変化する一角
第1話
至って平凡な高校生活を送っていた俺にとって
時期外れの編入生というタグは日々巻き起こる雑多な出来事に埋もれ、一週間もすると注意深く耳を傾けなれば耳にしないほど、自然と消えていった。
あんな奇行を編入初日から遂行するような変人が埋もれるものかとも思ったが、別にステージで裸で踊り狂ったわけでもない。目撃したのは俺だけ。変人は変人でも弁える変人だったならば、それも不思議ではないのかもしれない。
もし俺があいつはおかしい奴だ、と吹聴したところで俺の方が逆におかしで失礼な奴だというレッテルが張られるぐらいには禾森は笹野平高校に馴染んでいるように思える。
そう。馴染んでいる。
人間関係がある程度構築された五月という時期の編入にも関わらず、禾森はクラスに馴染んでいるらしい、と百々原から聞いた時、俺は溶け込むの間違いじゃないのかと反論した。
それは人の感じ方次第じゃないかな、と苦笑していた。ツッキーの場合は溶け込むという表現が実に合っているけれどね、とも。
俺に関する評価に異論はなく、禾森の評価に反論を続ける特別な理由もないため、俺はすぐに反論を取り下げた。表向きの話であるが。
「
今も心の内で禾森のなかはクラスに上手く溶け込んでいるだけの変人だ! と叫ぶ俺の主張を、本人を前にしても取り下げる気にはなれなかった。
◇◆◇◆
放課後、相も変わらず人気の少ない図書室の利用者は俺と綴子さんだけだった。
だが一週間経った今でも禾森は一人で図書室にやってきては貸出カードを確認する奇行を続けていた。恐らく今日も来るだろう。
俺が図書室を利用するのは毎日ではないが、綴子さんによれば禾森は毎日やってきているらしい。綴子さんに禾森の奇行がどう映っているのかは知らない。尋ねられれば答えるが、俺の方から奇行の解説をする義理はないし、特に禾森もそれを求めているとは思えない。
だが人目を気にしているのか、それとも最初からそうと決めていたのかは知らないが、禾森が放課後にチェックする本棚は一か所ずつ。それが終わるとチェックし終えた本棚から一冊を手元に置き、俺の対面の席で読書に勤しむ。
図書室をどう利用しようと、他人の迷惑にならないのであれば図書委員でもない俺は文句を言える立場ではない。だからたとえどれだけ席が空いていても、何処に座ろうとそれは個人の自由である。
けれど、毎度毎度帰るタイミングを俺に合わせることに関しては苦言を呈したい。
別に俺は禾森と待ち合わせをしたわけでも約束をしたわけでもない。借りた本を読み終えたら、或いは読み終えそうになったら図書室へ赴き、次なる一冊を借りるという自然と組まれ始めたルーティンに従っているだけだ。
だというのに禾森は俺が荷物を持ち、席を立てば「帰るのかい? なら私も」とそれを追うように席を立つ。
それが一度や二度ならば何も言わないし、他に利用者がおらず、俺が去れば綴子さんと二人きりになる時などは納得も出来る。
静寂が常の図書室であっても、先輩と二人きりという状況を良しとしない人もいるだろう。
しかし、禾森は俺が利用していない時も図書室を利用している。その中には当然、綴子さんと二人きりという日もあっただろうし、そうでなくとも俺以外の一年生が利用している時でも俺に合わせて席を立つのだ。
「ツッキーくん、もう一週間以上経つのだし、図書室以外で遊んだりしないの?」
何が言いたいのかといえば、こういった勘繰りをされるのは非常に面白くない。
「それともお休みの日には何処かに連れて行ってあげたりしたのかしら?」
「何の、誰の話ですか」
あらあら、といかにもなお姉さん感を漂わせながら綴子さんは困ったように笑い、そして当然のように禾森の名前を出した。
「禾森さんの話よ。図書委員として、図書室内でのおおっぴらな異性交遊は推奨できないけれど、外でなら口出しする必要ないもの。デートが図書室ばかりじゃ退屈じゃない?」
「綴子さんは重大な勘違いをしている」
俺と禾森は彼女が想像しているような関係にはないし、なんなら友人関係ですらない。
