第56話 減るもんじゃない、ってことはない

 日本は12月で冬なのに、ここに降り立つと夏なんてヘンな感じだ。何度目でも慣れない。



 先月、リアムが日本に遊びに来てくれて、12月の中頃にハワイに招待された。滞在費や航空チケットは払ってくれると言う。

 僕がそんな美味しい招待、受けないわけがなかった。


 ルリの姪であるシズからもらったお金はあるが、自分の為に使うのが怖くて押し入れにしまったままだ。

 できたら誰かが盗んでくれるとさっぱりするのだが、僕なら泥棒に鉢合わせたらやっつけてしまいそうだし。母に見つかる前にどうやって処分しようかと頭を悩ませている。




 というわけで僕はハワイに着いていた。クリスマスまで10日間滞在する。彼の口ぶりでは何か大事な用事なようで少し緊張している。


 空港の到着出口で彼を探すとすぐに見つかった。


「リアム!!」


 彼に向かって小走りしていた僕は、間で男性にぶつかった。


「わあ、すいません…」


 僕のおでこが彼の胸にぶち当たったのだ、さぞ痛かったろうと見上げると、


「へー、がリアムの恋人?すげーちんちくりんじゃん」と彼は言って、子供を高い高いするときに持ち上げるように僕のウエストを両手で掴んで少しくうに浮かせた。

 背はリアムと同じくらいで、体は1.5倍程ありがっちりしている。肌色はリアムよりやや濃い目だ。黒目黒髪で目鼻立ちがはっきりして各パーツが大きいのでホリジュンを思い出す。しかし。


(ちんちくりん…だと?!)


 僕は無言で彼のみぞおちに右膝蹴りを斜め下から突き刺すように食らわせ、手が離れたので床にトスンと着地した。


「う…なんだ、この女…クノイチか…?」


「バーカ、イーサンが変なことして変なこと言うからだろ?自業自得だ。マナ、いらっしゃい、待ってた」とあきれ顔のリアムがそいつに言ってから、僕に向かって嬉しそうに腕を開いた。


「リアム!会いたかった!!」


 僕らはイーサンと呼ばれる男が床で膝を付いて丸まる横で抱擁していたが、彼はすぐに復活して、


「おいおい、本当に恋人なんだな…冗談かと思った。でもこれで大学の女子はすべて俺のものだ!」と騒いでる。


(誰だ、こいつ…、どこの小学生だよ)


 僕が心底軽蔑の眼差しで見ていると、


「ああ、こいつイーサン。大学の一番の友人なんだ。マナに紹介しようと思って連れてきた…わけじゃなくて、ここに来る途中で見つかってしまって、勝手に付いてきたんだ。ごめんね、マナ、変な奴連れてきて」と苦笑いしながら言った。


(まあ、リアムの友達なら仕方ないだろう。それに、さっき触れたけどいい人そうだったし)


「ごめんね、痛かった?」


「当たり前だ。初めて会う人におまえは膝蹴り食らわすのかよ?ちんちくりんで胸もないし、俺はこいつと恋人なんて絶対にヤだね」


(僕はカチンときた。謝った上に歩み寄ったのに!)


「あなたこそ初めて会った女性を持ち上げるとか、あり得ないでしょ!それにさっきのは膝蹴りじゃなくて膝が当たっただけですぅ!でかいくせに弱いんだね、あなた」


「なにお!」

「なにさ!」


 僕らが今にもケンカを始めそうだったので、リアムがあわてて仲裁した。


「もう…イーサン、大学送ってくよ」


「おう」


 リアムは情けない顔をしたが、イーサンは知らんぷりだ。きっと僕の事、もっとこう、出てるとこがちゃんと出てる、あのバーでリアムが抱き合ってた女性みたいのを想像してたんだろう。

