても誰にも何も言われないので、タタンカはよく町へ出かけていきました。王様はタタンカのことなど忘れて、ライーサの一族から何人もの妻を娶りました。そのさまはライーサの面影を探すというよりは、素晴らしい宝石を採掘するという方がはるかに近い、と家臣や民は噂し合いました。


タタンカが町を歩けば憐れみと軽蔑のこもった視線があちこちから向けられますが、タタンカにとってはそんなものは慣れきったものでした。

タタンカが悠々と町を歩いていると、正面から少女が走ってくるのが見えました。


「ごめんなさい!ちょっと急いでいるのよ!」


少女は市場の混雑を物ともせず、ちょこまかとネズミのように動き回ります。だんだんとこちらにせまってくる少女を、タタンカは網漁でもするように両手を広げて捕まえました。


顔を覆うように布を被った少女は憤慨し、「何をするのよ!」とタタンカを蹴飛ばします。背の高いタタンカは、自分ならこの混み合った場所を抜けて少女の行きたい場所に連れていってやることができる、と考え、少女を担ぎ上げました。もっとも、少女にとってはいらぬお節介と見えて、しきりに手足をばたつかせていましたが、やがて観念したのか身動きしなくなりました。


「どこへ行きたいの?僕が連れていってあげるよ」


タタンカは幼い子をあやすように言いました。


「あら、わたし、これでも16歳よ。自分の足でどこへでも行けるわ」


「16歳だって?」


タタンカは驚いて、少女の顔をのぞきこもうとしました。しかし少女は布を深くかぶってタタンカの目をかわしました。


「降ろしてくれないのならいいわ。そのまんま王宮へでもどこへでも連れていってちょうだいよ」


ずいぶん投げやりなことを言うものだ、とタタンカは思いました。人混みを抜けたところで、タタンカは少女を降ろしました。

少女は気取って、まるでお姫様のようにいやに丁寧な仕草で「ありがとう、王子様」と頭を下げました。


「あんなに急いでどこへ行こうとしてたんだい?」


「そんなの、あんたには関係ないわ。タタンカさん」


小馬鹿にしたような口ぶりで少女は言いました。少女がタタンカの前から逃れようとしたそのとき、タタンカの目に少女の眼がはっきりと見えました。それは母ライーサの一族の眼に他なりませんでした。


「待ってくれ、君のその、眼!」


そう言った途端、少女は怯えたように身をすくめたかと思うと一目散に駆け出そうとしました。しかしタタンカはその肩を掴まえて離しませんでした。


「君の一族は、その……」


「そうよ、あんたたち王族はわたしたちの眼がずいぶんとお気に入りのようね!それでとうとうわたしも目をつけられたのよ。王宮での窮屈な暮らしなんて、絶対にお断りだわ!」


少女はそう息巻いたかと思うと、肩を落としてうなだれました。


「わたしの母も妻に娶られていったのよ。こんなのあんまりだわ。絶対にお断りよ……」


そのつぶやきをかき消すように、タタンカの背後から兵士たちの鎧の音がせまってきていました。タタンカは、この少女と自分の境遇が、今まさに重なろうとしているのを感じ、激昂に震えました。

そして、タタンカは少女をふたたび担ぎ上げました。


「絶対にお断りなら、もう少しだけ辛抱してくれ」


タタンカは少女を担いだまま全力を尽くして走りました。たとえ四肢がもげても構わないという気持ちで、けれど今だけはこの少女のために走らせてくれ、と念じながら走りました。この時のタタンカの行く手をはばむことができるのは全能の神くらいのものだったでしょう。

宮殿の門をくぐり、そしてたどり着いたのは王の間でした。

タタンカは近衛兵から剣を奪い取ると、その場で有無を言わさず王の首を刎ねました。


「さぁ、これで君は自由だ」


少女は目の前で血飛沫をあげて倒れ臥す王様の姿に声も出ない様子でしたが、タタンカを見上げ、涙を流して喜びました。そして、はっと驚いたようにタタンカの眼を見つめました。

タタンカの眼は、彼の母ライーサの眼と同じ、ガラスの泉と漆黒の夜空へと変化していたのです。しかし彼自身はそのことに気づかないまま、ただ父王の首と、少女の顔とを交互に見ては、悲しみとも喜びともつかない涙を流すのでした。





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