この図書室での会話は精々挨拶ぐらいなものだし、図書室以外では階段での帰り際にさよならを交わすぐらい。そう、階段でだ。
図書室のそばには東階段が、反対側に西階段が設置され、そこを下りた先、活動前に外靴に履き替える一部の部活を除いては一階中央の正面玄関で上履きから履き替えなければ帰宅できない。
当然、図書室を出たすぐ先にある東階段を使うルートの方が玄関までの距離は近い、だが俺と禾森が足並み揃えて階段を下りることはない。
俺は東階段を、禾森はわざわざ廊下を渡って西階段を使って玄関に向かう。距離が短い分、玄関に着くのは俺が先だ。
編入翌日、最初は西階段に向かう禾森に何か用事があるのかと尋ねた。
するとあいつは「おや、部活にも所属していない男女が放課後に連れ立って帰ってしまうことになるけれど、君は良いのかい?」などとからかいの笑みを浮かべて答えたのだ。
俺としても妙な噂が流れて百々原たちの耳に入っても面倒だし、俺の歩く距離が増えるわけでもないから「そうか。それは良くないな」と返すに留めた。
それ以降、俺と禾森は東階段前、図書室から半径五メートル以外で会話を交わしたことはない。
だが別にそれ以外で無視し合っているということもなく、ただ単にA組の俺とC組の禾森では出くわす機会がないのだ。
笹野平高校の一年生の教室は三階、二年生は一階、三年生は二階と少しややこしい割り当てをされている。当然、A組とC組は同じ三階に配置されているが、A、B組とC、D組の間には二つの特別教室が挟まれており、文字にするよりも教室の位置は離れている。
休憩時間に廊下に出たくらいではC、D組の生徒を見かけることはほとんどない。
例外はトイレぐらいだが、用を足す時にトイレに向かう生徒を注視するはずもない。それはマナー違反というものだ。
だから俺と禾森は図書室以外で顔を合わせたことはない。その図書だって待ち合わせしているわけでもなく、互いが互いの目的の為に利用しているに過ぎない。だったら帰る時間をずらせとは思うが、それを伝えても「あまり根を詰めてやるものでもないからね、君はいいアラーム代わりなんだ」と返されてしまった。別にそれだけなら俺に実害があるわけでもないし、好きにさせている。
ということを丁寧に説明し、納得してもらえたかと思えば綴子さんは唇を尖らせた。
「あのね、ツッキーくん。私もあなたがそこまで手が早い子だとは思っていなかったけれど、それでもその対応はどうなのかしら?」
「と、いいますと」
「禾森さんに聞いたの。いつも授業が終わって暫くしてから図書室に来るけど、何か用事を済ませてから来ているの? って。ほら、今日だって同じ一年生のツッキーくんが来てからもう三十分は経つのに来ていないでしょ?」
「禾森はもう随分とクラスに溶け込んでいるようですから、友達と話してるだけじゃないんですか」
部活も用事もないのにクラスに残り、友人と喋っている生徒は俺のクラスでも珍しくない。
俺の場合は百々原が放課後になるとすぐに弓道部の道場に向かうから誰に呼び止められるでもなく図書室に向かえるだけだ。
「そうね。その通りよ。図書室では決まりに則って物静かだけど、話しかければしっかりと返してくれる。その容姿で気後れしちゃったけど、中身は普通の女の子なの。私も一昨日はネッシーが実在するかどうか熱く談義したりしたもの」
「そのチョイスで盛り上がれるのは普通なんですか?」
「普通でしょう?」
普通ですか。
「だからクラスの友達とは遊んだりしないのかって聞いたら、そうしたらクラスの子たちとは毎日話せるけれど、ツッキーくんと話せるのは此処だけだからって。遊びに誘われても理由をつけて断って、図書室に来ているんだって」
「はあ……」
気のない返事になってしまったが、禾森がそんなことを言っているとは思わなかった。
ただそれは俺が落ち着いた今ではなく、編入初日という一番多くの人間が押し寄せる中で、必要最低限の会話しかしない、珍しいタイプだったから印象に残っているだけではないのか。
荒波の如く押し寄せる同級生や野次馬たちの中で、ただ俺だけが流木のように何をするでもなく漂っていたからというだけではないだろうか。