 僕は死ぬほど嫌そうな顔を彼にしてやった。


 こうやって僕らは音楽だけ流れる居心地の悪い車内で30分過ごすはめになった。




「ごめん、イーサンとは合うと思ってたんだけど」


 大学で彼を降ろしてからリアムが謝った。


「…ああいう人、苦手。乱暴なんだもん」


 そうだ、ナユをいじめてたやつがあんな感じだったから、過剰に反応してしまうのだ。僕も蹴ったりして乱暴だけど。


「ああ見えていい奴だから、嫌わないであげてね。でもマナも大概乱暴なくせによく言うね、笑っちゃうな…ふふふ」と嬉しそうに言った。


「リアムの友達だしいい人だってわかってる。今度会ったら仲良くするよ」


「…でもあんまり仲良くなるのは嫌だな…」


 リアムは僕に聞こえない声でぼそぼそと呟いた。


「え?なあに?」と聞いても教えてくれなかった。





 彼の家に着くと、


「マナ!いらっしゃい。夏はグランマのことでお世話になったわね…本当にグランマはマナが気に入ってたわよね…」とすでに泣きそうになっているリアムの母親と、

「いらっしゃい、マナ。忙しいのに無理言って足を運ばせて悪かったね。今度こそここで好きなだけゆっくりしていきなさい」と理知的な父親が一緒に出迎えてくれた。


 その後ろには申し訳なさそうな姉のキアナがいて涙ぐんでいた。


「ううっ、マナ、また来てくれるなんて嬉しいっ…もう二度と会えないかと思ってたんだよ…リアムを許してくれてありがとうね」


 最後の部分は耳元で囁いた。キアナはとても心配してくれていたのだろう。


「いえ、もういいんです。なかったみたいですし」と僕が横にいるリアムを見ながら言うと、彼はすごく嫌そうにしたので、僕らは笑った。




「わー、なんだか懐かしい!」


 しばらくリビングで話してから、8月に使わせてもらっていた部屋に案内された。窓から庭を見ると、あの夜のルリを思い出してしまう。


「泣いてるのは俺のせい?」


 さっきキアナと話していたことを言ってるのだろう。


「違う、ルリが真夜中に僕を呼んで、いろいろ話をした。彼女の村での生い立ちや能力の話…リアムのことも」


「俺、グランマを愛してた。大好きだったんだ」


「うん…彼女は知ってたよ」


 リアムの話(悪い話も含めてだ)をするときのルリは、彼がこの世に存在することを感謝していた。それが愛でなくて何だろうか。


「マナ…愛してる」


「…へ?」


「マナをすごく、とても愛してる。ねえ、婚約してるんだよ。へ?とか言わないで!」


「う…あまり実感がなくて」


 そう言うと彼はニヤニヤしながら耳元でささやいた。


「それは俺たちが完全に一つになってないからじゃない?ねえ、マナはもう大丈夫なの?」


 僕は…正直言って少し不安なので俯いた。

 

(現場を見てしまって心が反発してるのだろうか。バーでを見る前は全然ためらいなんてなかったのにな…)


 それは嫉妬なのかもしれないし信じてないのかもしれない。

 でも僕が彼を好きなのは間違いがないのだ。


「う…ん、大丈夫、かな」


「本当?!」とリアムが心から嬉しそうに叫んでから慌てて言った。


「ご、ごめん。だってこの前がっかりしてさ…大きな声出してごめん」


「いいよ、リアムがあんまり嬉しそうだから僕も嬉しい」


「へへへ…嬉しいな…じゃあ、今夜」


(うっ…、いきなり今夜?!ハードル高いな)


 僕はそう思いながらも、


「わかった、待ってる」と平常を装って答えた。


「…待ちきれないや」


 彼が子供みたいにはしゃいで僕に抱き着くので、これでいいような気になってくる。

 減るもんじゃない、とまでは言わないけど、大好きな人とするのは間違ってないのだろう。




「あ、ヤバい、忘れ物した!」


 二人で話していたらリアムが急に言った。休み明けにある試験の資料を大学に忘れてきたそうだ。


「今から取りに行けないの?」


「いいの?」


「大事なものなんでしょ、行こうよ」


「先生に聞きたいとこもあるから…時間がかかるかも」


「いいよ」


「じゃあ…付いてきてくれる?」と遠慮がちに聞いた。僕が頷くと嬉しそうにした。



 出かけようとしたら、キアナも大学に用事があるそうで、一緒に行くことになった。


「仕事でさ、大学に用事があるんだ。ごめんね、婚約者の貴重な時間をお邪魔して。明日空手の大会があるんだ。病人やケガ人が出た時のために行くので、打ち合わせにね」


「え、空手?僕も見たい!」


 僕がそう言うと、リアムがすごく嫌そうな顔をしたのを見逃さなかった。


「どうしたの?」


「いや…なんでもない」


 最近忙しさにかまけて空手道場に通えていない。トレーニングは空いた時間に一人でしているのだが、全く足りてない状態だ。

 新しいことで毎日がいっぱいで、手が回っていなかった。初心にかえらないと…。

 僕が小さく気合を入れるのを、リアムが呆れたように見た。きっと『これ以上強くなったら困るよ』とでも思ってるのだろう。触らなくてもわかる。




 大学に着いて、僕とキアナは大会が行われる武道場に向かった。


「ふぁー、立派な建物ですね!ちゃんと畳もある!!」


「ハワイでは日本の武道が結構人気なの。少し前の女子空手60キロ級の世界チャンピオンもリアムの通ってる大学を卒業してるのよ」


「…それはすごい!本格的なんですね、なんだか…ワクワクしてきました!」


「何、マナやってたの?なわけないか」と僕の身体を見て言った。


「はい、小さいころからずっとやってて、黒帯も取ったんですよ。たまに子供に教えたりもします。運動神経は悪いんですが、空手だけは好きで」


「え、本当に?じゃあ、先生に話してあげるから少しやったら?きっとすっきりするわよ」


(え?なんで僕がモヤモヤしてるのを知ってるんだろう?)


