第57話 負けず嫌い

 イーサンと僕は対峙して挨拶した。


 始めの合図とともに僕らは構える。圧迫感がさっきの相手と全然違うしすきがない。

 イーサンは様子を見てこちらの出方を伺っている。さっきの僕のスパーを横目で見ていたのだろう。


(ふうん、余裕じゃないか…じゃあ)


 僕は手始めにローキックを入れ、よけられてすぐに繰り出された相手の突きを払いながら中段前蹴りを入れたが、浅かった。久しぶりで緊張しているのか思い切りが足りない。トントンと両足で宙に飛んで全身の緊張をほぐしてから、いつ相手の攻撃が来てもいいようにやや猫足立ちで構えた。

 やはりすぐにイーサンが仕掛けてきた。上段突きに続き、中段突きでみぞおちを狙っている。食らったら即終わりなので半歩下がったりいなしたりしてかわす。身長差から突きがやりにくそうなので、次は蹴りが来そうだ。蹴りは僕の足では受けきれないので、もらうとヤバい。

 僕はステップを踏みながら軸足を替え、鋭い左の上段回し蹴りで相手の側頭部を狙った。瞬間、彼が右の蹴りを繰り出そうとして回した左の肘が目の上を強くかすったが、無視してそのまま蹴りを続行させる。

 大体の狙い通りの部分にヒットした。一瞬練習不足で足が上がらないかと思ってヒヤッとしていた。


「一本」と審判の太い声が響く。


 僕らは元の場所に戻り、礼をして握手した。


「おまえめっちゃ足上がるな、負けたよ。悪い、目は大丈夫か」


 僕の左目は鮮血で開けられなくなっていた。瞼が少し切れたのだろう。痛みはない。誰かがタオルを持って来てくれたのでお礼を言ってそれで抑えた。


「ああ、大丈夫。ちょっと切れただけ。道着が汚れちゃうからすぐ脱ぐよ。イーサンこそ脳揺れてない?」


 僕が上着を脱ぎながらニヤニヤして言うと、


「うるせ…よくリアムはおまえみたいな女と付き合えるな…驚いたよ。しかしおまえ俺の肘よけれたけくせに、回し蹴りで勝つのを優先したな。さては負けず嫌いか」と嬉しそうに言った。余程空手が好きなんだろう。僕もだ。


「そっちこそ。でも楽しかったね」


「そうだな。とりあえずリアムに傷を見てもらおう」


「うん」


 僕らは今度は手をグーにして握手した。




「はー、マナには呆れた!ハワイまで来て何やってんの?」


 僕はとりあえず下は道着のまま、上は白いTシャツでリアムの前に座って手当をしてもらっている。


「いや、運動しよっかなって…」


「こんなまぶたを腫らしちゃって…妖怪人間のベロみたいじゃん…」


(ベラじゃないんだ…)


 彼のマニアックな突っ込みに僕は微妙にしょんぼりした。

 イーサンがリアムに連絡してくれたのだのだが、彼が初め僕の顔を見たときは少し叫んで青ざめてしまい、どっちが患者かわからなかったくらいだった。


「でも…楽しかったよ、ね?」と僕は隣のイーサンに聞いた。


 わざとじゃないが肘だから反則だし自分の責任だからと言って付いてきてくれた。子供じゃないし別にいいのに律儀だ。


「そうだな、またしようぜ」と彼はニヤリとして言った。すると眉をひそめたリアムが、


「もうダメ!なんか二人、似てる?子供なの?いい大人が血を出すまでするなんて」と僕らに苦情を言った。


「だって空手だし」と僕たちが声をそろえて言ったのでリアムはとても嫌そうにした。でも医者の卵らしくイーサンのことも心配して聞いた。


「おまえも大丈夫か?蹴りを頭にもらったんだろ?」


「ああ、でもいい音させた割には手加減してくれたから」とイーサンがさらっと言った。わかってたんだと僕は驚いた。


「そうなの?」とリアムは驚いている。


「うん、寸前で軽くした。だって明日試合だしね、頑張って」


「おう、頑張るよ。見に来る?」とイーサンが見に来てほしそうに誘った。もちろん見たいに決まっている。


「うん!いいでしょ、リアム?」


「う…いい、けど」


 歯切れ悪くリアムは答えた。平和主義の彼は殴り合いとかが嫌いなのだろう。でも嫌でも生きていればやらなきゃいけない時があると僕は思う。ジェフェリー・ディーヴァーの小説に出てくる『ナックルタイム』ってやつだ。




