第70話 一富士二鷹三茄子

 雑煮を食べると、母はさっさとこたつで寝てしまった。

 僕らは2人でトランプやウノをしたり、僕の小・中・高校生の時のアルバムを見たりしてのんびり過ごした。


 母が夕方むくっと起きたので、車で家から30分程の温泉施設に向かい、温泉に入ってから併設されているレストランで食事をした。いつもの施設がお正月飾りで華やかになっている。


「僕、冷たい海老おろしそば」


「マナ、冷たいもの食べるの?冷えるし温かいものにしたら?」とリアムにやんわり言われて温かい天ぷらそばに変えた。

 こういうとこは僕の母に似ている。母もそう思ったようで、ニヤニヤと僕らを眺めている。


「本当に仲がいいのね…今日は式場まで決めてきたし、安心したわ。リアム、マナを宜しくね」といきなり言い出した。


 本当に時と場所を選ばないのは僕ら親子の特徴だ。思った時に思ったことを言うところがある。


「ハイ、こちらこそオネガイします」


 彼が丁寧に頭を下げて答えているのを見ると、なんだか胸が熱くなってきた。好きな人にこうやって好きだと言ってもらえるなんて本当に奇跡なのだと思う。


「マナ泣いてるの?大丈夫?」と彼が心配した。逃がさないなんて怖いことを言う割には、僕が結婚に少しだけ消極的なのを気にしてるのが重ねる手のひらから伝わってくる。


「違う、嬉しいの」


「…本当?早く結婚したいよ…マナを独占できる」


「バカね、今でも独占してるじゃない」


「そんなことない。でしょ?」と最後の一線を越えたいことを僕に手のひら越しで伝えてくるので僕は赤くなった。そんな僕らを面白そうに母が見ている。


「お待たせしましたぁ!!」


 気持ちがいいくらい元気な女性店員が料理を運んできた。正月早々僕らにラッキーな気持ちにさせてくれる彼女は世界で一番幸せになる権利があるだろう。

 3人ともお風呂に入ってお腹が空いていたので、一気にテーブルは静かになった。



 その夜、僕たちは枕の下に『七福神が宝船に乗った絵』を入れた。

 正月一日の夜にはいい初夢をみられるようにと、毎年母がからそれを出して僕に渡すのだ。両親が結婚してすぐに父がどこかで買ってきたそうで、毎年使っているからしわくちゃだ。

 亡くなった父と祖母のもあったが、1枚はナユにあげた。なので、残りの1枚をリアムに持っていてもらう。


 母は縁起を担ぐタイプなんだ、とリアムに説明すると「エンギ縁起ってなに?」と聞いた。


(ううんっ?なんだろうか…)


 深く考えたことがない上にわからないので、ネットで調べてみた。仏教の骨格になるような世界認識らしく、『世の中のすべての物事は、因縁によって生じ、因縁によって滅する』とざっくり素人向けに説明してくれてあった。

 

(ざっくりでさえも難しくて全くわからないじゃあないか…)


 仕方ないのでリアムにはわからないと伝えた。

 でも、わからないなりに、なんとなくとくるものがある。

 だって、僕とリアムが出会ったのには原因も条件も無数にあって、すべてを僕らが知ることは一生ないだろう。不可能だ。もちろん僕らの関係が終わる時も、だ。

 僕らが出会って恋をして、こうやって正月にいい初夢を見ようと二人して札を枕にしのばせていることは『縁』なのだろう。そしてその縁が消えるのもまた『縁』だ。


 そして、僕らは母がいるので大人しく寝た。コンドームもまだ手に入れてなかった。


 


「おじーちゃん、あけましておめでとう!怪我したんだって、大丈夫?」


 正月2日、3人で母の実家に新年の挨拶に来た。実家は専業農家をしている。副業で昔は家の基礎工事もしていたが、祖父が年を取ってそちらは廃業した。

 家から車で1時間の場所にある田舎だ。集落の周りは田んぼしかないから夏は涼しい。川も空気も綺麗だし、電柱もないのでお正月の凧揚げに適している、とてもいいところなのだ。


 祖父は昨夜酔って勝手口から落ちたそうで、足を包帯で巻かれて痛々しい姿だ。隣の祖母は笑っているような泣いているようなよくわからない表情で、祖父の足を優しく撫でながら、お祖父さんは正月早々に仕方ない人やなぁ、と言った。祖母はいつもそんな顔をしている。


「あけましておめでとう、マナ。相変わらず可愛いな、おまえは。そっちは彼氏か?」

「まあまあ、二人で来てくれるなんて」


 二人が嬉しそうに重ねて言う。


「うん、彼はリアムっていうの。アメリカ人だよ。リアム、こちら祖父と祖母です」


「あけましておめでとうございます、リアムと言います。よろしくオネガイします。8月にマナさんと結婚させて頂きます」と彼は少し緊張して挨拶した。


「…結婚?!初耳だな、おまえなんで言わなかったんだ!」


 驚いた祖父は母に聞いた。


(そりゃそうだ、僕自身だって最近知ってびっくりしたんだもの…)


