第9話 キャンプの沼

 3月も後半に入ろうとしていた。

 もうすぐ小学生が春休みに入るので家族連れの予約電話とメールがバンバン入ってくる。


 ここアイランドキャンピングパークはソロキャンパーが何度でも訪れやすいようにサイトの配置が工夫してある。

 管理棟から東はソロ、西はソロ以外といったふうに分かれているのだ。

 もちろんソロでも西でと希望があれば予約できるが逆は出来ない。


 ヨッシーは家族や恋人たちだけが楽しめるキャンプ場でなく、ふと思いついた人が一人でふらりと来て落ち着いて楽しめるキャンプ場をも目指していた。

 山ほどあるキャンプ場の中での差別化戦略だ。

 ソロキャンプが世間で流行っているおかげで訪れるお客さんも多いし、連泊する人も多いのだ。


 寒い3月の初めでも結構人がいたので最初はびっくりした。それも常連さんは子育て終了後の中高年男性か夫婦が多い。申込書に記入してもらうときに見る薬指には半数くらい指輪がはまっている。

 面白い人、おしゃべりな人、寡黙な人などそれぞれだが、ソロを優しく受け入れるのがヨッシーの目指す『アイランドキャンピングパーク』だ。


 ちなみに東のサイトは朝日が美しく、西はゆっくり沈む夕陽をサイトから楽しめるようになっている。

 



 ここがお客にとても愛されているとわかった事件が先週末にあった。


 黒のぴかぴかのミニバンにゴールドのホイールでキャンプにきた客が迷惑行為で追い出されたのだ。


 その家族は車両侵入禁止と記載がある区域に平気で入っていき、大音量で音楽をかけながらサイトに横付けした。

 アイランドキャンピングパークはオートキャンプ場ではない。

 子供たちが安全に過ごすために車両は専用駐車場に停めて頂いている。そこから各自カートで運ぶのだ。

 もちろん理由があって運ぶのが難しい人達は僕らが手伝うことになっている。


「すいませんが、こちらは車両侵入禁止となっております」と注意に行くと、サングラスをかけたままの20代後半くらいの男性が車に乗ったまま、僕を追い払うように手を、しっし、と振って、


「客だぞ、俺は!ここのキャンプ場は失礼だな!!」と音楽に負けない大声で騒ぎ出した。まるで僕が悪いみたいに。


 こうやって自分の悪事を他人にかずける人間がたまにいる。そういう人に限って、当の本人は全く自分が悪いとは思っていない。すべてがだ。


「なーにー、あんたうるっさいわね」


 助手席の女性も僕に向かって怒鳴る。

 なるほど息がぴったりだ。夫婦は合わせ鏡とは昔の人はうまい事言ったものだと思う。


 僕が根気よく説明をしている間もカーステレオからの大音量がキャンプ場に響き渡る。

 ギャラリーも増えて僕は焦ってきた。ソロのお客までが心配してサイトをまたいで見に来ている。彼らは周りに迷惑をかけているのがなぜわからないのだろう?


「ほら、おまえがうるさいからみんな文句言いに来たんだ」


 運転席の男が車から降りて僕の肩を押そうとした。

 僕は触られるのが気持ちが悪いのですっと後ろに半歩下がったので彼はみっともなく前につんのめった。それも気に入らなかったみたいで「チッ」と僕に下品に舌打ちした。


 こんな奴すぐに叩き潰せるが、ヨッシーの手前そういうわけにもいかない。

 よく見るとピカピカの車に比べて服は全く気を使っておらず、女もバックだけいいのを持ってるようなタイプだ。生活が苦しい中、月8万のローンを60回くらいで組んでいるのなら、家族の前で地面に這いつくばらせるのも哀れである。

 でもこいつんらに居座られるわけにはいかなさそうだ。最初っからこれでは、この2人と子供が泊まれば間違いなく周囲とのトラブル多発は間違いない。

 困ったな、と思っていると、


「か・え・れ!」と人込みから男性の大きな声が上がった。


 僕が振り向くと、だんだん唱和する声が多くなって、手拍子が加わって大音量になっていった。


「かーえーれ!かーえーれ!かーえーれ!かーえーれ!」


 大声が、自分たちに向けられているとわかってきた彼らは、おどおどしだした。

 客だからって何してもいいわけではないのだ。でもそんなこと彼らの脳みそでは理解できなかったようで、


「ねえ、気持ち悪いし帰ろうよぅ」と助手席の女性が急に弱気になって言った。


 立場上下の人間には強気だが、同調圧力には弱いタイプのようだ。


「むかつくな、こんなとこいられるか!」


 男性はまた舌打ちし、車に乗り込んだ。

 サイトの番号と説明が入ったファイルを僕に投げつけ、いかつい車をすごい勢いでまわして帰っていった。やれやれだ。

 

