プールに浮かべられたケージは、船団を形成するように中央に集まっている。ユウリがタイムバーを操作して巻き戻すと、その船団はプールのあちこちに散らばっていく。


「この中央がネコってこと?」

「らしい」


 もはやロゼールにも言葉がなかった。


「ひどいことに」


 動画を逆に進めると、次には鉢植えまで浮かべてあり、みるみるうちに右隅に置かれていたネコのケージに吸い寄せられた。


「植物も?」

「らしい」


 『空き箱のネコは周囲の全生物を引き寄せる——ボックス・キャット理論』


 数年前にソイエンス誌に掲載されていたというその理論は正しかったことになる。ポッド試験のデータも重力の増加こそ示していなかったが、猫力フェリシティによる航行が可能であるという恐ろしい事実を明るみに出していた。


「……それであんな計画がでたってわけね」

「テリーは賛成だそうだ」

「そうなの? 片道切符でしょ?」

「いかにも」


 テリーはいつも通り手足をピコピコと動かしながら、適当にその体を回して遊んでいる。とても悲惨な計画を押し付けられたあとの知的生物とは思えなかった。


 外宇宙生命遺産計画、通称ぼいにゃー計画。つまりは規格外の推進能力を持ったテリーを推進機関として搭載し、太陽系外まで地球の遺産を放り投げようという計画だ。

 人類が高度な文明を発達させたという証拠を宇宙空間に残すことのできる最後の機会とはいえ、宇宙に適応した貴重極まる新種生物であるテリーを犠牲にするのはあまりに大きな損失だった。


「人間や機械では命の波を感じ取れん。しかしテリーズ・アルティメット


猫力フェリシティ


「それがあれば、他の恒星系の生物量がわかる。無事に届けられる公算が高い」


 二人は手すりで体を支えたまま考え込む。


「……だけど、こう言ったらなんだけど、人間の都合にネコが付き合う義理はないでしょ? なにも吹き飛び自殺みたいな真似しなくても……」


 テリーの回転が止まる。


「違うな、人間」


 ペロリと口のあたりを舐めると、話を続ける。


「それは地球と人間を中心にして見た、猫動説だ。たしかにテリーは離れるが、宇宙の理ではテリーの方が中心だ。つまり地球と人間がテリーから離れる」


「……そりゃ見方の問題だろ」


「いや、真理の問題だ」


 あまりにも強い断言に、人間は二人で顔を見合わせる。


「人間文明が滅ぶのはネコにとっても都合が悪い。そこで急いで進化することにしたのがこのテリーだ」


「……それはって話か?」


「いや、真理の問題だ」


 体を手すりで支える二人は、揃って反対の手で頭を抱えた。


 しかしユウリにはうなずけるところもあった。テリーの言動はいつも偉そうであると同時に、どこで身につけたのかわからない知識が山ほど含まれている。

 どんな人間であっても、生まれて2年でこういう話し方をすることはない。ましてや学習ツールなど存在しないこの生物実験モジュールに幽閉された状態でだ。なぜテリーが読書や教材学習なしに知り得ない知識を得ているのかは、長く疑問に思っていたことでもある。


 少しでも疑問が解決できるなら、テリーの珍説に付き合うのも悪くはない。


「ひとつずついこう。まず進化することにしたっていうのは、誰の意思だ?」

「ネコの集合的無意識だ」


「お前はどうやってそれを知った?」

「遺伝子と進化の波を感じ取れば大抵のことはわかる」


「それで、人類文明が滅んで困る猫たちのために外宇宙に行って、何をするつもりだ?」

「外宇宙に行くのではない。


「……じゃあテリーから離れた地球は何が変わるんだ?」

「不安か?」

「いや、どちらかといえばテリーが孤独に餓死することの方が不安だ」

「なるほど」


 テリーは生物実験モジュールの奥の壁まで大きく下がる。


「テリーがいなくなれば、地球は変わる。何か他の中心が必要になる」


「ネコの他にってこと?」


 ユウリの後ろからロゼールが進み出る。壁に数回手をついて、テリーの前で止まる。


「女が子を産むときには、不安を感じるかもしれない。だがいざ産まれてみれば、もう不安など覚えていない。誕生の喜びがあるからだ」


「……わからないな」


「もう一度会える。不安はいっときのものだ。テリーに代わるテリーが現れる」


 その引用に気づいたのは、テリーが宇宙の彼方に旅立ち、ユウリがロゼールとともに地上に帰還したあとだった。

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