第6話 暴力

「ねえ、マナって何でそんな格好してるの?どうしてか教えて」



 彼がここに来て3日目の土曜の夜、僕たちは2人でカレーを作って食べた。肉と野菜は母にお願いして持ってきてもらった。


 たくさん作ったので、野菜をスライスして網で焼いたものをカレーに載せて通りすがりのお客さんにも振舞う。

 まだまだ寒いけど土曜日なのでサイトは1/4ほど埋まっている。お返しにといろんな人がお菓子やらお酒を持ってきて、話ができるのが楽しい。


(少し前の僕ならこんな風に出来るなんて考えられないな…)


 もちろん管理棟にいる美月にも持って行った。

 野菜嫌やさいぎらいと聞いたので、嫌がらせにたくさん焼いた野菜を載せているのを見てリアムが爆笑している。


 人が途切れてぼんやり海を見ながらまた二人でお酒を飲んだ。電波のない長い夜のおかげでリアムと英語で話すのにもずいぶん慣れてきた。

 彼は馴れ馴れしい軽い口調とは裏腹に、とても真剣な表情で僕の格好について質問した。


「この話、かなり重いから話すの嫌なんだけど…」


 せっかくのリアムの日本旅行を暗い話で重苦しくしたくなかった。


「いいよ、どうせ暇だし、聞くよ。聞かせてよ」


 リアムの優しいくせにぐいぐいねじ込むようなお願いに、言うのを迷っていたがとうとう口を開いてしまった。興味本位、ってわけではなさそうだ。



「一昨年の夏、隣に住む幼馴染が大学構内で自殺したんだ。

 死ぬ前にね、君がこの前の朝に歌ってた曲を部屋でよく聞いてた。きっと彼は僕に助けを求めてたんだけど、僕は全く気が付かなかった。ずっとそればっか考えて後悔してるんだ…。

 だから僕は彼の代わりに彼の着てた服を着て彼の持ってた音楽を聴きながら彼のように生活してる。自分の中にいる彼を亡くさないために。これ以上彼を殺すことは僕にはできないから…」


 そこまで勢いで話してから、青い顔になって固まったリアムを見て話し過ぎたと僕は気が付いた。

 こんな話をたまたま気の合った陽気な通りすがりのアメリカ人に言ってどうするんだ?僕は焦った。


「ごめん、変な話して。忘れて、もうそろそろ吹っ切ろうと思ってるから…」


 そう僕が言うと、リアムはお酒を机に置いて僕の右手を両手でぎゅっと握った。彼はポロポロ涙をこぼして泣いていた。

 その顔はナユが泣いてる時の顔にそっくりで、僕はリアムだとわかってるのに心臓が潰れるかと思った。

 僕はナユを笑わせることはあっても泣かせたことなんて一度もないのだ。


「ごめん、本当にごめん。迷惑だったよね。リアムこういう話苦手だった?悪かったよ、せっかく日本に旅行に来てくれたのにこんな話…もうね、僕って空気が読めなくて、ダメなんだ…」


「違う、嘘つかないで。マナは吹っ切ろうなんて思ってないでしょ?俺はマナがあっちの世界に行きそうで怖いんだ。

 俺は幼馴染の彼を知らないけど、マナをあっち側に引っ張るような人じゃなかったんだろ?今君がしていることは、彼に会うためのあっちの世界への道を作ってるように見える。それも一方通行だ。

 ねえ、もっといっぱい話をして。あるんでしょ?そうしたらマナがマナらしくいられるようになっていくと思うよ。迷惑なんかじゃないから…。

 今わかった、この日本旅行はマナの話を聞く為にあるんだって。だから、遠慮せずに思ってることや胸に溜まってること、全部言っちゃいなよ」


 そんな風に大人に言ってもらうのは初めてで僕は戸惑ったが、確かに少し話しただけなのに身体が軽くなった気がする。

 誰にもナユへの思いを言えずに自分だけで貯めこんでいて、ヘンな風に膨張して僕の中で破裂しそうだったのだ。それが沁み出しているのが何かをきかっけにふいに出てきて止まらなくなる涙なのだろう。


