第91話 これがマリッジブルー?

 ストーカーはが効いたのかもう現れることなく、安心した彼女とヨッシーの付き合いは順調に進んでいるようだ。

 そして僕は大学が始まった。



「マナっ、おっはよー!久しぶりっ」と朝一でホリジュンにつかまった。相変わらずパワー全開だ。


「おはようございます。早いですね、どうしたんですか?」


「日柴喜君と春休みに行った東南アジアの現地調査をまとめにね。マナはハワイどうだった?」


「はい、ドレスとか式場のあれこれを決めてきました」


「ふーん、順調でなによりだね。そうだ、、にならないの?」と意地悪そうに(でも魅力的に)厚い唇を歪めて僕に聞いた。


って?」


「マリッジブルーってやつ」


 僕は初めてそんな言葉を聞いた。


「…昭和の言葉ですか?」


「失礼な、マナが知らないだけで平成にもあったよ!結婚前に不安になるの。そうね、マナにはなさそうだけど、彼にはあったりして…今ごろ浮気してるかもよ」と言ってから、僕の微妙な表情の変化を見てしまったと感じたらしく、


「け、研究室にいるから。じゃねー」と手を振ってそそくさと行ってしまった。


「もー、本当に失礼だな、ホリジュンは…」と僕は思わずつぶやいた。


 でもマリッジブルーか。

 考えてみたが、特に生活が変わらないからなさそうだ。でもリアムはどう思っているのか。

 僕みたいに乱暴で自分を抑えられない未熟な女性との未来に不安を感じないのだろうか?


 彼は平和主義で暴力を何より嫌っている。

 今は僕を好きだと言ってくれているが、能力がなくなったら僕のような乱暴なパートナーに嫌気がさしてこっそり浮気をするのかもしれない。

 僕は怒りをコントロールできる大人の女性に変われるのだろうか?


 信頼するホリジュンに言われたのも大きかっただろう、負のスパイラルは加速し、不安が僕のなかで急速に増大していった。




「可愛いな、マナは。そんなの誰だって不安になるンよ、他人と結婚するンやもン。マナは大丈夫やで自信持ちなっ」


 週末のバイトでザキはそう僕を励ました。でも彼女は僕の暴力的な部分を知らないのだ。僕が黙り込むと、


「そうや、今日バイト終わったらケーキでも食べに行くか?」と誘ってくれた。


「うわっ!嬉しい…っと、今夜はカイがここに来てカテキョーなんでまた今度行きましょうよ。やった、嬉しいっ」


 僕はリアムと電話がつながるのが怖いので、今夜はカイに来てもらってここの管理棟で勉強することにした。彼は意外と鋭いので僕の不安に気が付いてしまいそうだ。その不安の源である僕の制御できない暴力性にも。


「マナ、あんま一人で悩まない方がええで。リアムに会った時に直接聞いた方がずっとすっきりすると思う」とザキは親身になってくれた。


 でも、僕がザキのストーカーにキレて彼を少々と車をボコった話なんてしたら、すんごく怒られるにきまってる。そして何が一番怖いって、やったことを全く後悔してない自分が怖い。





「マナ、元気ないね。どうしたの?」


 カイが勉強の休憩時間に心配そうに僕に聞いた。1階にはルイが夜勤で入っていた。

 ここは静かで勉強しやすい、とカイが言うので、たまにここで勉強する。カイの父が送り迎えをしてくれるのだ。



 バイトの後、カイが火起こししてご飯まで炊いておいてくれていたので、二人で煮込みハンバーグを作った。

 作るとは言っても、僕が家でたくさんハンバーグを作って冷凍しておいたものを3つ常温で戻しておき、冷蔵庫に残っていたキャベツやキノコ、にんじん、アスパラ、ブロッコリーなどの野菜を適当に切ったものと日清のレトルトナポリタンソース『マ・マー トマトの果肉たっぷりのナポリタン』を鍋に入れ煮込み、最後にチーズを入れて完成だ。

 野菜も肉も取れるので、育ち盛りにはいいだろう。


「いただきまーす」


 カイがいつの間にか一人で上手に飯盒はんごうでご飯を炊けるようになっていた。成長を感じる。

 大き目の皿に少しお焦げのあるいい具合のご飯と煮込みハンバーグを一緒に乗せた。洗い物を減らす為だ。


 カイは大きな口でパクパク食べる。そう言えば初めて会った時もよく食べると思ったが、その時よりたくさん食べるようになった。もうすぐ出会って1年になる。

 相変わらず嬉しそうに食べるので、見ているだけで気持ちがいい。


「どうだい?ハンバーグ2つではもう足りないかなぁ…良かったら半分あげるよ」


「うーん、すんごく美味しい。マナのを貰うのは嫌だから2つで大丈夫。でも、今度からは3つがいいな…」と遠慮がちに言った。


「了解!」


 ほどほどの酸味とゴロゴロ入ったトマトの果肉がハンバーグに合う。何より余った野菜を使えることと、簡単に出来るのが嬉しい。


「これ食べたらめっちゃ勉強できそう?」


「もちろん!マナってすごいね、いつも美味しいもの作ってくれてさ」


「いやいや、結構失敗してるよ。カイには出さないだけで…」と少し前に失敗した料理の数々を思い出す。

 美月の残したスパイスで何度失敗したことか…今日の成功は昨日までの数多あまたの失敗の上に成り立っているのだ。


「へー、でもマナと一緒に作って失敗したらもっと楽しそう」とカイが恥ずかしそうに言ったので、なるほど、と感心した。そういう見方も出来るのだ。さすが若くして苦労してきただけある。


