第4話 おくびょう

「ひぃっ!?」


 友人が突然、驚いたような声をあげた。


「どうした?」


 おれは聞いてみる。


「あ、あああ、蟻! 手に蟻が飛んできて止まった! ひぃっ!」

「今日は風があるからな。流されて留まったんだろ」


 なお、普通のどこにでもいそうな黒蟻だった。

 毒性なんて感じない。どう考えても無害にしか思えない。


「とって、とって、とって!」

「はいはい」


 おれは、ちいさな黒蟻をつまんで、放り投げてやった。

 風に乗って黒蟻はどこかへ飛んでいった。


 ため息をついて友人に尋ねてみる。


「ったく、なにがそんなに怖いんだよ」

「蟻だぞ!? 虫だぞ!? 怖いに決まってるだろう!」

「あんなにちいさいのにか?」

「ちいさくても虫は虫だ!」


 虫によっては怖いというのも、うなずけるのだが。

 蟻を怖がる男子高校生は普通なのだろうか?

 まあ、おれも蝉は怖くて触れないから人のことを言えないかもしれないけど。

 蝉なら現代日本では触れる人と触れない人が半々らしい。


「どっか行くか?」


 友人に提案してみた。


「虫はもういやだ……」

「じゃあ屋内にするか。ファミレスでいいか?」


 友人がこくりと頷いたので、近場のファミレスまで歩くことにした。

 おいおい、おれの背中に隠れても飛んでくるものは飛んでくるぞ。


 ファミレスにつくと、女性店員さんが迎えてくれた。


「いらっしゃいませ! 二名さまでございますか!?」

「ひ、ひぃっ!」

「お、お客さま、どうかなさいましたか!?」

「あ、いえ、なんでもないっす。二名でよろしくお願いします」


 女性店員の問いかけに対して、おびえたようになる友人。

 その様子を怪訝そうに尋ねてきた女性店員。

 おれは、雰囲気をよくしようと愛想笑いで申し出た。


「かしこまりました! こちらのお席にどうぞ!」


 元気のいい女性店員さんに先導され、おれたちはテーブル席に座った。

 そして、案内されている間もおれの背後に隠れていた友人に聞いた。


「今度はなにが怖かったんだよ」

「あ、あの女性店員さん、声がおおきすぎだよ……」


「元気がいいのは素晴らしいことだと思うが」

「限度ってものがある!」


 つまり、友人にとっては、女性店員の接客は過度な大声に聞こえたということか。まあ、言われてみれば大声といえば大声だったような気もする。おれには、元気があるほうの印象が強かったが。


 びくびくしている友人を見ていると、ファミレスも失敗だったんじゃないかと思えてきた。


「なあ?」

「……」

「なあってば! おい!」

「あ、な、なんだ?」


 身体を可能な限り丸くして縮こまっていた友人を見かねた。


「なにをそんなにおびえている」

「……人の多いところ、というか騒がしいのが苦手なんだ。怖い」

「そ、そうか」


 やはりファミレスは失敗だったらしい。

 ドリンクバーだけでも飲んでさっさと出るか。


「お冷やです!」 お冷や:水のことだよ!

「……」


 友人はもはや、彫刻『考える人』のごとく黙想に逃げてしまったらしい。

 反応がない。


 と、友人の手に、氷水でキンキンに冷えたガラスカップが触れた瞬間。


「ひいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!」


「きゃあ!?」

「どうした!!」

「なんだなんだ!?」


 絶叫が店内にこだました。

 そう思うくらいのでかい声が耳に響いた。


 店内にいた客が騒然とし、店員さんもどうかなさいましたか、と寄ってくる。

 おれはなんとか、「なんでもないです、なんでもないです、すみません!」と、頭を下げて平謝りを周囲にした。


 そして、店内が落ち着いたところで向き直り、椅子に座った。


「今度はなんだってんだ?」

「手の甲! 手の甲が爆ぜた!!」


 なにそれ怖い。

 じゃなく。


「冷えたコップが当たっただけだろう。見てなかったんだろうけど」

「えっ、そ、そうなのか? あ、ある! 手がある!」


 こいつ、すげえ妄想するよな、とおれは感心した。

 手が爆ぜたって、なにがどう起こればそんな現象になるっつーんだ。

 おくびょうは悪いことのように判断されがちだけれど、きっと普通のやつとは違った素敵な世界が見えているんだろう。

 おれは、びくびくしながら冷水をすすっている友人を、微笑ましく思いながら眺めたのだった。

 


検索単語

※おびえる

※怪訝

※取りなす

※申し出る

※先導

※見かねる

※黙想

※こだまする

※平謝り

※すする

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