「…ありがと…本当にリアムは天使みたいだね…。じゃあさ、リアムはどうなの、何かあるんでしょ?そうじゃないと、一人で日本をバイク旅なんてしないと思うんだ。どう?」


 たまにリアムがじっと海を見ながら考え込んでいることがある。とても厳しい表情で。


「マナには驚いたな。まあ、僕のはマナのに比べるともっと、こう、将来への悩みだからなぁ…これは僕の中に答えがあるだろうから、見つけたら話すよ」


「…わかった。僕も進路で今悩んでるからわかる。これは、どっちが先に見つけるか競争だね」


 僕らは乾杯して、これからは思っていることを率直に語り合う約束をした。





 それから僕は毎晩リアムと火を囲みながら、ナユの話を毎日思いつくままにつたない英語で話した。は永遠のように長いのだ。


 ナユは僕とは全然性格が違っていたが、家が隣だった上、母子家庭という共通点もあった。なにより気が合った。

 なので小学生になってからは日が落ちてからはどちらかの家に行き、宿題をしたり遊んだりした。

 親同士もタイプが全然違うが仲が良かった。うちの母はざっくばらんの放任だが、ナユの母親は少し神経質できちんとした人だ。そして優秀なナユにとても期待していた。


 小学生の放課後は長い。

 もちろん同級生で学校に集まって遊んだりもしていたが、ナユは綺麗な顔立ちをしており大人しかったので、男子に(時には女子にまで)いじめられ、僕がいつも守っていた。

 おかげで実践の空手を使う機会には困らなかった。

 やるなら徹底的に、というのが僕のモットーなので、相手の親が怒ってきて母が平謝りし、母に「やり過ぎだよ」だと軽く怒られたものだ。

 母は僕がナユをかばってケンカしているとわかっていた。


 空手の師匠も僕のケンカの話は知っていただろうに、怒らなかった。一度もだ。

 他の子が外で空手を使って喧嘩すると、道場の端っこで立たされて稽古に参加させて貰えなかったが、僕にはそんなことしなかった。

 師匠の中にある正義に背いてなかったからかもしれない。

 でもやり過ぎても、少し叩いただけでも、どっちみち怒ってくるようないじめっ子の親なのだ。

 怒られるなら一度でたくさんなので、二度とやつらが悪さできないくらいに叩きのめすようにしていた。

 おかげでナユに手を出す奴はいつの間にかいなくなった。


 僕は小学生高学年の頃からナユが他の男子となんとなく違うことに気が付いていた。案の定、中学に入ってすぐに、


「マナ…僕、同じクラスの正樹君が好きなんだ。どうしよう?」と彼から真面目な顔で告白された。


 やっとこれまでの疑問がどこかにピタリと収納された気がした。彼が冗談なんか言ってないってすぐにわかった。

 ずっと僕はナユのことが一番好きだった。でも、強い違和感があって彼には絶対に僕の気持ちを言ってはいけない気がしていた。

 それはそういうことだったんだ。

 伝えなくて良かった、とショックを受けながらもしみじみ思った。言ってしまったら、もう優しいナユの側にはいられなくなってしまう。


 でも、ネットなどで調べれば調べるほど、ナユの性癖は今の時点では周りに知られてはいけないと感じた。もちろん先生にもだ。

 カミングアウトしてしまうと繊細なナユは周りの変化や反応に耐えられないだろう。


「ナユ、社会人になるまで絶対にそのことは言ってはダメだ。自分を守りたいなら、私と付き合ってるってことにしたらいい。そしたら何をうっかり言ってしまっても冗談で済むだろうから」


 僕はナユと出来るだけ一緒にいたかった。そんな打算あっての提案だったが、ナユは知ってか知らずかそれを飲んだ。

 そうやって僕たちは付き合っているように周りに見せかけるようになった。


「今日正樹君とたくさん話せたよ、すごく嬉しい!ありがとう、マナのおかげで好きな子の近くにいられる」と嬉しそうに学校からの帰り道に言うナユはとても可愛いくて…僕は毎日のように胸が熱くなった。


 彼は僕にとって誰よりも何よりも美しい大切な宝物だった。


 この頃には彼は優しいうえに顔も頭も良くて、僕という彼女がいたので周りから一目置かれる存在となっていた。

 もちろん誰も彼が男性を好きだなんて思ってもいなかった。

 彼が好きな男子相手にアピールや告白などはしようとはしなかったのもバレなかった大きな要因だろう。

 それはきっと苦労している彼の母親の為だったのかもしれない。



 そんな一見平和な生活が中学・高校と続いた。

 