「決まったのはまだ2週間くらい前ですからね、今日言おうと思って連れてきた」と母はぺろりと舌を出した。母も祖父の前では娘になる。昔からそうだ。


 祖父はしばらく呆然としていたが、お祭り好きの血が騒ぎ出したのだろう、孫の結婚式と思い当たって一気に喜びを爆発させた。

 僕の頭をぐりぐり撫でる。痛いくらいだ。大きなグローブみたいな分厚い手。土仕事でとても苦労してきた人の手だ。この手を父のように感じながら僕は育ったのだ。祖父が喜んでくれてると思うと嬉しくて涙が出そうになる。


「そうかぁ…俺の孫で初めての結婚だ、お祝いは奮発してやる!マナは偉いな、俺が生きているうちに結婚してくれるなんて。いい子やなぁ、ひ孫の顔も見せてくれよ。さ、外人さん、わざわざ来てくれてありがとう!酒でも飲もうか」


「ハイ」


 彼と祖父と母は3人で祖父の好きな日本酒を飲み始めたので、僕はお茶を汲みに台所へ向かった。僕は日本酒は飲んだことがない。


「え?マナちゃん結婚するの?外人さんと?」と伯父と伯母が大騒ぎしながら渡り廊下を通って別宅から本宅へ入ってきた。


(だよね、普通びっくりすると思う。だってまだ僕はハタチだし)


「どうしたの、妊娠してないよね?」と伯母が僕の顔を覗き込むように心配そうに聞いた。まだ僕が中学生くらいだと思っている口ぶりだ。いとこの中で僕が一番下だから、いつも子ども扱いする。それは伯母の愛情だった。


「うん。なんかね、彼の家族が早く結婚させたがってて。でもいいんだ、彼の事好きだし」


「おまえな…お母さんはなんて言ってるんだ?早いって反対してないのか?」


 今度は伯父が心配で聞く。早すぎる結婚を決めたことで暗に僕の母を非難している。それも僕を心配してのことだから仕方ない。


「全然してないよ。年末にハワイでお母さんとあちらの家族で結婚の話をしてきたし。予定では式は8月だよ、日本の神社とハワイ両方でする予定」


 伯父は諦めたように大きくため息をついた。


「はあ…お前は大したやつだと思ってたけど、本当にびっくりさせる。どこに住むんだ?」


「今のままだよ。僕は大学を卒業するまで日本にいる。その後はわからない」


 伯父と伯母は顔を見合わせて頭を抱えた。


「結婚して一緒に住まんのか…理解できん。まあいい、俺もおまえの旦那様の顔を拝んでこよう」


 そう言って伯父はいそいそと祖父達のいるリビングに行った。


「おばさん、急でごめんね。お盆の時期は田んぼで忙しいだろうけど、式に出席、宜しくお願いします」と僕が言うと、


「おめでとうね、マナ。いろいろ心配してたけど、安心したよ。幸せにね。うちの賑やかな息子どもがもうすぐ帰って来るから。お昼ご飯は食べてくでしょ?」と笑いを含んで答えた。


「はい、甘えさせてもらいます」


「良かった。ゆっくりしてってね」



 お茶を入れてリビングに戻ると、リアムが飲まされていた。


「イタダキマス」と言って高そうな日本酒をぐいぐい4人で飲んでいる。


「あーあ、リアム、大丈夫?」


「うん、大丈夫。これすんごく美味しいよ?マナも飲みなよ」と赤くなってリアムが誘った。


「いや、お母さんも飲んでるから、僕が飲んだら誰も運転出来なくなっちゃう。僕はお茶で」


「おいおい、リアム!うちのマナによくも手を出してくれたな。皆で可愛がってたのに!」と伯父は僕の頭を撫でながらよくわからない文句を彼に言ってる。


 この家には男の子しかいないので、伯父は僕を特別に可愛がってくれたのだ。


「へへへ、俺がこれからたくさん可愛がるので」とリアムが答えたので僕は飛び上がった。


(何を言ってるんだ、恥ずかしいじゃないか!)


