第75話 人と違う、という事

 温泉旅行の後、そのまま空港に送っていき、リアムはハワイに帰国した。


 僕は学校が始まる8日まで毎日昼間はキャンプ場でバイトをした。正月に僕が休んでいたので、ずっとヨッシーと受験生の美月が入っていたのだ。

 冬なので混んではいないが、美月の受験が終わるまでは出来るだけ入りたい。それにとても暇なので、やることをやったら僕も勉強ができる。僕だって学生なのだ。




「勉強しに来た」


 休みなのに美月がキャンプ場に毎日9時に来る。2階を勉強部屋代わりに使っているのだ。電波がないので邪魔が入らないしいい場所なのだろう。


「あとでコーヒー持ってくね」と僕が言うと、嬉しそうに頷いてから、しまった、という顔をした。


(嬉しいならそう言えばいいのにさ、素直じゃないんだから)


「美月のお母さんも大変だね」と僕が笑うと、彼は「うるせ」と一言残して2階へ上がっていった。


 頑張る美月のために僕はコーヒを淹れた。



 

 僕は管理棟の仕事や掃除を終えてから、受付に『しばらくしたら戻ります』の看板を置いて、場内の点検・掃除、ついでに散歩に出かけた。

 1月のキャンプ場はとても静かで空気が澄んでいる。いつもは見えない遠くの島も見えたりする。

 目前のきらめく海は外海なのでかなり荒れることもある。でもハワイにつながる海だと思うととても愛しく感じてしまうのだ。


 結婚なんてしてしまう予定でいるが、どんな1年になってもここに出来るだけ居たいと思う。

 

(ここは…僕が変わるきっかけをくれたからだろうか。すべての縁はここから来たのだと確信できる、僕にとって特別な場所だから)



 僕は誰もいない広場で空手のストレッチと基本の突き、蹴り、受け、そして型を一通りした。時間を作って毎日している。イーサンと組手やスパーリングをして楽しかったのもあるし練習不足も感じたからだ。

 なにより、ハワイに住むなら強くならないといざという時に困りそうだ。身体を鍛えて悪いことは一つもない。いざとなったらリアムや子どもを身を張って助けなければならない時もあるかもしれない。

 今年の僕の大きなテーマは『強い女』なのだ。




 管理棟に帰ると、受付の前にある武骨な椅子に似合わぬ上品な40代中頃の女性が座っていた。


「こんにちは、お待たせして申し訳ないです」と声をかける。


(明らかにキャンプではないよな、こんな寒いのにスカートを履いているし…)


 彼女はおずおずと、


「…うちの美月がお世話になっております。山口美月の母です」と言って、紙袋を僕に手渡した。重さ的に菓子折りのようだ。


 あまりに美月と似てないから予測がつかなかった僕は、慌てて頭を下げた。




 僕がコーヒーを出すと同時に「こちら、良かったら皆さんで食べて下さい」と言って、彼女はゆっくり紫の風呂敷をほどいて運動会とかで使うような大きな塗の重箱を差し出した。2段だ。


「え…僕までいいんですか?ありがたく頂きます」


 美月のお母さんは顔が小さくて物腰も話し方も上品で、なにしろ優しそうだ。


(ほんと、全然似てないな。受験の応援に来たのかな?)


「あの…美月さんは二階で勉強してますので、お呼びしましょうか?」


「いえ、いいんです。邪魔すると怒られますので」と少し笑った。


(怒る?そうなんだ、美月のくせになんて生意気な…)


 でも彼女は何か聞きたそうだ。僕はそっと美月のお母さんの手に自分の手を一瞬重ねた。少しわざとらしいが「美月さんなら優秀なので心配なさらなくても大丈夫ですよ、きっと受かります!」と言いながら。


「…はい、ご丁寧にありがとうございます。美月を宜しくお願い致します」


 そういって彼女は不本意な表情の僕を残して帰ってしまった。


(受験で美月を心配しているわけではないとは思ったが…そんなことを心配しているんだ。美月の母親のことを思うと気になって放っておけないではないか)


