第90話 躊躇なくバイオレンスになれる自分がいやだ

 あれだ…


『シャーリー』を出てすぐの駐車場の一番端に停まっているフルスモークガラスの白いバン。運転席のリアガラスを三分の一下げてこちらを見てるサングラスの男。


 僕は気が付かない振りをしていつも通りザキの車に乗り込んだ。

 彼女はもちろん男に気が付いているようで、動きがぎこちない。自分の車を開けるのに手間取っている。きっとそれを見ては楽しんでいるのだと思うと握る拳に力が入ってしまう。


「じゃ、マナんち送ってくよ」


 エンジンがかかったので少し落ち着いたのだろう、ザキは言った。


「ザキさん…たまにはキャンプ場に一緒に泊まりませんか?」と僕はある考えが浮かんだので誘ってみた。


「え…今からかいな?」


「ハイ、たまにはいいじゃないですか!ヨッシーもいるし、僕のテント張りっぱなしだから楽ですよ。そうだ、お風呂も入ってから行けばいいし」


 ヨッシーと聞いて急に顔が明るくなったが、


「あーでもなー」と口ごもった。明らかにを警戒してる。ヨッシーにあの男が何かしやしないかと心配しているのだろう。




「マナのお願いやでしゃーないなー」と言いながらも、ヨッシーと会えるので喜んで車をキャンプ場の駐車場に停めている。


 ここのキャンプ場には入口には管理棟に連絡するゲートがあり、そこから連絡してから手動でゲートを上げて入ることになっているので、用事がある車しか入って来ない。

 僕たちは一度ザキの家に着替えを取りに行き、近所の町営温泉でお風呂に入ってここにきていた。


「僕テントで本を読んでますので、ザキはヨッシーと話してきたら?付き合ったばかりでゆっくり話したいですよね。良かったら朝までどうぞ、僕にご遠慮なく」


「おお…マナ…あンためっちゃええ子やなー」と素直なザキが目をうるうるさせながら感謝してる。僕がリアムと付き合い出したときにお世話になったからお返しだ。


「いいんです、お休みなさい」


「おやすみっ」


 ザキは足取りも軽く管理棟に入っていった。

 僕がずっと知らなかっただけで恋にはやはり重力を減らしたりいろんな効果があるようだ。

 そして恋でおかしくなる人もいる。

 パウラのように。のように。


 あの男はザキと雪山で一緒に働いていて、バイトが終わった後も付きまとっている。ザキは何度も断っているだが、女性特有の引きだと都合よく勘違いして、電話したり話しかけたりしている。それにしてもあんな車でずっと付けられたら気持ちが悪くて仕方がないだろう。

 それよりザキが一番心配している事は、お見合いしたりデートしたりしてヨッシーの事を知られているので、彼に危害が及ばないかということだ。


 僕は一度テントで、夜に目立たないナユの真っ黒の服上下に着替え、誰もいない駐車場に行った。

 あの気味の悪い車はなかった。番号もばっちり覚えているので間違いない。

 僕は管理棟の裏の倉庫にあった金属バットを静かに持ち出して暗闇の中で何度か素振りした。


 高校生の時、ナユとたまにバッティングセンターに行ってたので振り方は大体知っている。そういえばあれって知らない人から見たら完全にデートだったな。僕はそんなことを思い出しながら何度も振っていたら、だんだんバットが友達のように手のひらに馴染なじんできた。


 車の入ってくるゲートに行き、1時間くらい待ったろうか、街灯のない真っ暗闇の舗装されていない道を車がやってきた。ライトが遠目になっていて眩しい。今は9時過ぎくらいだろう、こんな時間に帰ってくる客はあまりいない。

 僕はニット帽を目深にかぶり髪を中に入れて男に見えるようにした。そして停止バーの前で車を止めた。さっきまるっとナユの服に着替えてきたので、ザキとケーキ屋にいた僕とはわからないだろう。


 車の色とナンバープレートを確認する。あのずっと僕らを付け回していた車だった。


「ちょと忘れ物があって。通してくれる?」と窓を開けて男性が頼んだ。のぺっとした馬面で年齢は30代半ば、馴れ馴れしいべちゃっとした話し方。ザキの記憶のあの男だった。


「この時間は保安上泊り客でないと入れないんですよ。残念ですが、明日明るくなってからいらっしゃって下さい」と丁寧に言うと、表情を一変させて怒りを隠さなくなった。


「うるせーな、通せ。つべこべ言わずゲートを上げるんだよ」と威嚇いかくするように言った。従業員を自分より下だと勘違いして高圧的な態度をとるやからだ。弱い奴ほどバカみたいに吠えると言うのは本当だろう。


だね。上げたいなら自分でやりな」

 

 僕がそう言うと、男は諦めてすぐにシートベルトを外し始めた。車から降りることにしたようだ。


「使えねーガキだな」と言いながら彼が車から一歩地上に降りた瞬間、僕は後ろに隠し持っていたバッドをフルスイングでドアに叩きつけた。その男は閉まるドアと車に挟まれ、頭が前後にバウンドして膝を付いた。


「いてててっ…てめーなにすんだ!」


 その男は頭を押さえてひざまずいて吠えたが、僕がまたバッドを構えたのでぎょっとして黙った。


「おまえ本当にうるさいな。もう一発くらうか」


「や、やめろ。なんでこんなことすんだよ」と急に弱弱しく僕に聞いた。たった一発もらっただけでさっきまでの勢いはもうなかった。空手の試合でもそういうやつはいる。力の差をわかって戦意を喪失するタイプだ。そういう時に人間の本質がでる。


