第8話 電話番号は交換しない
今頃リアムはキャンプを引き払い、旅行の本命の目的地、鳥取にバイクで向かっているだろう。
途中の福井で1泊しようかと美月と相談していたので、2,3日中には鳥取に着くはずだ。
彼は水木しげるのファンで、水木しげる記念館や、彼が幼少を過ごした生家、ゆかりのある場所を訪問すると言っていた。
彼のマンガも日本語で祖母に教えてもらいながら何度も読んだと聞いたので、かなりのファンのようだ。日本人の僕だって彼のマンガなんて読んだことないのに。
昨夜、僕らはお互いの住所と名前だけを書いた紙を渡し合った。
電話番号は交換しなかった。電話番号をもらったら絶対にかけてしまうってわかっていたから。
でも僕は彼に計画通り次の場所に行くように勧めたのをさっそく後悔していた。久しぶりの自分のふかふかのベッドで手足をジタバタバンバンしながら。
本当はリアムを離したくなかった。
離れたらもう二度と会えなくなるんじゃないだろうか?ナユのように遠い場所に行ってしまうのではないか?
でもリアムは違う、ナユじゃない。
きっと彼は探し物を見つけて僕より先に連絡しようとするだろう。
だから僕も負けられないし彼を引き留めない。そう思ったのだ。
でも寂しくて仕方なかった。なにしろ久しぶりに出来た友達だったのだ。
「おい、あいつ行っちまったぞ。良かったのか?」
朝の引継ぎで美月が聞く。
からかっているわけでなく、本気で心配そうな目。少し怖いがやっぱり優しい人だ、自分だってヨッシーがいなくて寂しいくせに。
「はい、最後にちゃんとお別れしたので」
「…デート、したのか?」
「デート…?いえ、町営の共同温泉に行って、そのあと家に来てもらって夜ご飯を…」
「な、…おまえリアムを家に連れてったのか?
「いえ、うちは父が亡くなっていないので母だけなのですが、彼女は面食いなのですごく喜んでました。あんたの友達モデルみたいにかっこいいね、って」
父がいない、という部分にひっかかったのだろう、ちょっと美月は静かになってから、
「…さ、さっすがおまえの母親だな。…で、リアムとは何かあったか?」とおどけるように言った。気を使ってる。
「何か…?そんなのないです、ってば…」
最後に家の前でお別れするとき、彼は僕をぎゅっと抱き寄せて、顔を近づけた。
唇にキス、しようとしたんだと思う。
ゆっくり近づいてくるのが空気の動きでわかった。僕が緊張でぎゅっと目をつぶって身体を強張らせていると、
「マナ、前みたいにパンチしないんだね」と耳元で歌うように言った。
(失礼な、僕だって誰彼かまわず殴っているわけではない!)
目を開けて彼に抗議しようとすると、彼は困ったような顔をしていて、僕の頬に、チュ、と音を立ててキスしてから手を振ってバイクで走り去っていった。
びっくりして棒立ちになっている僕を、ヘルメットの中から笑ってるのが見えた。
(殴って欲しかった?)
