第5話 初めてのバーナー

 金曜日の仕事をなんとか終え、夕方美月に引継ぎを済ませた。


 シャワーを浴びてすっきりした僕は、昼間に一人でなんとか張ったテントから少し離れた所にあるU字溝で火を起こす練習をしている。

 しかし、だ。


(全然つかないよ、これ…)


 美月と同じように炭を筒型に積み上げて着火剤に点火したつもりだが、上手く炭に火がうつらない。もう一度試してみたが、だめだった。

 今朝から様子が変だった彼に頼るのはちょっと気が引ける。


(困ったな…)


 火がつかないことには何もできない。ご飯もお茶も、もちろんバーべキューも出来ない。でも。

 これって僕にとってはすごい発見だった。


(そもそも人間が火を使いこなせるようになったのはいつくらいなのだろう?)


 いつもならすぐにネットで調べるのだが、いかんせん電波がない。

 打つ手がない自分だけが取り残された。


「だめだー」


 泣きたい気持ちで休憩がてら椅子にもたれかかってぼんやりしていると、


「難しいだろ?」と後ろから声をかけられた。


 振り向くと僕以上に複雑な表情をした美月だった。彼も今朝のことで気まずい様子だ。


「…はい、全然ダメです」


 僕がしょんぼりとそう言うと、彼はカセットガスの付いたクッキングバーナーを持ってきてくれた。焼き菓子などの表面を仕上げで焼くときに使うアレだ。


「ほら。火の粉が飛ぶから気をつけて使え。服に穴が開くぞ」


「おお、最終兵器だ!ありがとうございます!」


「使い終わったら管理棟に返せよ。『チャコスタ』って器具があるから使うと楽に火が起こせる。また教えてやるよ」


「ありがとうございます。そうだ、美月さん、御飯一緒に食べませんか?リアムもくるし」


 僕はこの微妙な空気を払拭ふっしょくするために誘ってみた。僕はリアムを気に入ったから仲良くしたいだけだとわかって欲しい。彼は少し考えて、


「いや、今夜は止めとくよ。週末の予約の電話が入るかもだしな」と言った。


 いまいち嫌なのか嬉しいのか残念そうなのかがわからない顔をしている。

 ちなみに電話は管理棟でないととれない。なんせ電波がないので、携帯に転送ができないのだ。


「そうですか…残念」


「…ありがとな」と言って、彼は僕の頭をぐいぐいと押さえつけるように大きな手で撫でた。


 僕は嬉しかったが、「痛いですよ」と小さな声で言うと、


「俺バスケ部だったんだ。おまえの頭なら片手で持ちあげれそう」と得意気に言った。


 多分これは美月からの仲直りのつもりだろう。彼は不器用そうだし、と同じく不器用な僕は思った。



 持っている服で一番いらないのを上にはおり、クッキングバーナーを点火した。

 パチパチどころか、バチッバチッと強烈な音と共に火の粉が舞い散って熱い思いをしたが、言われた通りにじっと炭の一か所を狙っていると、無事に火が点いた(やっぱりバーナーは無敵だ)。やっと飯盒を火にかけられた。



 ぼんやり暗くなってきた海を見ていると、飯盒が噴いてきた。横に寄せたとところで「コンバンワ」と言ってリアムが管理棟から椅子を持ってきて座った。


 昨夜と同じ場所にするりと猫のように座る様子は、少しナユに似てる。

 彼も顔が綺麗で身体に無駄な肉がないし、動きはしなやかだ。


「いらっしゃい。もうすぐ御飯ができるから」


「ヤッター!そうダ、コレ」と言って、女子高生が持つような水玉柄の保冷バックを僕の前で開けた。


 お酒が何本か入っている。僕の好きな桃のチューハイもあった。

 きっと店の女性に聞いて選んでもらったのだろう。


「やったー、リアム気が利く。ありがと」


「イエイエ」


 もう怒っていないようだ。ホッとして彼を見つめると、彼は少しだけ赤くなってニコリと微笑んだ。

 さっそく缶チューハイを貰って、カンパイする。リアムは缶ビールだ。


美味オイシー!」と二人が言うのは同時だった。


「ふふ、ハワイの人もビール好きなんだね」


僕は大好きアイラブ」と彼は言って、また口に運んだ。


 唇の周りには白い泡が付いている。そんなのんきで可愛いとこもナユに似てる。


 今夜は母にリクエストして持って来てもらった海鮮バーベキューだ。

 昨夜程のボリュームはさすがにないが、2人前はたっぷりあるのをチェックしてある。


(母はキャンピングパークの誰かと食べると思っているのだろうか…?普通一人分持ってくるよな…)


