第7話 君を傷つけるのは誰なの
学生が春休みに入り、若いお客が爆発的に増えてきた。
となるかと思いきや、アイランドキャンピングパークは相変わらず家族連れやソロの釣り客でにぎわっていた。
「そりゃそうだわ、ネット使えないんだもン」
ザキこと
(確かにそうだ)
僕がここで働き始めて10日が経った。
3日前からザキという女性がバイトに参戦している。僕と同じ昼番だ。
背が高くてハツラツ元気な25歳の彼女は、毎年冬は雪山でスノボのインストラクター、春から秋はここで働いているそうだ。
いつも楽しそうにしていて、見てるだけで元気が出るようなお姉さんだ。さっぱりしていてスタイルもいい。(要するに僕と違って胸があるってことだ)
今年は例年より山を降りるのが早かったとずっとぼやいている。
「雪が全然なくてさぁ、商売あがったりだったンよ。でもこっち早く来て良かったー、こんな可愛いコちゃんが入ってるなんてっ」と言って、美月の前で僕の頬を両手で挟んだ。
「んー、可愛いっ」と言いながら頬をぐりぐりする。
弟や妹がいるのだろうか、入った時からスキンシップが激しい。顔が近くて今にもキスされそうだ。
僕は一人っ子なのでこういうのは照れてどうしたらいいのかわからなくて困る。彼女からはいい匂いがして、同じ女なのに僕の頬はいつも赤くなってしまうのだ。
ちなみになぜか彼女までもが僕を男性だと思い込んでいる。ここの従業員2人が僕には全然興味がないか、僕の女性的魅力に問題があるということだろう。
(さすがにちょっとショックだな…)
「おまえは雪山でずっと埋もれてろ」と言って美月は僕の頬に触るザキの手を冷たく払った。
美月は大きいがザキも負けてはいないくらい背が高くて筋肉もある。二人が並ぶとかなりの迫力だ。
「マナも嫌だって言わないと、ザキがつけあがるぞ」とぎろりと僕を
ひとつ年下のくせに最近美月が怖い。仕事で怒られるならまだしも、ザキを気に入らないのか、彼女と仲良くしてるだけですぐにケンケンしてくるので困る。
僕にとっては女同士だから全く問題ないのだが。
「うん…」と言って僕がうつむくと、「もう、ほンとにかーわいっ」と言ってザキが大きな胸のふくらみを僕の肩にぐいぐい押し付けてちょっかいを出す。
(ぜったいわざとだ…)
美月をからかっているのだ。案の定バトルが始まった。
「はなれろ、この
「バーカ、雪ないンだよ!それに美月には関係ないでしょ!」
僕から彼女を引き
最近こんなんが多くて疲れる。美月はヨッシーと会えないから寂しくてストレスが溜まってるのだろうか。
(ふー、疲れる…もう放っておいてあがっちゃおう)
ザキが入ってから僕は平日に休めるようになった。
でもやることがないので結局ここでテントを張って泊っている。
部屋にいると大学の授業に使う資料を見て心が重くなってしまうからだ。なにやってんだ、って焦りまくる自分が嫌だ。
ヨッシーもザキが来たから安心して母親のそばにいられるだろう。
小さな声で、「お先です」と言ってタイムカードを押して管理棟を出ると、リアムが柵にもたれながら
いつものように長い足を前に投げ出し、背中を丸めている。
チョコレートの肌にざっくり編んだ空色の春用のニット帽が良く似合う。
(待ってるだけで絵になるってどうだろう?世の中って不公平だ…)
「お疲れ、マナ。相変わらずここはにぎやかだね、外まで聞こえる」と言ってニカッと笑った。
最近リアムが仕事を終えるのを待っていてくれる。
リアムとは夜にいろいろ話すようになり、より親密になっていた。ナユに雰囲気が似ていたし、医者を目指しているという共通点もあった。
僕は毎晩リアムに話していくことで、自分の中のナユからの許しをもらっていた。彼は聞き上手で僕のいびつな部分を優しい言葉で埋めてくれる。医者にとても向いている。
僕は彼をいい友人だと思っている。
今夜はリアムのバイクで一緒に町営の温泉に行く。ヘルメットは美月に借りた。
その後はうちでご飯を食べることになっていた。
ナユ以外の友達を家に連れていくのは
「お待たせ。行こか」
「うん」
リアムは居心地がいいのかずっとアイランドキャンピングパークに連泊している。夜は管理棟にあるヨッシーのギターで歌ってくれるのでここの人気者になりつつある。ヨッシーや美月とも仲良しだ。
もうここのスタッフになればいいのに、と僕はよく冗談を言った。音楽が好きなヨッシーなら喜ぶだろう。そして僕も。
温泉から上がるとリアムは一足先に出て畳に座って涼んでいた。
彼の周りだけ日本じゃないみたいだ。温泉には慣れているようでこなれている。
銀髪が少し濡れている。大人な雰囲気があって僕は柄にもなくドキッとした。
「どうだった?」と恥ずかしさを隠すように聞くと、
「ん…気持ち良かった…やっぱ温泉は最高。ねえ、マナの家に本当に行ってもいいの?迷惑じゃないのかな…」と遠慮がちに自分の腕を見ながら聞いた。
自分の肌の色が気になるのだろうか。確かにこの田舎では目立つし視線が気になるだろう。
「リアムは嫌?僕が誘ったんだから…」
「違うよ、マナのお母さんがびっくりしないかなって…心配で」
「ああ、母は全然大丈夫、肌の色が違う友達が来るよって言ってあるから。僕はリアムの肌の色、ミルクチョコみたいでとても美味しそうで好きだよ」
そう言ったら、彼は少し赤くなって、長い指で銀色の髪を
