第10話 けなげ

 電車の中だった。

 かなり混んでいる。車椅子を支えにしながらようやく立っている、といった様子のおばあさんをぼくは見つけた。

 座っていたぼくは、すかさず声をかけた。


「おばあさん、ここの席をどうぞ」

「あらまあ坊やいいのよ、あなたが座っていて」


「いえ、ぼくは立っていても平気です。おばあさんは辛そうじゃないですか」

「そうねえ……でもわたし以外にも座りたい方はいるでしょうし……」


 それもそうだ。

 ぼくはなぜ目の前のおばあさんを優先して座ってもらおうとしたのだろう。

 悩んだ。


「みんな座りたいけれど我慢して立っているものなのよ」

「それは……わかりますが……」


「坊やも歳を積み重ねればわかってくるわ」

「そうなのですか?」


「ええ。世の中、善意……よい行いをすればいいというものではないの」

「善意はいけないことなのですか?」


「いいえ、坊やは正しいわ。なにもかも。でも正しさが正解とは限らない、と言ったらちょっと難しいかしらね」


 おばあさんはすこし寂しげに微笑んだ。

 ひょっとしたら、とぼくはおばあさんに聞いてみる。


「ぼくは身勝手なのでしょうか?」

「ほんとうに利発な子ね。でも深く考えすぎちゃ駄目よ。あなたは正しい行いをした。それだけを覚えておけばいいの」


 正しいことが正解とは限らない。

 ぼくは身体が落ち着かず、むずむず感にむしばまれた。


「おばあさん、本当に座らなくていいのですか?」

「ええ、坊やが座っていなさい」


 重ねて聞いてみても返ってくる答えは同じだった。

 社会って複雑だなと、ぼくは停車駅に着くまでずっと考えていた。



検索単語

※すかさず

※利発

※むずがゆい

※むしばまれる

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る