……ま、単にからかっているだけだというのが有力か。でなくとも禾森が何を考えているのか、なんて俺には分からん。
「なにもデートに誘えって言ってるわけじゃないのよ? でもせっかく会いに来てくれてるんだから、ツッキーくんからも歩み寄ってもいいと思うの。あんなに素敵な子なんだもの、ツッキーくんだって仲良くしたいでしょ?」
ふむ。俺は男女間の友情が成立するか否かという問題は肯定派である。
何でもかんでも恋愛事に結び付ける短絡的思考を好まない。
禾森の言ったように二人きりの下校を見られるのは面倒な話になりそうだが、図書室内に限れば綴子さんが居るし、大きな勘違いを引き起こすことはないように思える。
クラス内での禾森の立ち位置がどういったものかは知らないが、まさか男子と話していただけで騒ぎになるほど手が届かない高嶺の花というわけでもないはずだ。
俺は誤解を避けたいだけで、別に禾森を遠ざけようとしているわけではない。変人だとは思うが、実害はないからだ。
「だからもう少し、女心について考えてみてほしいな」
「善処します」
短く簡潔に、かつ曖昧な返答であったが綴子さんは満足してくれたらしく、満足気に頷きを繰り返した。
しかし、歩み寄れと言われてもどうしたものか。
綴子さんの話からすると、落ち着いた今では会話を嫌っているわけではないらしいが、だとしてもあいつは沈黙を苦にしないタイプに思える。
だが綴子さんのように特異な話題がない俺では、クラスの連中に散々されたであろうありふれた質問しか用意できない。
おや、これは中々の難題だ、と思ったが手元に置かれた文庫本を見て、単純な話だと考えを改める。
此処は図書室である。禾森の調べものは図書室本来の用途から外れているとはいえ、その時間を除けばあいつも読書を嗜んでいる。
あいつが読む本のジャンルは雑多で共通性がなく、好みのジャンルというのは見当もつかないが、俺も特別好むジャンルはない。
であればこれまでの読書歴なり好きな本なりを聞けば、そこから話題は広がるだろう。まさか「参考書が一番好きかな」とは言わんだろう。そうなったらお手上げだ。友人にはなれそうもない。
そうして禾森に振る話題を決めた所で丁度良く建付けの悪い図書室の扉が開いた。
「失礼します」
わざわざ図書室に入室の挨拶をして入って来る奴を俺は一人しか知らない。
目を向ければ長い黒髪を揺らし、顔を上げた禾森の姿が見える。
「こんにちは、禾森さん」
「こんにちは、綴子さん」
嬉しそうに禾森を出迎える綴子さん。その姿はまるで久しぶりに娘に会った母親のようにも、女っ気がないと思っていた息子が突然連れて来た女友達を見た母親のようにも見える。
「こんにちは、槻沢くん」
「ん」
毎度俺の苗字を淀みなく呼んで挨拶してくる禾森だが、いつか絶対噛む日が来るだろう、とその瞬間を見逃さないために俺も挨拶は目を合わせてする。
そうして挨拶を交わした後、禾森は席には着かず、今日の本棚に向かうのがこの一週間の流れだった、のだが。
今日はいつもとなにか様子が違った。というより禾森の姿に違和感を覚えた。
なんだ? その姿に不思議なことはないのに、何故か違和感がある。
……そうか、鞄だ。
普段、禾森は学校指定の通学鞄を持っていない。校内だったからあまりに気にしていなかったが、恐らく玄関までのルートを遠回りするだけでなく、あえて教室に鞄を置いたままにして、それを取りに行く時間で下校時刻を調整していたのだろう。
しかし今日は通学鞄を肩に下げている。放課後の学生としては何も不思議はないから、俺が違和感を覚えたのはそれだ。
今日になって持ってきたのはこの一週間で俺の歩行ペースからわざわざ教室を経由する必要はないと判断したからだろうか? なんであれ、特に指摘することでもない。
今日も禾森は奇行に走る。そこに変わりはないのだから。
「槻沢くん」
そのはず、だったのだが。
「付き合ってもらえないかな」
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