 道場に戻って、正座で練習を見学した。

 

(いいな、熱気があって。僕もやりたい…)


 羨ましがりながら見ていると、休憩の時間に僕より少し下くらいの女性が5,6人寄ってきた。


「大丈夫ですか?すんごくカッコ良かった!ね?」と女子でキャーキャー喜んでいる。なんで喜ぶのかわからないが、褒めてくれているようだ。


「あ、ありがと…」でいいのか?と思いつつ返事をした。


「だって、イーサンがここで一番強いんだよ?!それに勝つなんて」と一人が興奮気味に言った。


(なるほど、そういうことか…でも)


「違うよ、彼は僕を知らないから勝てただけ。次は僕が負ける。勝てるのは最初の一回だけだよ」


 僕は本当のことを言った。だって実際そうなんだもの。


「なるほど、そうなんだ…でもそういう正直なところもカッコイイ!」


 こういうの久しぶりだな、と思って女子に囲まれていると、見学に来たキアナが寄ってきて「ふーん、マナは女子モテるんだ」と笑った。




 後半のミット練習に参加させてもらい久々にすっきりした。思ったようないい音が出せると気持ちがいい。子供相手で空手をすることが多くてすっかり忘れていた。

 

(やっぱり同年代が道場にいるのは楽しいな…そうだ、N大にもないか調べてみよう)


 僕はそう思ったが、考え直した。これ以上忙しくなったら、クローンでも作らないと身が持たない。


 帰りはリアムとキアナ、イーサンと一緒に帰った。イーサンがリアムに、


「おい、ちょっと飲みに行こうぜ!」と誘うので、男二人を街に置いてキアナと帰ることになった。僕は空手と時差で眠くて仕方ないのだ。




 家についてリアムのお母さんの美味しい手作り料理を食べ、お腹がいっぱいになった。

 リアムのお母さんは僕のけがを見て顔だしとても心配してくれたが、バレー選手だったキアナで慣れているのか、あまり騒がなかったのでほっとした。


 その後、女3人で片付けをして、部屋に帰ってシャワーを浴びすぐにベッドに入った。自分でも驚くほど一瞬で眠りについた。まるでのび太君のように。




「マナ…寝てるの?」


 目を開けるとリアムが僕のベッドに座って不規則に頭を撫でていた。時計を見ると12時近い。僕が寝て4時間くらい経ってる。


「ん…時差でおかしくて」


「そう…俺も、マナが家にいるせいでおかしいんだ。ねえ、キスしていい?」


 最近聞くことなんてなかったのに、と思いながらも、ぼんやり頷くと、ゆっくりかがんでそっと唇に触れた。お酒の匂いがする。

 

(リアムってば元気がないように見える…酔っているからかな)


「マナ…痛む?」と僕の左目の上に出来た青いあざまぶたに貼ったガーゼを指でたどった。少し痛むが、


「ん、大丈夫だよ。先生がちゃんと処置してくれた」と言って彼の首に手をまわして引っ張った。


「痛いんでしょ、今夜は側にいるから気分が悪くなったり異変があったら言うんだよ」


「やだ、大げさな…」と僕が笑うと、


「脳内出血してるかもしれないじゃないか!」とリアムは酔っぱらいのくせに少し怒った。


(いや、これくらいでなんかなってたらもう僕はとっくに死んでるよ…)


 僕は彼がとても優しいので嬉しくなって、


「ありがと。もう寝よう。明日はイーサンの試合があるし。楽しみだね」と言うと、少し嫌そうな顔をしてから、


「うん…寝る。おやすみ」と言って、僕の横に突っ伏して寝てしまった。よっぽど眠かったのにここまで辿り着いたのだろう。彼のこういう所がとても可愛い。


「リアム…」


(そういえばケガ騒ぎで忘れていたが、今夜の約束はどうなったのだろう?)