 僕の表情を見てキアナは笑った。


「バカね、マナはすごくわかりやすんだから。リアムと何かあったんでしょ。あいつは浮かれてるし、マナは微妙に沈んでるからさ」と僕にだけ聞こえる小さな声で言った。




 僕はキアナの口利きで早速道着を借りて、一番後ろでこっそり練習に参加させて貰った。

 大学の生徒だけでなく一般の人も参加しており、先生が熱心で礼儀作法もしっかりしていて好感が持てる。なにより皆楽しそうだ。


 柔軟体操、基本の受けや蹴り、突きを一通りしてから、明日試合があるグループは別れて隣でスパーリングをするらしい。

 僕は最近使ってない筋肉をほぐしていると、


「9人か半端だな…そうだ、君基本の形が綺麗だしやってみなよ。経験者だろ?」と先生が声をかけてくれた。


「いいんですか?」


 僕はうきうきして拳と膝にサポーターを借りて着けた。


「ヘッドギアは?」


「ああ、いつもつけてないからいいです」


 視界が狭くなるから苦手なのだ。


「気を付けて」


「はい」




 男女混合の10人が2列になって対面する選手と1分のスパーリングをする。1分経ったら対戦相手にお礼と握手をしてから、角の一人以外が時計回りにスライドしていく。これを10セットする。結構ハードだ。


「宜しくお願いします」と一礼して、初め、の合図で構える。この緊張感がいい。


 僕は相手の出方を見てけながら接近して強打を叩きこむスタイルだ。体力がないので早めに足技で一本か、技ありを2本とる。特に今回はみな高身長ばかりなので、僕はスピードで勝負するしかなさそうだ。


 案の定相手の男性は僕が小さいのでうかつに右の上段突きを繰り出してきた。リーチが日本人より長いので違和感があるが、僕はそれを左手で流しながら半歩右に除けて中段の左回し蹴りを相手の脇腹に入れ、右手でみぞおちに突きを入れる。相手がうずくまったので、僕は彼にとどめの代わりに『エイ』という気合とともに空拳を下に突いた。

 これは試合では相手が倒れてるからもう殴らないけど、実戦ではとどめを刺さす必要があるので、形式的に行うのだ。そのように僕は道場の師範に指導されてきた。


 ふと周りを見たら皆が僕を見て驚いていた。一気に空気が冷えて固まってしまっていた。


(ヤバい、やってしまったかもだ)


「すいません、あまりここのルールがわかってなくて…やっぱり見学させてください」と皆に向かって謝った。


(ルールが違うのかもしれない)


 僕が相手をゆっくり立たせてスパーの礼をした。そして、脇に座って見学していると、隣に大きな人が座った。


(あれ?)


「イーサン、だっけ?なんでここに?」


「俺も空手やってんの。おまえの蹴りすげーな。あいつめっちゃ我慢してたけど、結構入ってたし痛そうだった。なあ、この後でやろうぜ」


「う…ん、イーサン強い?」


「嫌なのか?」


「強いならいいけど」と僕が言うと、彼は笑った。


「言うなぁ、おまえ。先生に頼んでおくよ。アップしとけ」と言って、嬉しそうに戻っていった。


 僕は立ち上がって部屋のすみでシャドー空手をした。

 空想の相手の1本を受けて、自分が3本の連続技を返す。同じパターンのものを繰り出してはいけない。それを延々続けるのだ。自主練や相手がいない時はよくこれをやっている。


 身体があったまったのでスパーリングしてるイーサンの空手を見た。

 上背があるのですぐに相手を捕えられる。突きはリーチが長いし早いし重そうだ。ただ、蹴りのスピードがやや遅いのが弱点のように見える。長引かないようにすることと、ステップで突きが繰り出しにくい位置に僕がポジショニングして一本入れることがパッと見た感じの彼の攻略法だった。

 ずっと同じ体制のどつき合いもカッコイイが、僕がそれをやったらすぐに吹っ飛ばされて終わってしまうだろう。


 スパーが終わって僕はイーサンに呼ばれた。他の人はへとへとで肩で息をしているがイーサンは全然大丈夫で真っ直ぐぴっと立っている。体幹もいいし体力がある。普段から鍛えているのだろう。


「3分でいいか?」と先生が聞く。


「はい」


「素手による顔への攻撃と金的技が反則、後は何でもありのフルコンタクトだ。ヘッドギアは本当にいらない?」


「はい、必要ないです」


 僕は背が低いので、ヘッドギアを付けていると視界が狭くなって上からの技をもらいやすくなる。


「じゃ、始めようか」


「お願いします」と僕らは同時に頭を下げた。

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