 僕らは家庭教師のヨッシーの元、熱心に勉強して偏差値の高い高校に一緒に入った。

 僕はサラサラのストレートのロングヘアにしていつも彼の横にいた。男子ならまだしも、女子には負けたくなかったのだ。

 綺麗なナユに恥ずかしくないように毎日の全身管理を心がけた。

 もちろん勉強も熱心にした。彼にバカだと思われたくなかった。


 彼の好きな人は6年間で変わっていったが、僕はずっと隣にいる。

 僕たちは何でも話した。

 お互いの身体の変化やナユの好きな人の事、友達の事、嫌な奴の事、家族の事。

 周りには中学からの仲のいいカップルと認定されており、いつも一緒にいるから同級生からは羨ましがられた。



 しかしとうとう一緒に毎日いられない日がきた。


 優秀なナユは医学部を目指していた。僕には逆立ちしても入れない学部だ。

 それでも少しでも近くにいたくて薬学部を目指し、ヨッシーの熱心な指導のおかげで二人とも希望の学部に入ることができた。

 医者にはなれなくても就職先をナユと一緒にしようと僕は目論んだのだ。


 そして僕たちは違う大学に入学した。それが悲劇の始まりだった。



 彼は大学に入ってすぐに好きな人が出来たと嬉しそうに僕に話していた。運命かもしれない、などと言っている。

 好きな人が出来るといつもそう言うのだ。

 彼の好みは大体マッチョな乱暴者に見えた。


 僕は不安になった。

 だって彼は好きな人にはとても優しいのだ。僕が悔しくて眠れなくなるくらいに…。

 今までは僕という『彼女』がいたからその人にとっては『いい奴』で済んだが、僕を知らない同性にあまりに優しくするとゲイだと疑われてしまうのではないだろうか?


「ねえ、私の事中学から付き合ってる彼女だって周りに紹介したほうがいいよ。飲み会とかあるんでしょ、連れてって」と僕は会うたびにナユにお願いした。


 もちろん彼の周りの人たちに、私がナユの彼女よ、と牽制けんせいしたかったのもある。でも本当に心配だったのだ。なのにナユは、


「大丈夫だって。M大はそういうのちゃんとしてるし、意識の高い人が多いから。それに今までマナに頼り過ぎてたって思う。ありがとね。マナも彼氏、作らなきゃ」とのんきに言った。


 もしかしたらずっと付きまとっている僕が邪魔だったのかもしれないし、僕がナユの事を異常に好きだって気が付いていたのかもしれない。優しいからそんな素振そぶりは絶対に見せなかったが。


 彼の通う大学は比較的進んだ大学と言われていたので、そういったLGBTの学生の相談窓口もあった。そんなれ物で彼は気が緩んでいたのだろう。


 タイミングが悪い事に僕もずっと彼を好きでいる自分にしんどさを感じていた。

 彼の事だけが好きだった。彼だけがこの世界にいてくれたらそれで良かった。でもそれは絶対に一生報われない気持ちだと思うと虚しくて仕方なかったのだ。



 突然その日Xデイはやってきた。

 ナユのセクシュアリティは大学で一方的に暴露アウティングされてしまった。

 彼は周りにゲイだと揶揄やゆされながらも、それでも学校に通っていた。


 大学と言う場所は性的マイノリティが安全に暮らせる場所ではない。


 そのことにやっと彼は気が付いたのだろう。

 そして僕に心配をかけまいとアウティングされたのにもかかわらず貝のように黙って耐えていた。


 そしてある夏の日、彼の中の何かが切れた。


 ナユは夏休みの人があまりいない大学で飛び降り自殺をした。

 でも僕は自殺だなんてひとかけらも思ってない。


 彼は大学の中の社会に殺されたのだ。



 ナユの葬式で「でもあいつに好きだって言われたら…やっぱキモイよな」と言ってる彼の同級生を私は殴り殺したくなって血が出るほど腕を握り締めた。

 近くに棒状のものがなくて良かった。間違いなくフルスイングしていた自信がある。

 でも本当は、気がついてあげられなかった自分を一番憎んでた。自分を殺したかった。


 そうやって僕は長く伸ばした髪をナユのように切って、彼の服を着るようになった。彼の持っていた音楽を聴いた。自分の事を彼のように『僕』と言うようになった。



 リアムに話していると、ナユタの皮をまとうように彼に擬態した自分は惨めで滑稽だと思う。バカげている。

 でも仕方ないじゃないか、僕はどうしたら良かったんだ?


 そして僕は英語が上手くなっていた。

 リアムがわからない言い回しを丁寧に教えてくれたし、毎晩ナユタのことを説明したくて、辞書をたくさん引いた。

 

 そして彼に何より大事だと言われて気を付けたのは、発音や上手く言うことより、何を自分が伝えたいのかを一番に考えながら話すことだった。





【M大学アウティング事件②】

ジェンダー研究が各大学で進んでいる中、M大学で起きたこの事件は、アウティング(他人のセクシュアリティを暴露すること)の問題を広く社会に知らしめたほか、性的マイノリティに対する大学側の適切なサポートの問題も呼び起こした。

≪M新聞 地方記事欄≫

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