第58話 彼は心配症

「やった、イーサン勝ったよぅ!すごい、優勝だよ?!やっぱガチのどつき合いは見てる方も燃えるね!」


「…マジか」


 僕は大興奮だが、リアムが頭を抱えている。


(なんなんだ、本当に)


「僕お祝いに行ってくる!」


「…俺も行く」



 牛のように歩みが遅いリアムにじりじりしながら、僕らはイーサンのいる場所を目指した。

 彼は師範の側で人に囲まれているが、背の高いリアムを見つけるとこちらにわざわざ来てくれた。やっぱり一番の友達なんだな、と密かに感動していたら、


「リアム、約束だからな。マナ、あとで」と嬉しそうに早口で言って、師範の所へ戻って行った。


(なんだあれ…おめでとうを言ってもらいに来たんじゃないのか?)


 僕が変な顔をしていると、


「マナ…ごめん。昨夜約束したんだ…。あいつが優勝したら一日マナとデートさせるって」とリアムが情けない顔で告白した。




「ぷぷっ、なにそれ?だから今日はイーサンとデートなの?」


 キアナが試合の次の日の朝食の席で僕の話を聞いてきだした。リアムはここにはいない。昨夜からずっと自分の部屋でふて寝している。


「はあ…そうなんです。僕たちがまだしてないのに、自分で勝手に賭けをして、負けて、勝手にいじけてしまって…ああ、もうすぐイーサンが迎えに来るので用意しなきゃ」


 僕は朝ご飯を食べ、片づけてから、部屋で目が覚めるような麻の緑のワンピースに着替えた。アユに夏の終わりのバーゲンで選んでもらったのだ。スニーカーでも合うので重宝している。

 リアムに服を見せたかったので、彼の部屋をノックした。


「リアム…イーサンと出かけてくるね。もうすぐ迎えに来るって連絡があったから」と言うと、ドアが開いた。


 憔悴しょうすいして顔色が悪い彼は、僕の肩を掴んだ。


「マナ…今日はごめん。俺の親友だから大丈夫だと思うけど、嫌なら行かなくてもいいんだよ?」


(いいの?でもな、彼にちょっと聞きたいこともあるしな…)


「別にいいよ。リアムの友達と仲良くなりたいしね」


 自分が約束した手前、僕に断って欲しかったのだろう。リアムは大きくため息をついた。


「はぁ…イーサンに襲われないように気を付けて」


「はは、あの人僕の事ちんちくりんって言ってたし、ありえないでしょ。今日は空手の勉強かもよ、大学に空手の資料があるって師範が言ってたし」


「…1時間に1回は場所を連絡して」


 リアムは僕の言うことは全く聞いてない様子だ。


(マジか…)


 一応控えめに苦言を呈した。


「…ちょっと多い」


(面倒だ。っていうか、そんなに心配なら変な約束しなければいいのに。意味がわからない)


「ダメ。俺心配なんだ。あいつ結構モテるくせに滅多に彼女なんて作らないし…あれ、マナのそんなワンピース初めて見た!なんでそれ着てあいつとデートなの…?」


「だって、僕デート用はコレしか持ってないから…」


「ああもう!マナのバカッ、可愛くしないで!!」と言って、涙目で彼は僕を抱きしめた。


(本当に意味がわからない…)




「おはよ。お、今日可愛いじゃない」


 イーサンはリアムの家の門をくぐって車で迎えに来た。憎まれ口はかわらない。


「今日、ね。おはよう、昨日はお疲れ。身体中痛いでしょ」


「まあね。リアムに見つかる前に出発しようか。コースはお任せでいい?」


「うん、いい」


 彼は郊外へ車を走らせた。



 僕たちは山に向かっているようだった。濃い緑の面積が増えていく。

 8月にリアムとトレッキングに来た時も思ったが、豊かな自然が残っていて、海も山もあるハワイだから日本人がこれほど夢中になるのかもしれない。


 僕がぼんやり外の景色を見ていると、


「どう、ハワイは気に入った?」とイーサンが訊ねた。


「もちろん。すべてが最高だね。気候も景色も御飯も人も」


「人、ね…。おまえさ、夏に大学のトイレで女子にからまれたろ?あいつらのうち一人は俺の幼馴染。あいつリアムに夢中でさ…悪かったよ」


「イーサンは関係ない。それに女の子相手にやり過ぎたから僕も悪かった、反省してる。会ったらごめんなさいって伝えておいて欲しい」


「違うんだ。俺さ、彼女からその話を聞いて、マナのことリアムに好かれていい気になってる嫌な日本人の女だと思い込んでた。だから、ちょっと痛い目にあわせてやろうってこの前の稽古でスパーを申し込んだんだ。

 だけど、すぐわかったよ、マナが強いだけじゃなくてスゲーいい奴だって。ちゃんと謝りたくて…だからリアムと賭けをしたんだ」


「そうだったの?だから、お詫びにデートに連れ出したんだ…別にいいのに。僕は君がいいやつだって最初から知ってたし」


「最初から?」


「あ、リアムの友達だもんってこと」


「ふうん…お前さ、リアムのこと本当に好きなの?」


「好きだよ」


「そっか…」


 僕が即答したのでイーサンは少し考えてから話題を変えた。


「そういやあいつ今朝ぐずってなかった?もうすぐ着くって電話したらスゲー泣きそうな声で『わかった』だって」


「イーサンも意地悪だね。三人で出かければ良かったのに」


「あいつはいつもいい思いしてるから、たまにはいいんだよ」とイーサンは悪い顔で口角を上げて言い放った。


「いい思い、ね」


(また浮気をしているんだろうか?でもリアムは正直だから触れたらすぐに僕にバレるからしない、と思うんだな)