 僕は正直ほっとした。

 彼の滑らかな頬を撫でながら僕はまた眠りについた。




「ふぁー、けっこうすごい人だね」


 会場にはいろんな道場や学校の幕が飾ってある。学生が3コート、一般の部が1コートを使って午後の準決勝までのトーナメントをする。大学生は一般部だ。小さな空手キッズたちが興奮して走り回っていてとても可愛い。僕も昔はそうだった。

 キアナは忙しそうに大会の運営で走り回っている。


「キアナ忙しそうだね」


「…うん…」


 リアムはなんだか上の空で返事した。

 昨夜帰って来た時もそうだったが、様子がおかしい。お酒のせいでもないようだ。


「調子悪い?ごめんね、僕が無理に誘ったから。帰ろうか?」


「いい。イーサンと約束したから」


(そうなんだ…すごく嫌そうに見えるけど)


 僕たちは2階の応援席に座った。上から見るとイーサンはすぐにわかった。軽くミットをしてる。

 応援席を見たので僕が手を振ると、ニカっとして大きく手を振り返した。隣のリアムは知らんぷりしている。


(男性の友人ってこんな感じなのだろうか?)


「イーサン調子良さそうだね。昨夜遅くまで飲んでた割には」


「そうだね…」とリアムは僕になぜか複雑な表情で答えた。



 そのうちに試合が始まった。お互いの応援が飛び交う。相手の鋭い中段蹴りで技ありが入ったが、すぐさまイーサンの重い突きが入った。試合相手が続行できず、一本、の声が響いた。

 彼は相手に礼儀正しく挨拶をして握手し、コートから離れてからこちらにこぶしを突き出した。


「わあ、イーサン勝ったよ!重そうな突きだから食らうとヤバそうだね。良かったぁ、昨日もらわなくて…」と言って隣を見るとリアムの顔色が悪い。


「な、大丈夫?ちょっと…気持ち悪いの?ほら、とりあえず横になって…」


 彼を横にして頭を僕の膝に乗せた。


「ね、帰ろう。約束したからって、調子悪いなら仕方がないよ。こうしていて少し良くなったら帰ろ?ね?」


 でも彼は唇をぎゅっと引き結んで、頑固に首を縦に振らない。


(なんなんだ…?)




 僕がアワアワして彼に飲み物を飲ませたりしている間、イーサンはもう2つ試合に勝ち、昼休憩を挟んでから行われる準決勝に進むことになった。

 リアムはますます調子が悪そうだ。


「キアナ…リアム調子悪いのに帰らないんです。どうしましょう…」


「もう…困ったやつだね。あと2試合だし放っておきな。我がままだから聞かないし仕方ないよ。ごめんね、マナ」

 

「い、いえ…心配で…」


 僕は飲み物と軽い食べ物を買いがてらキアナに電話で相談したが、忙しくて彼を説得する気もないようだ。


「もう…リアムは…」と言いながら売店で買っていると、


「おう、マナ!応援ありがとうな」と声をかけられた。イーサンだった。


「頑張って、見てたけどイーサンなら勝てる相手だよ」


「あと2つだ、マナの為に頑張るよ」とさわやかに言い、僕とグーの握手をして去っていった。


(ん…?僕の為って言った?)


 おかしいと思いつつも彼はやっぱりいいやつだなと思っていたら、彼がくるりと踵を返して戻ってきて、


「聞いてる?」と僕に尋ねた。


(聞く?)


「誰から何を聞くの?」


 僕が訊ねると、


「じゃあ、いいや」と笑って行ってしまった。


(なんなんだ。リアムといいイーサンといい、男ってさっぱりわからない…)




 彼は準決勝も危なげなく勝ち、決勝戦に進んだ。


「どうなってる?」と言って少し落ち着いたリアムが上半身を起こした。結局彼は昼ごはんも食べられなかったので僕がすべて片付けてお腹いっぱいになった。


「イーサンすごいよ、次は決勝戦だ」


「マジか…」


 リアムが僕の言葉を聞いてうなだれた。

 

(なんなんだよ!)


「友達の決勝戦でしょ?嬉しくないの?」


 僕は少し責めるように言った。紫のあざをたくさん作って戦っている友達に対して、ちょっと冷たいんじゃないかと思う。


「…だって…昨夜約束したんだ」と彼はしょんぼりして言った。


「イーサンと?美味しいものでもおごらされるの?」と聞くと、


「そうだね、俺の大好きな物なんだけど…」と眉間に皺を寄せて小さな声で答えた。


 そうこう言ってるうちに試合が始まった。


「ほら、始まるよ…イーサーン!」


 僕が上半身を乗り出すようにして熱心に応援を始めると、彼は苦いものを食べたような顔になった。

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