 リアムも大概酔っているようだ。




 わいわいしてると、本家の息子3人が帰ってきた。皆社会人だ。

 正月で3人久しぶりに会うので近所の広場で野球をしてたと言う。26,24,22という年齢で皆大人のはずなのに、いつまでも子供みたいだと会うたびに思う。


「おー、マナ!久しぶりだな。お、髪伸びて女みたいじゃねーか」と長男の比呂ヒロが僕の頭を撫でつつ、髪を触った。


「久しぶり、ヒロ兄ちゃんも相変わらずだね」と僕が言うと、


「止めて、俺のマナの髪に触らないで」と酔ったリアムが演劇調で間に入った。


(うーん、なんか動きがコミカルだな。これは喜劇とみた)


「おい、こいつ彼氏か?」と次男の美樹ミキが怪しんでいる。


「うん、彼氏だよ、ミキ兄ちゃん。おじいちゃんに飲まされて少し酔ってるからごめんね、8月に彼と結婚するんだ」


「けっこん?!」と3人がハモった。三男のシュウが、


「おまえ本気か?早いだろ!」と僕に怒鳴った。なんで怒鳴られないといけないかわからずびっくりしていると、


「俺リアムっていいます。マナと結婚するって決めてたから、全然早くない。むしろ今すぐに結婚したいくらいだ」と3人に向かって言い放った。


 しばらくにらみ合っていたが、祖父と伯父に「まあまあ」と言われながら一緒に飲み始めた。一気に部屋が男臭くなる。しらふで居づらくなって部屋を出ようとしたら、リアムが僕の手を引っ張って甘えた様に言った。


「こっち来て」


「うん」


 僕が彼の隣に座ろうとすると、柊も僕を引っ張った。すると面白くなってきたのか比呂も美樹も服を引っ張った。


(なんだ、この状態…)


 ぐいぐい皆から引っ張られてだんだんイラっとしてきたので、僕はとうとう「あほか」と言って4人の脳天を手首のスナップを利かせてバシバシとはたいて部屋を出た。


「痛てぇ」「おまえあんな乱暴な女でいいのか?」「マナは小学生の時からゴリラみてーで変わんねーな」と後ろの部屋から悪口が聞こえてきた。なんだか仲良くなれそうだ。

 確かにナユよりはリアムの方がこの家には合うだろう。



 キッチンではいつの間には部屋から抜けていた母と伯母がビールを飲みながら近況を話していた。


「マナちゃん、お母さんと話してたんやけど、これもらってくれやん?」


 伯母は一通の白の立派な封筒を僕に渡した。開けると『大牧温泉郷 宿泊案内』というパンフレットが入っていた。


「実は明日からお祖父さんたち温泉にいくつもりだったの。でも怪我したでしょ?で、断っておいてって頼まれてるんだけど、もう前日だからキャンセルできなくて。もう全額払ってあるしもったいないから、良かったら行ってきて」


 すんごく嬉しかったが、一応一度は遠慮する。


「嬉しいけど…おじさんとおばさんで行けばいいじゃないですか?」


「だめよ。息子3人も帰ってきとるし、お祖父さん歩けないから補助もしないかんし、頭もちょっと打ったから急に何かあるといけないしね」


「ヒロ兄たちは?」


「だめだめ、3人で行ったら心配で私たちがまいっちゃうわ。これ見てよ、川沿いなのよ、きっと酔っぱらって落ちちゃう」


「…」

 

(絶対落ちるわけないじゃないか、3人とも大人だし)


 母を見るとニヤニヤしていた。




 僕らは毎年恒例のお寿司をとってもらって皆で食べた。4人若い男子がいるとすごい勢いで寿司桶おけの空きの面積が広くなっていく。一番大きな寿司桶3つにぎっちり詰まっていたのに。


「リアム、遠慮してない?ハイ」


 僕がリアムの好きそうなものを皿に取って渡すと、酔っぱらった従兄たちが悔しいようなバカにするような顔で見てくる。


「何?」


「いや、女みたいだなって思ってさ」「ごまかしは結婚したらきかんぞ」「そうや、マナは乱暴やで、ちょっとは女らしくならんとリアムに捨てられるかもよ」


 次々と悪態をついた。そんな話を男同士でずっとしていたのだろうか?


「そうなの?」とリアムに聞くと、


「バカだな、乱暴なとこも好きだよ」とリアムがとろんとして僕の胸に抱き着いた。


(そこは否定するとこじゃあないか!)


「ひゃっ」


 結構酔ってる。

 彼が崩れ落ちて僕の膝ですぐに寝息を立て始めたのを見て、従兄たちは口々に言いたいことを言い始めた。


「おまえさ、こいつがいいやつだってのはわかったけど。でも結婚って、早くないか?」「そうそう。モテそうだからあまり早く結婚すると浮気するぞ」といかにももっともな事を従兄いとこたちは言ってくる。


 やっぱり彼は男性にも好印象のようだ。当たらずとも遠からず、といったとこだろう。


「いいの。浮気されたら速攻で別れるから」と言うと、リアムが、


「マナ…浮気なんてしないよ」と英語で寝言を言った。僕がそれを訳すと、リビングが笑いで満たされた。

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