(しかし肌の色を気にするなんて意外だな…そんなの全然関係ない、って思ってると勘違いしてたよ)
僕は売店で牛乳とコーヒー牛乳を買って、複雑な表情のリアムの前に置くと、彼はコーヒーのほうを選んだ。
コーヒー牛乳は彼の肌の色によく似ていて、どちらもとても美味しそうだった。
案の定だ。母はリアムが家に来ると、わかりやすいくらい舞い上がって、「本当に掃き溜めに鶴だわっ」と言い放った。
仮にも自分がずっとお世話になっている家になんて言い草だろうか。まあ、真実ではあるが。
母の言う通り、モデルのような風貌の彼がうちの古い日本家屋にいると全く不釣り合いだった。まるで美しい宝石があぜ道にごろりと落ちてるみたいで違和感が有り余る。
「まあまあ、素敵なお友達で息が止まるかと思うくらいびっくりしたわ!モデルでもやってらっしゃるの?」
母は僕が最初に思ったことと同じことを言ったので通訳すると、リアムは照れてまた髪を触った。
(母さんはとても嬉しそうだな…)
最近僕が引きこもっている上、ずっと友達がいないのを心配していたのだろう。
そう、僕にはちゃんとした友達がいたことがない。ナユだけが友達だったし、それで十分だった。
リアムには悪いけど、今夜は親孝行に付き合ってもらおうと思う。
夕飯は今まで見たことないくらい豪華な大エビの天ぷらと刺身の盛り合わせだった。
母は自分の料理の腕を自覚しているのだ。
可哀そうに…、という憐みの目で彼女を見たら、母と目が合って、バシンと頭をはたかれた。思っていることが母にばれたようだ。
リアムは乱暴な僕の母に飛び上がらんばかりに驚いたが、僕と母が目を見合わせて笑っていたので、彼はビクターの犬のように可愛く首を
「ふー、お腹いっぱい、ゴチソウサマ」
リアムは安心したような表情で僕の部屋のベッドに座った。
母はあんなだが、一応緊張していたのだろう。
僕は学習机の椅子の背もたれをお腹に当てるように座り、思わず嬉しくて目を細めてしまった。この光景は既視感がある。ナユだ。目を細めるとリアムの前にナユが透けて見える。
「マナのお母さん、とってもいい人だね」
「まあね。リアムもいい家族に囲まれてそう」
「もちろん。父、母、グランマ…あと姉。マナに会わせたいから、夏休みにハワイに遊びに来てよ」
楽園・ハワイか…すごく気持ちよさそうだ。でも僕なんかが楽しんでいいものかとふと考えてしまう。そんな僕の表情を見てリアムが心配そうな表情になる。
「ごめん、リアムやハワイがどうこうでなくって、ええっと…」
うまく言えなくて困っていると、リアムは立ち上がって僕の身体を軽々と抱き上げ、ポスンとベッドに座らせた。その隣に座って、僕の手を自分の大きな両手で包んだ。
「ひゃっ、何?」と思わず間抜けな声を出すと、
「明日キャンプ場を出ようと思う。次の場所に行くんだ。…でも、マナが行かないでって言うなら居れるだけここにいるよ…」と真剣に僕の目を見て言った。顔が近い。ウソをついたらすぐにバレそうな距離だ。
(僕の事心配して迷ってるのか…)
少し考えてから、
「…リアムが最初に計画したとおりにしたほうがいいと思う。何かを探してるんでしょ?見つかるまでは時間が許す限り探したほうがいいよ」
「マナ…」
彼は僕を見てしばらくじっと考えていたが、下に向いてため息をついた。
「わかった。…ありがと、決心がついた。明日の朝に出発する」
「ん、それがいい。頑張って、応援してる」
「ねえ、マナにまた会いに来てもいい?」
「もちろん。いつでもウエルカムだよ」
「…探し物を見つけたら、必ず会いに来るから。だから、マナも答えを見つけるんだよ。どっちが早いか競争」
彼はそう言って、僕の唇に指を当てた。そしてその指を自分の唇に付けた。
僕はその行為の意味が分からずドキドキして焦り、
「きょ、競争って、僕が勝ったら?」と今すぐに外に出て走り出したい気持ちを抑えて聞いた。
大好きなナユといた時だってこんなに心臓の鼓動が強く打ったことはなかった。身体の外まで音が響き渡りそうだ。彼は、
「マナに俺のすべてをあげる」と即答し、首を
「じぁあ、僕が負けたら?」と質問した。
「マナのすべてをもらう」
「…
そう僕が聞くと、急にリアムは赤くなって、包んでいる僕の手をぎゅっと握り込んだ。
「内緒。さ、もう帰るよ。遅くなっちゃったし、きっとマナのお母さんが下でやきもき心配してる」
「…リアムの言う通り、僕は答えを見つけるよ、君より先にね。絶対負けないから。実は明日仕事休みなんだ、だからお別れだよ。ねえ、最後に何か歌って」
「最後、にはしないけど…」と寂しそうに笑ってから、リアムはダニエル・シーザーの『Who Hurt You』を口ずさむ。ちょっとセクシーな歌だけど、彼の声にぴったりだ。
彼の声は空気を縦糸にして美しい布を織る。僕はそれにふわりと包まれて甘くて少し空気が足りないような息苦しい気持ちになる。
ずっとずっとその快感の中にいたい、そう思ってしまう。
【M大学アウティング事件③】
事件で亡くなった男子学生の命日に事故現場となった大学構内を訪れると、夏休みにもかかわらず多くの学生が設置された献花台に花を手向けていた。事件を風化させないために色々な活動が始まっている。
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