 食べ終わり、洗い場ではカイはかなり年上の常連さんと普通に話している。

真面目で真っ直ぐなカイは、彼らに可愛がってもらっている。

 ここに来ている色々な年代の人たちと関わることで、カイの人生が深く豊かなものになればと思う。同じ年齢の集団だけで育つと、社会に出た時にうまく上の人と付き合うことが出来ずにバランスが悪い人間になりがちだ。僕のように。


 僕らは簡単に洗い物だけ片付けて、管理棟の2階で勉強を始めた。




「ああ、ごめん。何でもないんだ」と僕が答えると、カイが怒った。


「もう!すぐに何でもないって言わないで、たまには俺にも話してよ。美月がいないから?」


 リアムみたいなことを言うのでびっくりした。でも子供に指摘されるなんて…情けない話だ。


「ああ、そうかも。美月にリアムの事相談してたから…美月がいなくなって聞けなくなっちゃったんだ」


「ふーん、そっか。じゃあさ、俺美月のアドレス知ってるから、聞こうか?マナが今こうやって困ってる、って書いたら、いい答えを教えてくれそう」


 僕は驚いた。

 美月と連絡とってるんだ!さすが兄弟みたいに仲良しだっただけある。


 確かに美月なら良い答えを教えてくれるだろう。

 でも、どうなんだろう?僕は(一応)振ったほうだからそれはルール違反な気がする。


「止めとく。じゃあお言葉に甘えて、正直にカイに相談しちゃおうかな」


「え?本当に?嬉しいな、何?」と彼は前のめりになって聞く準備をした。


 僕は警察に捕まるから絶対に内緒だよと念押ししてから、先日のザキのストーカーの車と携帯を金属バットでボコってお仕置きした話をして、そんな人間でも結婚してもいいものか、と正直に相談した。

 カイは驚いていたが、聞き終わって大きくため息をついた。

 

「ふー、マナやるね…成人女性の悩みとは思えない…びっくりしたよ」


「ナイショ、だよ」と僕が口に指を当てて言うと、


「誰も21の女の子がそんなことするなんて信じてくれないよ。で、マナはやったこと後悔してないんでしょ?」と聞いた。


「うん…それもちょっと自分で引いてるんだけどね…」


 少し考えてからカイが口を開いた。


「そういうとこあるよね、マナって。前さ、俺がクラスメイトに将来の夢をいじられた時にマナがキレてたでしょ?」


「うっ…やだ、全然キレてないよ?」と言ってはみたが、ずいぶん頭にきてた記憶がある。カイに指摘されるなんて情けない。


「うそ。客観的に見てめっちゃキレてた。でもね、それで俺とっても嬉しかったんだ」


「嬉しかったの?」


 僕の人格を疑われたと思ったが、意外な言葉が返ってきた。


「うん。俺の夢の為にマナが誰よりも怒ってくれてるって思ったら、こうさ、身体の中心からじんわり温かくなる、っていうか、壁に立ち向かう勇気が出るっていうか…」と少し赤くなって言った。


「うん、わかる気がする」


 僕がナユをいじめたやつらをボコった時に空手の師範や母親が優しくかばってくれた。そのとき、そんな気持ちになった事を思い出した。


「じゃあさ、いいんじゃない?きっとザキさんもマナが撃退したって知ったら感謝すると思うよ」


 いやいや、さすがに引くと思う。


「うーん、もっとこう、自分が人として未熟過ぎてどうなの、って思うんだ」


「ならリアムに直接言ってみて、反応を見たら?それで引かれたら、頑張って直せばいい。でも俺は今のままでいいと思うけど。もしリアムに嫌われたら医者になった俺が責任取ってマナをお嫁にもらってあげるし」と少し恥ずかしそうに言った。


「おー、言うね、カイは。ありがと…これで僕も安泰だね。わかった、一度リアムに正直に聞いてみよっかな。反応が怖いけど」


「俺としては正直、振られちゃえばいいのに、って思ってる」と美月みたいなことを意地悪そうに言った。やはり兄弟みたいだ。


「えー、それは冗談でも酷いな。撤回しないなら、あとテキスト4ページ追加だよ」


「ふん、ぜーーったいに撤回しない。今の俺なら4ページくらいちょろいって」


「言ったな!じゃあ、そこまでやっちゃおうか」


「うん」


 カイは覚えが良い上にとても真面目だ。手先も器用だ。

 それに同居していた祖母を大好きだった彼は、とても優しいし医者に向いていると思う。僕は彼が素敵な医者になる日が楽しみで仕方ない。



「お疲れ。お父さんを電話で呼んでくるね」


 僕はカイが参考書を片付けている間に階下で電話をかけた。ふと見ると、事務机にシャーリーの箱がある。


「お、シャーリーのケーキだ!!アユの差し入れ?僕も一つ頂戴」


「おう、おまえとカイの分がある。なんか、ザキさんが後で食べてって置いてったんだ」


 え…、ザキが?


「えっと、2階には来てないですよね?」


 僕は背筋がぞくっとした。キモいストーカーとはいえ、一度は友達だった彼をあんな目にあわせた僕は嫌われても仕方ない。


「…いや、勉強の邪魔になるからってここに置いてった。会いたかったか?」


「そっか…じゃあ3人で上で食べない?」


「いいね」


「お、ルイもケーキいけるようになったの?」


「俺のはビターなコーヒーエクレアだから大丈夫」


 さすがザキだ、めっちゃ気が利く


 僕らはコーヒーふたつとカイ用にジュースを入れて、2階でささやかなケーキパーティをした。カイはルイのコーヒーエクレアも半分ぺろりと食べた。やっぱりこれからはハンバーグ4つだな。


 カイは真剣に僕の情けない話を聞いてくれたし、ザキは僕を心配してくれてケーキを持ってきてくれた。

 心が温まって、不安が小さくなっていった。


 リアムに話してみよう、そう思った。

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