第55話 今日は女だから
僕たちは軽い足どりでキャンプ場に戻った。
美月が昼ごはんの準備で火を起している。
しばらくしたらアユたちも段ボールに入れたたくさんの戦利品を持って戻ってきたので、いったん情報を共有し、とりあえずお昼ご飯を作ることにした。肉と海鮮のバーベキューと焼きそばだ。
見事な桜紅葉の下で全員で食事の支度をする。
ふと目を上げると海の青と紅葉の紅の対比が見事で見とれてしまった。勇壮な桜の根元にはいつの間にか可憐な水仙が顔を出して先端が少し黄色みを帯びて膨らんでいる。
冬に桜が寂しくないようにとヨッシーが球根を根元付近に植えたのだろう。彼は根っからのロマンチストなのだ。
訪れる人がいくら踏んでも毎年出てくる美しい淡い黄色の水仙が、桜の葉が落ちて寂しくなった遊歩道を彩る日も近そうだ。
皆の顔が明るい。
アユの父親が森田の会社を付き合いの長いお得意様と知っていたので、すぐに9月と3月の決算を確認した。何も問題がないからおかしいので調べてみると言ってくれたそうだ。
前の担当者の今井もすぐに夫に聞くと言ってくれている。
はっきりとは喜べないが、情報は森田の会社はなんとかなるのかもしれないと暗に示していた。
準備が出来たのでU字溝に鉄板を2枚と網も2枚乗せた。油をひき、肉と海鮮をどんどん並べた。ジャゥー、といい音がする。
「おー、めっちゃ豪華!」と一番若い美月が喜ぶ。
「森田さんに軍資金をもらったので」とルイがニヤッとしたら、森田は軽く頭を下げた。
彼の会社は父親から受け継いで30年も続いている会社だった。ほどんどの中小の企業は10年ともたずに淘汰されると美月が言っていた。30年も続けられるのはほんの一握りだとも。
彼は従業員とともに苦難を乗り越え会社を継続させてきたのだ、潰すなんてのは死ぬほど辛かったのだろう。
「さ、食べよーぜ!」
美月が手際よく焼いた大量の焼きそばは生姜が効いててかなり美味しかった。もちろん焼肉も海鮮焼きも新鮮で美味しいのだが、別格だ。何か特別なスパイスが入っているのだろう。
「美月はなんでこんなに上手に作れるの?これ売れるよ?」と僕が言うと、
「こいつは器用なンがとりえやでなー」とザキが頬張りながらからかったのでアユが笑った。
「他にも取り柄くらいあるっつーの」と美月が文句を言ったので。皆が笑った。笑って食べていると、余計に美味しい。
「ホント、めっちゃうまい!でもちょっと買いすぎたかな」とルイは少しだけ心配そうに大量の焼きそばを見ながら頬張った。美月と二人がよく食べるので見ていて気持ちがいい。
森田は「こういうの、懐かしいです」と言いながら皿に上品におかわりした。彼がくるりと回転させて焼きそばを盛ると売り物みたいに見える。
僕らがご機嫌で食べていると、森田の奥さんと娘さん、従業員の男性が転がるように走ってきて僕らの前で立ち止まり、
従業員の男性は番頭さんのようで、森田にかなり本気で怒っていた。それも泣きながらだ。奥さんと娘さんは二人で支え合いながら泣いてへたり込んだ。
どうみても森田さんは愛されている社長だった。
その次は銀行の元担当者だという今井さんが、小さな子供連れで森田を心配してわざわざ来てくれた。森田の失踪の話を聞いて心配で来たそうだ。
僕が「え、ウソっ?!」と声を上げたので、彼女は僕の顔を見て、「えーっ!!」と大声を出したので、皆が驚いた。
なんと、僕がハワイから帰る飛行機で隣合った親切な女性だった。
「あー、絵を描くお兄ちゃんだ!」と彼女の子供が言ったので、今井が「こら、お姉ちゃんだよ」と慌てて訂正したので皆が笑った。
そしてその後にアユの父親まで来てくれた。思わぬところで元同僚の今井と会って「なんでここに?」とお互い驚いている。
「パパ!来てくれたの?」とアユも思わぬ父の登場に飛び上がった。
髪のてっぺんから靴の先までびしっとして生真面目そうで、いかにも『銀行マン』という伏兵の登場に、物怖じしないあのルイがかなり緊張しているのが伝わってくる。
父親もきっとキャンプは女子と来ていると思っていたのだろう、顔が引きつっていた。
僕がニヤニヤしているのに気が付き、ルイはこっそり僕を睨んだ。
アユの父は支店長をしており、経営を危ぶませるような貸し剥がしをしようとしたことを謝った。担当者を変えるので、末永くお付き合いしてくれるよう頭を下げている。
当たり前だ、この超低金利時代、お金を借りてくれる優良企業は大事なお客様だろう。
しかし、銀行の担当者にはその気はなくても、森田はギリギリまで追い込まれ、思い詰めて死のうとまで思っていたのだ。お金は本当に怖い。
一気に人が多くなり、皆で焼きそばやバーベキューを食べていると、森田は少し離れて奥さんと抱き合って泣いていた。今まで僕の前で見せたことない安堵の涙だった。番頭さんと娘さんはほっとしたのだろう、彼らの邪魔をしないように焼きそばを仲良く食べている。
さて、これでもまだ彼は自殺しようと言うのだろうか?
