第76話 親友
「ごちそうさまでした、とても美味しかったです。美月呼びますね」
「いえ、いいんです…」
昼過ぎに美月の母がお重を回収にわざわざやってきた。
やたら断る彼女を無視して、僕は2階の美月を呼んだ。すると、のそのそと冬眠明けの熊みたいに降りてきた。目はうつろにキョロキョロしている。
僕の頭に不安がよぎった。
「おー、おかん…」
そう言って階下で止まった。
やっぱり…嫌な予感が当たった。美月は演技とかウソが苦手だから、僕にどうやって近づいたらいいのかわからないのだろう。
僕は心の中でため息をついた。
ケーキの恩は絶大だ、仕方ない。
「美月、ほら、こっちおいでよ。ちゃんとお礼言わないと」と少しアユを真似て可愛く言い、彼の腕を強引に引っ張った。
彼の母の顔色が変わった。思わぬ伏兵出現、と言った感じだろうか。
「うん…こ、こいつと一緒に食べた。美味しかった」
僕は固まっている彼の腕をこそっと僕の右肩に回し、逃げられないよう彼の手のひらの上に僕のを重ねた。僕が彼を見上げると赤くなっている。意外と可愛い。
その様子を見て美月の母はぱあっと明るい表情になった。
「まあ、可愛いお嬢さんと…美月さん、この方にヘンなことしてないでしょうね。そういうのはちゃんと結婚してから…」
「平成どころか昭和かよ!ほら、バカなこと言ってないで、おやじたち待ってるから帰れよ」
「はいはい。ではね、えっと…」
「マナ、と言います。宜しくお願いいたします」
「マナさん、ですか。こちらこそ美月を宜しくね。お仕事頑張って」
「はい。ありがとうございます」
僕らは外に出て、並んで手を振って見送った。
彼女が出て行くと、僕らは離れた。
「あ、あり…がと、な。助かった」
やけに素直だ。美月が年下っぽいので思わず笑ってしまった。
「いえいえ。ナユも母親にバレないようめっちゃ気を付けてたから…わかるよ」
僕がそういうと、彼は少し迷ってから、
「俺さ…ちょっといいか?」と誘った。
「…いいよ。いい天気だし外に行こう。椅子、持ってくる」
長い話になりそうな予感がした。
「俺の行ってた私立高校、仏教系の中高一貫の名門進学校でさ、かなりレベル高かったんだ」
美月が火をおこしながら話を始めた。何かしてないと落ち着かないようだ。
「うん、知ってる。医者になりたいって言うカイに勧めようかと思ったけど、美月の話を思い出して止めた。自由な性格の彼には合わなさそう」と僕は少し笑って言った。
「そうだな、俺もあそこは止めて正解だと思う。『お前たちは未来の日本をしょって立つんだ、他のやつらとは違う』なんて毎日毎日聞かされてみろ、頭イッちまうよな。洗脳だ」
「…僕は駄目かも」
そういう全体主義には無縁でいたい。要するにとても苦手な世界だ。
「まあ、普通はそうだ。そこはここと同じに見えて全く違う世界なんだ。その学校の先生と生徒らは外と違う世界を生きてると言ってもいい。
そこでは親の仕事で学校での地位が決まるんだ。医者の子供が多かったんだけどな、開業医が一番下でその中でも何科なのかによってもランク付けされる。上は大学病院でどれだけ出世しているかだ。要するに有名大学の医学部の教授や大学病院の院長クラスの子供が一番偉いってわけだ。
親が医者じゃない家ははなからランク外だ、信じられないだろ?
俺は元々覚めてるからな、バカらしいって思ってやり過ごしてた。
でも、高校2年の夏休み明けに俺の一番の友人が死んだ。
駅前の商店の息子だったんだけど、実家のレベルが低いと1年生の時からからかわれ続けてた。でもそいつはいつも笑って受け流してた。俺はそいつがそんなにまいってるなんて気が付かなかったんだ。夏も普通に会って遊んだり塾で勉強しててさ、親友だと思ってたんだ。それなのに…」
美月は絞り出すようにぽつぽつと話した。言葉と一緒に涙と鼻水も流れていた。
誰にも言えずずっと溜め込んでいたのだろう、止まる気配がない。涙は鼻水と混じり、ぼたぼた落ちて冬枯れした茶色の芝生に吸い込まれていった。
「もういいよ、わかったから…」
僕は美月の大きな背中を撫でると、彼の重い、しんどい気持ちを感じ取って辛い。こんな能力ないほうが良かった…。
でも彼は最後まで続けた。
「そいつさ、家の車庫で首をつって一人ぼっちで死んだんだ。なんでだと思う?」
「…」
僕はわかってたけど言えなかった。
「そいつは無理して私立に通わせて育ててくれている親の仕事を恥じている自分が嫌で死んだんだ。医者じゃない親を恥ずかしがるなんて、そんなことってあるか…?一言でも俺に相談してくれたら『そんなバカなこと言ってんじゃねーよ、あいつんらがアタマおかしいんだ、あの学校自体がイッちまってるんだよ』って説得してやったのに…」
僕は言葉に詰まって何も言えなかった。
彼は友人の助けになれなかった自分を許せないのだ。それは僕がナユの自殺に感じていた気持ちと似ていた。
リアムならなにか言ってあげられるのだろう。でも僕は全然ダメだ。頭が鈍いのでいい言葉が見つからない。ただ、背中をずっとさすっていた。
「あー、スッキリした!」
1時間ほど僕は泣いてる美月の側でじっとしていたが、急に美月が着ているトレーナーの袖で顔をごしごし拭いてから叫んで立ち上がり、僕の肩をがしっと掴んだ。
「な、なにっ?」
「ありがとな、マナ、聞いてくれて。おまえまで泣くな、俺が泣かしたみたいじゃねーか」と言って、屈んで僕の涙をぺろりとネコのように
「ひゃっ!な、な…」
なにすんのさ!と言おうとしたら、
「これでチャラな」と言って無邪気を装って笑った。
彼は、火に当たりながら野良猫を追い払うように僕に向かって手をシッシッとした。管理棟に帰って仕事しろ、って事だろう。
チャラってなんだよ?!
一発殴ってやろうかと思ったが、もうすでに彼の目がボンボンに腫れているのを見るとそんな気も失せた。
美月らしいと言えば美月らしくて笑えた。
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