 馬鹿どもがいなくなってホッとしていると、周りから拍手が起こった。

 僕は皆に助けられて胸が熱くなって、皆に頭を下げた。

 ナユを結果的に死に追いやるような集団もあれば、こうやって自分の好きな場所を守ろうと行動を起こす集団もいる。

 その事実は僕を勇気付けた。



 あと、ここで過ごしてわかったことがある。ソロキャンプは沼のように魅力が底なし、ということだ。

 限りなく自由でシンプル。必要最低限。

 人間これだけで生きられるんだ、と感心してしまう。

 家に帰ると、うちのような母子家庭の貧乏な家でもなんて物をたくさん持っているのだろうと思う。僕も母もそれほど物持ちではないのだが。


 寂しくなったらソロキャンプサイトにある共有スペースに行ったり、近所のソロ同士話したりする。

 見ていると近くの人と食べ物や飲み物、お菓子などを持ち寄って仲良くなってる人もいる。もちろん仲良くならなくても別にいい。

 寝るのは別のテントなのでとても気楽だ。

 誰にも気を使わない生活。それがソロキャンプだ。



 そしてアイランドキャンピングパークのキャンプの一番の魅力は悔しいがヨッシーの言うとおりだろう。

 それは常連さんたちも口々に言う。たまに、


「えー、電波ないの?最悪ー」と言われるのだが、試しに常連さんに相談すると、


「いや、絶対に今のままがいい。電波ひいたらもう来ないから」と笑いながら、でも本気で宣言する。


 要するに彼らは来ているのだ。




「あれ?ノリさんだよね、この団体様」


 今日の予約帳に、ノリさんの名前で21名の予約が入っている。全員大人だ。

 一番大きなフリーサイトの一部が専用に抑えてあるが、平日で空いているのでノリさんグループがほぼ全部使える。


 ノリさんはいつも一人で来ては本を読みながら釣りをしている、やせ型で背の高い男性だ。

 べっこうの眼鏡が特徴的で、厳しいが優しそうな人に見える。


「ああ、毎年この時期になるとノリさンがゼミの生徒を連れてくるンだ。ノリさンああ見えて大学教授だよ」とザキが教えてくれた。


(教授!)


 僕はぶるっと身震いした。自分の大学を思い出してしまった。


「…へー、そうなんですね」


「だよね、人は見かけによらないンだよ。そういやマナだって薬学部だろ?頭いいじゃン」


「いえ…実は今休学中でして」


「…ふーン、まあ、いろいろあるよね」とザキは何でもないように言った。彼女の優しさだ。


 僕がぼんやり春休み後をどうしようか考えていると、


「なに、学生が羨ましいの?」とザキは僕の顔を覗き込んだ。ふわりと大人の女性の匂いがする。


「い、いえ…」


 僕は赤くなって答えた。


「じゃあ、今夜混じっておいでよ。絶対楽しいって!ノリさンとこの大学は工学部系らしいンだけど、ノリさンは唯一の人文系教授らしくて。いろンな学部からはぐれてきた寄せ集めの面白集団だって言ってたし」


 ザキは多分ヨッシーから大学に行けなくなった僕の話を聞いて心配しているのだ。彼女の言うとおり、僕は違う空気に興味が出てきた。

 僕はノリさんにダメもとで聞いてみることにした。




 ノリさんが来たので、薬学部以外のゼミを体験したいと正直にお願いしたところ、


「いいよー、マナ君なら大歓迎。うちは社会に関して何でも興味を持ったものをテーマにするゼミなの。『フェミニズムと経済の限りあるパイ』ってテーマでやってる子もいるし、『社会におけるLGBTQの役割』とかね。江戸時代とか引っ張ってくる子もいて、いろいろごちゃまぜ。面白そうでしょ」と、ノリさんは軽い調子で快諾してくれた。


「それより、マナ君がN大の薬学部だなんて、驚いたな。実は今日一緒に引率してくれてる指導員がN大薬学部出身の疫学者えきがくしゃでね、日本だけでなく海外のフィールドワークにも精力的なんだ。きっと参考になると思うよ」


「エキガク…」


 僕はナユと一緒の病院に働きたいがために、薬剤師以外の進路を全く考えていなかった。

 僕の視野の狭さのせいで出口が見つからないのかもしれない。

 そういえば自分の大学にも色々な専門の先生がいたのを今さらながら思い出した。真っ暗だった目の前がほんのり明るくなった気がする。


 ザキもいたので早めに仕事を上がらせてもらい、ノリさんのゼミに早速参加した。


 ゼミの生徒たちはみな明るくて真っ直ぐで、話しやすい。新参者が珍しいらしく遠慮なく質問が飛んでくる。


「ねえ、なんでこんな電波ないとこでバイトしてんの?」

「学生?何勉強してるの?何歳?」


 次々に質問が飛んできた。一つずつ答えていると、ノリさんが工学部と薬学部の化学反応を興味深そうに僕を眺めている。いつものノリさんの表情ではなく先生のそれになっていた。そして、


「マナ君はN大薬学部にいる優秀な生徒だ、なんでも参考に聞くといい」と生徒をあおった。


「へー、すげー。なんで薬学部に入ろうと思ったの?」と聞かれて僕は凍った。


 キラキラした彼らはきっと明確な想いがあって工学部に入っているのだろう。


(しかし僕ときたら…)


 でも嘘はつきたくない。


「えーっと、好きな人が医者を目指してたから、一緒に働きたかったんです。でも医学部は学力的に無理だったから…だから薬学部に」と僕はバカ正直に答えた。


 冷たい視線を覚悟して周りをみると、彼らは最初はあっけにとられていたが、最後には男女問わず大笑いしていた。


「マジかー、すげーな」

「それで薬学部って…そんな理由初めて聞いた」


 褒められている気は全くしないが、嫌われはしなかったようでホッとした。




【M大学アウティング事件⑤】

上田さんは、学内で事件が数年でもう風化しつつあることに警鐘を鳴らす。今年の受講生の中で、M大アウティング事件の内容を理解している学生は約半分だったと言う。

「あなたたちが家族や友達などからセクシュアリティを告げられた場合、もしくは偶然知ってしまった場合などに、『アウティング』をするとどういったことが起こるとおもいますか?」と彼は問い続けている。

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