 僕はまた首を突っ込んでリアムに怒られるのを覚悟した。




「美月、生きてるぅ?」


 僕は昼ごはんのお重を広げてお茶の用意をしてから、一階から声をかけた。

 二階で二人きりになるのはさすがに避けている。リアムにあれだけ言ったのに、自分はどうなのって話になると困るのだ。


「あったりまえだ」


 いつもの怒った声が聞こえて安心する。


「お昼御飯にしない?今日は豪勢なお弁当だよ!」


「マジか!」


 彼はいそいそと降りてきたが、お重を見てすぐにピンときたみたいで顔を歪めた。


「うちのおかん、来たんだ」


「うん、差し入れだって」


「おまえに変な事、言ってねーだろうな?」


「何、変な事って」


 僕が聞き返すと、静かになった。思い当たる節があるようだ。

 しかしこの親子はなんでこんな受験前の大事な時期に…そんなずれたとこは似てるんだと思うと僕は少し笑えてきた。

 まあ仕方ないが。


「さ、頂きましょう。めっちゃ美味しそう!」


「ああ…」


 僕はいい色をしたふっくら出汁巻き卵を口に運んだ。思った通りだしの味がしっかりついていて美味しい。美月は美味しい料理に慣れているのか無表情で食べている。


 彼女はに会うために時間をかけてこの美味しいお弁当を作ってきてくれたのだ。美月もそれを知っている。


 彼がゲイだと怪しまれる何かきっかけがあったのだろう。




 料理を完食して僕らは美月の淹れたコーヒーを飲む。なぜか僕が淹れるのより美味しいのだ。


「美味しかったね。ご馳走様です」


「ん…おまえさ…」


 彼は言うか言うまいか迷っているようだ。でもヨッシーに迷惑がかかるのが嫌だから言うことに決めたようだ。


「俺が柴田さんのこと好きだって知ってるんだろ?」


「うん」


「おかんがさ、俺が柴田さんと電話してるのを聞いて俺がゲイだって感づいたみたいなんだ。仕方ないよな、だって好きなんだから、嬉しくて…つい」


「うん、仕方ない」


「でも俺、柴田さんには絶対に知られたくないんだ。知られた時を想像すると怖くて仕方ない…きっと嫌われるか気持ち悪がられる…」


「…」


(どうなんだろう?僕はヨッシーが気持ち悪いなんて思うことはないと思う。でも美月の言うとおり、わからない。人の気持ちがどう動くかなんて…)


「おかんが騒いでバレるのは絶対に困る。バレるくらいならちゃんと告白して知って欲しいよ…」


「…そうだよね」


 ナユもそう思っていたのだろうか?僕はあまりに気の毒で、彼に寄り添って抱きしめたあげたかった。でも出来ないので、机の向かいからそっと頭を撫でてあげた。彼は珍しくされるままになってから、僕の手を優しく両手で握りしめた。


「…なんでだろ、おまえは女だけど大丈夫なんだ。不思議だな、女の匂いがしないからか?」


 僕をじっと見て言った。

 かなり失礼なことを言われてる気もするがこの際よしとしよう、悪気はなさそうだ。っていうか、誉め言葉として使っている節もある。全然嬉しくないけど!!


 仕方ない。僕は大きくため息をついて提案した。


「あのさ…お母さんに美月が僕のことを好きだって思わせたらどうかな?女子を好きだってわかればいいんでしょ?」


「…いいのかよ」


「嫌だろうけど、僕に片思い、ではダメ?」


「ダメ、じゃない。ありがとな」


 そう言って僕の手にキスした。


「ひゃっ、何すんのさ?!」


「練習。おかしいな…俺、女はダメなはずなんだけど。マナの胸がないせいか?」と僕の平目たいらめの胸部を見ながらまた重ねて失礼なことを言った。


「本当にぶっ飛ばすよ。それに最近大きくなってきたし!」


 そう言って僕がファイティングポーズを構えると、


「ウソウソ、多分おかんが重箱取りに来るから、その時に演技してくれるか?」と愁傷に頼んだ。珍しく素直じゃないか。それだけヨッシーのことが好きなんだろう。


「いいよ。お母さん来たら呼ぶね。何するの?」


「うーん、おまえを好きそうなそぶりをするよ。おかんは単純だから、多分家で『あの子が好きなの?』って聞いてくる。そうしたら、そう、って言う。まあ、まんざらウソでもないから俺でも言えるだろ」


「なんか引っかかるけど。まあいいや、美月に合わせるよ。わかってると思うけど、僕にはリアムがいるからね、これは『シャーリー』のお礼」


「ぷっ、わかってるよ。俺だってすげー仲のいい結婚前のカップルに割り込む勇気はない。壊れかけてたらわかんないけど。あーあ、夏に別れた時にすぐに取っちゃえばよかったかな…」


「ごめん…」


「バーカ、俺の本命は柴田さんだから大丈夫だ」


「…」


 わかってるんだ。そう思ってホッとした。


「ごめん」


 ナユもキアナもエマもそうだが、人と違うのって本当に生きるのが大変だ。


「おまえさっきから謝ってばっか。悪いことしてないんだから謝るなよ」


「うん…でも僕美月にお世話になってるから…役に立たなくて悪いなって…思うんだ」


「バーカ、泣くな!俺が泣きたいよ」


「美月の泣くとこ見たことない…泣くの?」


 僕はグズグズ鼻をいわせながら涙と鼻水をトレーナーの袖で拭いて聞いた。


「そうだな…高校を辞める時、めっちゃ泣いたから…もう当分は泣かないかもな…マナ、ありがとな。勉強してくるよ。おかん来たら宜しく」


「うん…」




 美月が高校を辞めた時。


 学校が馬鹿らしくなって嫌になって辞めたとはちらりと聞いたことがある。

 でも何があったかは聞いていなかった。

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