言うわけがないだろう、だって自殺でなく他殺だったのだから。
僕はホッとしながら、焼きあがったエビの殻を剥き(美月には雑だと怒られた。ちょっと彼は神経質過ぎだ)、タレを少し付けて口にした。新鮮なエビはプリプリで、美味し過ぎて涙が出た。
バーベキューの後、森田はもう1泊だけすると言い張ったので、奥さんたち3人はしぶしぶ帰って行った。
アユとルイも父親の手前、泊まるわけにもいかずに帰っていった。今夜はアユと父の
僕はアユたちのテントを撤収した後、自分のテントで少し寝た。緊張が緩んでホッとしてしまったのだろう、すぐに意識を失うように寝てしまった。
起きたらもう夕方だった。
なんとなくインドカレーが食べたくなったので、買い置きしてあったカルディの『手づくりインドカレーセット』を作ることにした。
冷凍してあるナン3枚セットを取り出して常温に戻し、ガスコンロを用意した。
まず玉ネギ1個をすりおろしておき、鍋にオリーブオイルを入れてカレーセットに入っているクミンシードを焦がさないように丁寧に炒める。この時点でもうインドっぽい香りがしてテンションが上がってくる。
次にすりおろした玉ネギを投入し、少し色づくまで火にかける。そして、昼のバーベキューで余った一口大の鶏肉を入れる。肉はパッケージの表示より多いほうがいい。ひき肉もあったら入れたほうが美味しいのだが、今日はなしだ。
肉が炒まったら水を入れ、カレーソースを入れて混ぜながら火にかける。5分程煮込んだら、コリアンダー、シナモン、唐辛子、ナツメグがミックスされた添付の『香りのスパイス』を入れる。名前の通り香りがふわっと立ち、幸福感に浸れる。
そこに、コリアンダー、ターメリック、チリパウダー、カルダモン、ブラックペッパーなどを追いスパイスとして適当に足す。これは美月の趣味で冷蔵庫にたくさん種類が入っているのを使わせてもらう。スパイスを追加して3分、出来上がりだ。
「森田さん、インドカレーを作ったので一緒に食べませんか?」と隣のサイトで読書をする彼に声をかけた。
「嬉しいですね、ありがとうございます」
彼はチェアを持って僕のサイトに遊びに来てくれた。
僕はカレーを入れた器の上に軽くコンロで炙ったナンを半分にちぎって出した。
「こ、これは…お店の味です!マナさんプロですよ、これ」と口にした途端に絶賛した。彼のように色々美味しいものを食べてる人に褒められると嬉しい。
「実はインドカレーセットなるものがあるんで、それを使うと簡単に作れるんです。これですよぅ」と僕は空になった紙のパッケージを彼に渡した。
「ほー、これはいいですね。帰ったら家族に作って食べさせます」
彼は携帯で表紙を撮った。そしておもむろに、
「私は死ぬ必要がなくなりました。でもマナさんは死んではいけません。私が他殺のくせに一緒に自殺する約束をしたのが悪かったんです、そんなに死ぬ気でなかったあなたをこのようにやる気にしてしまい、本当に申し訳ないです…」と済まなそうに言った。
(ああ、やっぱり僕のこと気にしてくれてたんだ。…困ったな)
僕は今更全部嘘だと言えず、
「そんなこと言わないで下さい。僕も森田さんを見て考え直しました。きっぱり諦めますから」と答えた。
「…まさか、また私みたいな人がいたら一緒に死ぬんですか?それは困ります、絶対に止めて下さい。お願いします」
森田は真剣に説得している。
あんなノリノリで音楽を決めて自殺しようとした僕が、あっさり止めるなんて言っても信用しないだろう。
「…」
困った。どうしようかなと思っていると、後ろから声をかけられた。
「マナ?一緒に死ぬって何?…怖いんだけど」
リアムだった。
彼もインドカレーを気に入って、美味しそうに食べている。スパイスがきついから男性は嫌かもと思っていたが、案外反応が良くて嬉しい。
「ははは、そうでしたか。大きな優しい嘘ですね、マナさん。ありがとうございます。あなたに会えなかったら、多分最初の晩に自殺していました。いや、他殺ですね」
「…すいません、
「じゃあ、彼氏さんの浮気もお父さんが亡くなったのも嘘ですね?良かったです、私あまりに衝撃で聞いたその晩はうまく寝られませんでしたから」とまた笑った。
「いえ、それは…本当の話だったりします…」と僕はリアムをちらりと見ながら言った。
それを聞いて彼は口を尖らせて
「リアムさん」と夜のキャンプ場に響き渡る大声で話しかけたので少し不機嫌に海を向いていた彼はびっくりして返事した。