 ちなみに衣食住のうち食費だけはケチらないのが僕の家の流儀だ。


 僕は管理棟から材料の入ったトレーを持って来て机に置いた。


「おー、豪華な食事だラクチュリーミール


「焼こうか、お腹空いたね」


 僕はダイナミックに1/3程を網にあけた。汁が炭に落ち、ジュヤーっと鳴る。灰が少し舞うと、


「オウ、マナは乱暴者だなバイオレントマン」といってリアムが大笑いした。


 確かに乱暴者だと小さな頃から言われていたが、久しぶりに言われた気がする。


(僕はあまり変わっていないのだろう。そして小さなころからナユを好きなままで大きくなってしまった。でも僕の好きな人はもういない…)


 二人で笑いながら食材に着いた灰を取ったりしながらエビやホタテをひっくり返し、よく焼いてから口に入れた。


「オーイシー!!」とリアムがいい声で感想を言った。


 炭火で焼くととても美味しくなる。


「良かった」


 そうだ、美月にもおすそ分けしよう。

 一番大きなプレートにご飯と焼けた食材を綺麗に見えるように乗せ、焼き肉のタレを少しだけかけて御飯と一緒に管理棟に持って行った。


 彼は退屈そうにパソコンで作業していたが、差し入れを見て喜んでくれた。

 もう夜ご飯は済ませただろうが、若いしガタイがいいのでいくらでも食べられそうだ。なんせ19歳の食べ盛りなのだ。


 僕はサイトに戻り、チューハイに口を付けた。ビールはあまり飲めないが、これは甘くていい。

 ナユはビールが好きだったから、僕がにがそうに顔をゆがめて母の飲んでるビールをこっそり味見するのを笑って見てたっけ。

 懐かしすぎる。


(彼もハタチになったらビールを遠慮なく飲めたのに…)


 気が付くとリアムがじいっと僕を見ていた。


「どしたの?ホワット?」


「ん…マナって…。まあいいやワットェバなんでミツキはマナを男だと思ってるのホワイディドミツキシンクユーアボーイ?」


 そんなの僕だって知らない。勝手に勘違いしてるのだ。だって『いえ、僕は女ですよ』なんて言うのは面倒だ。あと、そのほうがここで働きやすい。


「知らない。訂正するのも面倒だからしてない。リアムはなんでわかったの?ホワイユーノウ?」


だって僕は医者の卵だものアイム、メディカルステューデンマナの骨格を見たらわかるよアイノウ、ユーハヴアフィーメルフレイム


(医者?とてもそうには見えない)


 彼は僕がそう思っていることもわかっているようでニヤニヤしている。彼に対抗するために、


「モデルかと思った。ユーアーマデル、アイソウト」と僕が言うと、


褒めてるpraiseけなしてるdispraise?」と照れたように笑った。


両方、かなboth of them」とマナが言ったので二人は笑って2本目のお酒に手を伸ばした。


 ナユとどこか同じ匂いがするリアムは一緒にいてとても楽だ。話しやすい。

 美月は見かけよりずっと優しいがちょっとだけ緊張する。


 まあいい、このバイトはピンチヒッターであり、長く続けるつもりはない。というか長く続けていては困るのだ。

 僕は4月の新学期から大学に戻りたい。

 また忙しい日々が始まるのだろう。それはいい。

 でも…僕は大学に行く事を考えるだけで足が震えてくるのを止められないのだ。




【M大学アウティング事件①】

M大学医学部1年生の男性が同級生に同性愛者だと暴露され、校舎屋上から転落死した。男性は大学側に出来事を相談していたにもかかわらず事件が起こったことから、遺族は大学を提訴したが、大学側は適切な対応をしたと主張。意見は平行線をたどっている。

≪M新聞 地方記事欄≫

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