 僕がクスクス笑うと、イーサンが「おまえ、なんなんだよ」と気持ち悪がった。




「ここから歩くんだ」


 リアムの家を出て30分くらい内陸に向かって走った道の広い路肩にイーサンは車を止めた。

 遠くに見える美々しい山脈に囲まれた開けた平地の中、僕らは赤土を踏んでどこかに向かって歩いていく。


「いい場所だね、見晴らしがすごくよくって…なんかとても気持ちがいい」


「そうだろ?今から行く場所は『クカニロコ』って言って、昔ハワイの王族女性が出産をしていた聖なる場所なんだ。そこにある石に出産時の苦しみを和らげる(霊力)が宿っていると信じられてきた。石の上で生まれた子どもは神の祝福を受け、より高貴な存在になるともね。

 おまえの名前もマナだろ?だから、オアフで一番強いマナを持つ土地である、ここに連れてきてやりたかったんだ。

 ここを訪れた人は子宝に恵まれる、ってのはデマだけどな。まあ、安産のご利益くらいはあるかも」


 イーサンが説明してくれるうちにその場に着いた。


 先ほどまでの気持ちのいい空気とは打って変わって、そこにはピリリと清浄過ぎる雰囲気が立ち込めている。

 不思議な形の石がたくさんあり、とても綺麗に管理されていた。今も昔もハワイの人々がここを大事にしてきたのだろう。

 よく見ると分娩台になりそうな大き目の滑らかな石があるので、そこで出産したのだろうかと想像する。

 

(こんな開けた場所で産まされるのはさぞ恐ろしかろう…。瀬戸内海の落ち着く産小屋さんごやとは大違いだ。人間が本能に立ち向かおうとしてるみたいだ)


「ここは女性の立ち入りが禁じられていたんだ。土にも石にも女性は触れられないので、出産のときは男性が運んできて支えられたまま産んだと言われてる」とイーサンが的確に説明してくれる。


(たくさんの男性に触られているなかの出産かぁ…とてもじゃないが落ち着かないし幸せな出産とは思えないな)


 僕は不敬な事を思った。だから出産に対する立場も考え方も違うのだろう。


 ぐるりと周りを見渡すと、いろんな意味でこの島の真ん中だと感じた。流れる気がここからあふれて拡散しているように見える。


「そっか、ここは島のなんだね…」と僕がぼんやりつぶやくと、


「そうそう!マナわかる?そうなんだよ、俺らにとってはここはの象徴なんだ」と嬉しそうに言った。



(永遠の循環、か)


 あまりに清浄な場所で近寄るのが怖くて遠巻きに眺める。近寄ると場を汚しそうだ。ルリの能力のせいで何かが見えてしまうかもしれないのも怖い。 

 ここはパワースポットなどという浮ついた気持ちでは来てはいけない場だった。そしてルリの生まれ育った山奥の村の墓に雰囲気が似ている。


(人が必要にかられて神を作り場所を作るのだろうか…それとも神がいるからその場所を人があがめるのか?)


「イーサン、連れてきてくれてありがとう。すごく興味深かった」


 帰国したらここの話をホリジュンにしたいと思った。とても喜びそうだ。




 車に戻って乗り込むと、


「ちゃんと水着、持ってきた?」と彼に聞かれた。


 リアムには内緒でグリーンのワンピースの水着を持ってきた。知られると間違いなく厄介だ。


「もちろん」


「じゃあ、出発しよう」


 僕らはまた車を走らせた。


「お、リアムだ」


「なに、電話?」とイーサンが笑う。


「電話とメーッセージが何件か」


「ふうん…」


「ちょっとかける」


「おう」


 僕は心配性のリアムに電話して、ドライブをしてると報告して切った。


「ごめんね」


「意外だな」


「何が?」


「あいつがそんなに女に夢中になるなんてさ…」


「?」



(リアムは僕と出会う前も出会ってからもいろんな女性と一緒にいたはずだけど)


 僕が不思議そうな顔をしていると、


「あいつ前はいつもお腹いっぱいって顔してた。でも最近は違うんだ、足りないって顔してる」と意味深なことをぼそりと言う。


「…」


(足りない…。僕が与える愛情の量が足りてない、ということだろうか?)


 僕が黙り込むと、彼は口調を急に明るくして誘った。


「お、ここで昼飯買ってこうぜ。マヒミックスプレートが美味い店があるんだ」


 僕たちは駐車場に車を止め、沢山ある店舗のうちの『カカアコ・キッチン』と書かれた店舗に入っていった。広々と開放的で、中でも外でも好きな場所で食べられるようになっている。もちろんお持ち帰りも出来るのだ。


「ここは昼時は地元の人ですげー混むんだ。今の時間が狙い目。マナは俺のおススメでいいだろ?嫌いなモンないな?」


「うん」


 確かに昼前なので空いている。僕たちは彼おススメのお弁当を注文した。


「有名レストランが監修してて、味がいいしメニューも豊富だ。今一番ハワイで人気なんじゃないかな」


「できましたよー」と店の人に声をかけられた。


「ありがとうございます」


 僕はお礼を言って20センチ角のプラスチック容器に入ったお弁当を2つ受け取った。結構大きいし重い。

 すぐにイーサンが僕から取り上げた。


「あ、ありがと」


「何言ってる、男が持つのは当たり前だろ?」


 こういうところがハワイが好きなゆえんだ。男女差別と言われようが、嬉しいものは嬉しい。乱暴な僕でも一応女性扱いしてもらえるのだ。

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