「…はい」
「大事な人を傷つけた行為は一生消えません。それでもあなたはマナさんの側で彼女を癒し続ける覚悟があるんですか?傷つけられた方はずっと見えない血を流しているのですよ」
リアムはしばらく空中を睨んでいたが、次に僕を見た。心から申し訳なさそうに。彼の言ってることを理解しているようだ。
「いいんだ、リアム…」と僕がとりなそうとすると、
「いや、彼は間違ってない。俺は…彼女の側で一生償う覚悟があります。どうか信用して下さい」と英語で言ったので、僕は通訳した。森田はじっと考え込んでから、
「…わかりました。実は私も今回妻を置き去りにして死のうとしたので、残りの人生をかけて償おうと思っています。こんな私が偉そうに言って申し訳ありませんでした。マナさんのことがあまりに心配で要らぬことを申し上げてしまいました…」とすまなさそうに謝った。
それを聞いたリアムは慌てて、
「いいんです。俺、多分マナを離したら死んじゃうんで、絶対に大事にして離さないつもりです」と途中から僕を見て言った。
「リアム…」
なんだろう、胸に夜の空気がいっぱいになって息が出来ないくらいに嬉しい。通訳も出来ずにいる、そんな僕ら見て森田は安心したようだ。
「良かったですね、マナさん。安心しました。そうだ、あの私の遺書はあなたに差し上げます。もし辛いことがあったら読んで下さい。代わりにあなたの遺書を頂いてもいいですか?」
「も、もちろんです…」
僕はやっと声を絞り出した。
こんなんでいいならいくらでもと、僕の遺書を出して彼に渡そうとしたら、リアムにひょいと取られた。
「なにこれ?」と目を凝らした。日本語の読み書きはまだまだなのだ。
「ああ、遺書だよ」
「いしょって?」
ちょっと難しい日本語だ。めったに使わないし。
「自殺するときに書くやつ」
「ああ…ん?
僕は自分の書いた部分だけ翻訳して彼に伝えた。
「まだ怒ってるの?ねえ、こっち向いてよ…」
もうすぐ消灯時間なのだが、リアムは僕が遺書を翻訳してからずっと怒って背中を向けて寝ている。いつもの広い大好きな背中が、今は高い壁みたいで寂しい。
(せっかく久しぶりに会えたのに…)
森田は僕に言いたいことを言ってすっきりしたのか、
「やっぱり奥さんに会いたいから帰ります。また皆さんには改めてお礼に伺いますので」と爽やかに言って帰って行った。今頃家族水入らずだろう。
お釣りは迷惑料とテントセットの片付け代金だと言って受け取らなかったので美月も困っていた。明日ヨッシーに相談しなければだ。
「もう…全然電話がつながらないと思ったら、あんなの書いてるし…知らない人と一緒に死ぬとか…マナって本当に何考えてるの!ショックだよ…」
「いや、考えてないよ。森田さんの自殺を延ばすためにやっただけで…」
「もう、マナのバカ…大嫌い。せめて自殺するなら俺とにして欲しい、生きるのも死ぬのも一人より二人の方が楽しそうだ」
彼はそう冗談を言って急にこちらに寝返りを打った。僕の上に身体半分のしかかって2か月ぶりにキスをした。なんだか久しぶりで照れる。
「ねえ、俺が今何考えてるかわかる?」
これだけ密着していると嫌でも気持ちが伝わってくる。僕の全身が恥ずかしさで真っ赤になった。
「…う……わ、かる…よ」
「いいの?」
「…いや、ダメ。殴るかも…」
「殴っていいよ。マナにならいくらでも殴られてもいい。そういえば森田さんはお父さんみたいだったね、俺殴られるかと思っちゃった」と嬉しそうに言った。
僕が本当はいいけど、ポーズでダメだと言ってると彼は思ってる。でも僕はそういうタイプじゃない。いいならいいし、ダメならダメなのだ。
「違うの…あの…今日は女だからっ…」
僕はあまりに恥ずかしくて顔を手で覆った。
僕が産まれた時に子宮に持っていた卵子は200万個、それが思春期になるとすでに20から30万個に減っている。生理から次の生理の間に1000個程減っていく、毎日30から40個だ。排卵のあと、妊娠しなかった子宮の内膜が剥がれ落ち排出されている、それが今だ。
(このタイミング!どうなんだ、僕の身体は。しかもとっさに出たセリフ…あいみょんかよ!)
彼と出会ってから一番恥ずかしくて真っ赤になっていたし、彼は笑いながらもひきつっていて、がっかりしているのがすごく伝わってきた。
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