「こっちのセリフだ。神崎に何してるか自分でわかってんのか?彼女は怖がってる。僕はお前が目障りで仕方ないんだよ。ここでおまえを殴ってあの海に放り込んだらこの世界はずいぶんと住みやすくなると思うけどな。どう思う?」


 僕は返事がないので数歩移動し、もう一発バットで車の後部座席のドアを思い切り殴った。金属がへこむ鈍い音。

 次に僕はそのドアの窓ガラスをたたき割った。シャラララと車内に破片が巻き散るいい音が暗闇に響いた。

 口を大きく開けて呆然としてる彼に身体をゆっくり向ける。


「ひぃっ、や、止めてくれ…いや、すいません!もう二度と彼女を付け回しません。だから許して下さい」


「彼女の為に止めてやる。でも女性に怖い思いをさせた罰として携帯渡せ」


「え…それはちょっと…お金なら5万出せます!許して下さ…」


 僕は何も言わず足を進めて車の右のフォグランプを叩き割った。バリンと音がして派手にゴミが飛び散る。


 ああ、後で掃除しとかないとダメだな、面倒だ


「ああ、ごめん、これでは右ばかりでバランスが悪いね。左も同じように叩き割っておこうか…?」と僕が親切そうに言うと、彼は観念したようだった。


「わ、わかりました。はっ、はいっ、これ…」


 震える手でポケットから携帯を出して僕に渡した。彼の温もりが気持ち悪かったので、そのまま下に落とし、バッドで粉砕した。


「二度と彼女に電話したり顔を見せたりするな。他の女性に悪さをするのも許さない。その時は車じゃなくておまえのスカスカの頭をジュースを作る時の潰れるトマトみたいに破裂させる。わかったか」


「は、はいっ」


「じゃあ行っていい」


「は、はひっ…」


 明らかに解放されてホッとしたその男は車に飛び乗り、一気に来た道をバックさせて帰って行った。ガシャン、という音がしたので、あせって標識かガードレールにでもぶつかったのだろう。


 僕はニット帽をポケットに突っ込み、金属バットと携帯を崖から海に放り投げた。一応服で指紋を消してから。そうだ、浜に打ち上げられてないか明日の朝一で確認しなければならない。

 そして携帯用ライトとほうき塵取ちりとりを持ってきて、ゲートに散らばった破片を丁寧に掃き取った。お客さんの車がパンクしたらコトだから、朝早くにまた来て念入りに掃除しないと…。




 テントに帰ったらまだザキはいなかった。ヨッシーと夜通し話などしているのだろう。

 寝袋に入ろうとしたら、自分が大量の汗をかいているのに気が付いた。

 緊張していたのにも気が付かなかった。


 僕は相変わらず大事な人の為なら、こんな風に躊躇ちゅうちょなく他人に酷いことが出来るんだ…


 我に返って自分にぞっとした。自分を律せていない。全く成長してない。そんな自分が嫌だ。カイやリアム、ナユに合わせる顔がないな…。



 僕はシャワーを浴び、服を着替えてテントに戻ったら、ザキがいた。


「どうしたン、シャワーなンて浴びて。まだ寒いで冷えるよ」


「寝てたらうなされてしまって、汗をかいたんです。気持ち悪かったから浴びてきました。すいません、待たせてしまって」


「なンかヘンやな、マナ。どうしたン?悩み事か?言ってみ」


 ザキは自分の悩みを棚に上げて僕の悩みを聞こうとしたので思わず僕は泣いてしまった。それに僕はあんな酷いことを人に平気でした悪い人なのだ。


「ど、どうしたン…。困ったな、柴田さン呼んでこようか?」


「いいんです、少しだけ泣きたくなって。多分結婚前で不安定なんだと思います、すいません…」


「ええよ、好きなだけ泣きな。可愛いなあ、マナは。でもそンな早く結婚するなンて見直したわ」


 え?

『見直した』って言った?そんなこと言われたことない


 僕が変な顔をしていると、


「ああ、リアムと一生おるって決断に迷いがないやろ?そンな風にハタチで考えられる女の子、なかなかおらン。周りに流されて大事な人と別れてから後悔しとる人、意外と多いンやで。マナはエライよ。大切なものって、無くしてずいぶん経ってからくるでな」としみじみ言った。


「そ、そんなこっ…」


「それに柴田さンと私を繋いでくれた。美月と私はお互いに遠慮しとったでなぁ…」


 やっぱりそうだったんだ…。ザキほどの美しさなら、ヨッシーなんてすぐに落ちると思ってたけど、美月に遠慮してたんだ。


「あいつはマナのことも好きやったし、あかンとこばっか攻める不器用なやつや。可哀想にな…」


 ザキは切ない表情で僕を抱き締めた。あのストーカー男に怯えながらも、ヨッシーを好きな気持ちと、僕や美月を心配する優しい心が流れ込んできた。


 彼女に幸せになって欲しい


 そして、彼女を追いかけまわすキモい男は二度と現れないよ、と教えてあげたかったが、僕がやったとバレると困るので黙っていた。

 あの時間帯は二人が管理棟にいたので、受付の防犯装置に二人の姿が録画されているだろう。万が一奴が通報して警察沙汰になってもザキたちにはアリバイがあるのだ。僕は女だし、多分疑われることはないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る