そんなわけはないだろう、多分照れ隠しだ。
された、といえばされた、というのだろうか、この場合。
僕はわかっていて拒まなかったので合意になるのではないだろうか。
わからないので、あいまいに美月に笑いかけた。彼はなんとも言えない複雑な表情を返してきた。
その日の夕方からヨッシーが仕事に戻ってきた。美月がやっと休みを取れる。
ずっと連続勤務をしていたので、僕とザキは心配していたのだ。
本当は優しいザキは美月を気遣って夜番をすると言ったのだが、彼は断固として譲らなかった。
きっと夜に女性一人は危ないからだ。
かといって僕ら二人が夜番をしたら昼番がいなくなってしまう。
ヨッシーは、「火事で家がなくなったので母親と引っ越ししたり、保険屋さんや警察に対応したりと忙しかったよ」といつものようにマイペースに、つまりのんきに僕とザキに言った。
でも祖母を亡くしたショックからはまだ立ち直ってはいないようだ。さすがの明るいザキも神妙な顔をしている。
「大変だったよね…お疲れ様でした」
僕はご近所特有の図々しさでヨッシーの背中を撫でた。肉が薄い。少し痩せたみたいだ。
人が一人この世界からいなくなるというのは、生き残った人の身体や心をも削り取っていってしまう…ナユの時そうだった。
「うん…マナ、ありがとな。…しかしおまえに助けられる日が来るとはね。初めて会った時はちっこいガキだったのに」
そう言って、ヨッシーが僕の頭を優しく撫でると、横から殺気を感じる。
もしやと思いおそるおそる目玉だけを動かすと、ザキが心底悔しそうな涙目で僕らを見ていた。
仕事をヨッシーに引継ぎ、タイムカードを押した。
「マナ、送ってくよ」とザキが誘ってくれた。
最近一緒にバイトに入る日は家まで送ってってくれる。でも今日は緊張していた。だって…あんな目から血が出そうなくらい悔しがる大人を初めて見たのだ。
戸惑う僕を見てザキがニヤリと笑った。
「大丈夫、怒ってないよ」
(これはこれで怖いな…)
車に乗り込んで発進すると、いきなりザキは切り出した。
「わかったと思うけど、私、柴田さンのことめっちゃ好きだから。ここにたまたまバイトに来て出会って以来、ずっと好きなンだ」
やっぱり…だから美月と仲が悪いんだ、なるほど。だって二人ともいい人だから変だと思っていたのだ。
こういう恋愛の話は経験がないから苦手だ。ナユが死んでから余計にわからなくなった。
人との距離感や、人を好きになること…混乱することが多いので、相手にも悪いしなるべく関わらないようにしていた。
でもリアムは一緒に居てとても楽だった。だってもうすでに寂しくて仕方ない。
頬にキスされてときめいたが、これが好きという感情なのかはイマイチわからないのがもどかしい。
今は、友人、というのが一番近い関係だろう。
「そうですか…大変ですね」と方向違いの返答をして、僕は黙り込んだ。
(違う話題を振ってくれないかなぁ?)
勘のいいザキなら、僕がこういった話を苦手だとわかっているはずだった。でもザキは容赦なかった。
「大変?ふふ、やっぱりヘンな子だね。マナは柴田さンのことお兄さんみたいに見てるね。でも今日みたく二人が接近すると、私嫉妬で気が荒くなるから先に謝っておく。ごめンね、悪気はないンだ」
ニッコリと笑って言うザキを見て僕は安心した。っていうか、この魅力的な女性といい、ごつい美月もそうだが、ヨッシーにそんなに魅力があるとは思えない。
「わかりました…あの、ザキさんはヨッシーのどこがいいんですか?優しいのはわかりますが…僕にとっては謎です」
「マナにはわからないかな…一緒に働くと他人の色ンなところが見える。いいとこも悪いとこも。で、いつの間にか好きになってたンだ」と嬉しそうにヨッシーの事を話し始めた。
出会いから日々の仕事であったこと。
止まらない彼女の話は少し僕を照れさせる。だって、僕にとってはあの近所に住む兄のような家庭教師ヨッシーで、ザキから見たヨッシーはやたらカッコよく聞こえるのだ。きっと肉親を褒められるとこんな感じなのだろう。
延々話し続けている彼女はヨッシーを本気で好きみたいだ。もう薄暗いのに彼女の周りの空気がキラキラと光っていた。
その3日後、リアムから水木しげるロードの夜景のポストカードが家に送られてきた。
夜の道路に鬼太郎のキャラクター、
(動く?!)
さっそくネットで調べると大阪の照明デザイナーによる街おこしのようだが、これは間違いなく成功だろう。だってこんなにリアムが感動してる。
彼が嬉しさでいっぱいになってこのカードを書いているところを想像すると身体が温かくなる。彼の丸くて頼りない字を何度も読んでいると、今すぐに会いたいと思った。
【M大学アウティング事件④】
M大学の卒業生である上田さんは、この事件を受けて任意団体を設立した。M大学をLGBTQ学生を含む全ての人が安全に過ごせる環境にしたいと考える卒業生有志のネットワークだ。学内での性の多様性への理解を促す在学生・職員向け講座や、ジェンダー・セクシュアリティに関する大学外部相談窓口の設置・運営を行っている。
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