第3話 キャンプの基本の『ホ』

「もうあがれよ、バーベキューするんだろ?ついでに火おこしを教えてやる。キャンプの基本のホ、だな」


 美月が突然言ったので驚いた。冷蔵庫の食材を見たのだろう。


「やった、お願いします」


 僕はサイトに設置してある1mほどの長さのU字溝に置く網と炭を管理棟から持ってきた。ヨッシーから自由に使っていいよ、と言ってもらっている。


 美月さんは網の上に炭を15センチほど筒状に積み上げ、中に着火剤と新聞紙を入れてライターで火をつけた。

 身体が大きいのに、長くて細い指が繊細に動くのを見て驚いた。炭よりピアノやバイオリンなどの楽器が似合いそうだ。彼をよく観察すると、屈折しているが育ちが良いことに気が付いた。乱暴な言葉とは裏腹に所作が美しい。


 彼は火種を見守っている間、煙突のように炭を積んで火を上手くつける為のコツを教えてくれた。

 少し経つと上手い具合に炭に火が着いた。それを網の上から降ろしてU字溝に綺麗に並べる。


「着いたぞ。これがすっと出来るようになるといいな」と満足そうな顔をして管理棟に戻っていった。


 美月も火が好きなのかもしれない。僕だって子供のころから『火では絶対に遊んじゃダメ!』と言われて育ったせいか、火で遊ぶのがとても好きなのだ。昔から近所の人が田んぼでワラを焼いて焼きいもをしたり、神社のどんど焼きには必ず顔を出すくらいだ。


 美月が管理棟に戻って一人になると、もう6時に近いことに気が付いた。空は暗いしお腹が減っている。

 僕は共同の炊事場にいき、実家から持ってきた飯盒はんごういたコメ3合と水をだいたいで入れ、U字溝に鉄筋を渡してそれを炭の火にぶらりとかけた。

 眺めていると火は大きくなったり小さくなったり、一瞬も同じ形をとどめないで忙しそうに変形し続ける。大学に通っていた半年前の忙しかった自分を思い出してぼんやり見ていると、


「マナ?」と声をかけられた。


 振り向くとリアムがいた。

 彼は夜ご飯を買いに出かけるところだと言った。


「良かったら一緒にご飯を食べない?ええと、レッツイートツゲザー、ヒア」と誘うと、嬉しそうに「ウーフー!」と答えた。


 なんとなく、ヤッター、って感じだろうか。火を使って一人で食べるのは心細かったので僕も嬉しい。


 バーベキューの準備を手伝いながら、彼は夜ご飯に困っていたと言った。

 確かに、このキャンプ場はシーズンオフだから飲み物しか売ってないし、電波がないからネット情報が何も得られない。

 この島にあった唯一のコンビニも何年か前に潰れたはずだ。


 情報が知りたい時は管理棟にパソコンがあるから調べられるよと教えると、ニカっと嬉しそうに笑ってサンキューとお礼を言う。嘘のない彼の笑顔にホッとして自然に口角が上がる。

 そういえば最近人の顔を見てこんなふうに優しい気持ちを感じたことがなかった。なんせ引きこもりだったのだ。

 美月やリアムのおかげで顔の筋肉が戻ってきている。


 飯盒はんごうが沸騰してきたので端に寄せて蒸らし、U字溝に借りた網を乗せた。

 そして管理棟に行き、冷蔵庫から母に持たされたバーベキューセットを取り出した。

 料理オンチの母にしては肉と野菜を焼くだけの親切な状態にしてくれてあるが、いかんせんどう見ても3人前以上はある。


 3日分…?これ生ものだよ、母さん…


 腐らせるのが目に見えているので「お、すげーじゃん!うまそ」と材料を覗いて言う暇そうな美月も誘って、3人でバーベキューを始めた。肉が焼けるいい匂いが3人の胃を刺激する。飯盒の御飯もいい具合に炊けていた。


「やっぱ肉だな!」


「イエス、ミート!!」


 リアムと美月は気が合うようで、焼いたり食べたりしながら各地のキャンプ場情報や次の目的地までの行き方などを英語でペラペラ話している。

 っていうか、美月って高校中退じゃあ…?僕が意外だというような顔をしていると、


「俺高校2年生の時、オーストラリアに半年交換留学してたから」とさらっとうらやましい事を言った。彼は僕の苦手な英会話をさらりとマスターしている人なのだ。



 食べ終わって、僕が二人の会話のスピードに脳が疲れて口数が少なくなっていると、いいタイミングで美月が、


「コーヒー飲む?」とぶっきらぼうに聞いた。僕らがこくこくと嬉しそうに頷くと、


れてくる」と管理棟に歩いて行った。


 リアムは僕に「ミツキいいヤツ」と言ってニコリと笑顔を向けた。


 そうだな、美月は少し怖いけど、でもとても優しい人だ。短時間一緒にいるだけで外国の人でも彼の良さがすぐにわかってしまうんだろう。


「イエス、ミツキイズ、ベリーカインド」と僕が言うと、


「マナもベリーカインド…アンドキュート」と言って僕の側に来た。そして肩を抱いて頬にチュッとキスした。


「ひゃっ、何すんの!」と僕が言うのと下突きがリアムの脇腹に刺さるのは同時だった。


 彼が上体を折り曲げて口から、グエ、というのを見て青くなる。思わず反射でフックを入れてしまった。


(肝臓に入った…?)


 間違いなくやり過ぎだった。


「…ごめん、びっくりして…アーユー、オーライ?なわけないよね、ごめんごめん…」


 彼の背を撫でると、


「オー、カラテ…マナはストロング…」と言いながら苦く笑った。


「日本では恋人でもないのに急にチューなんてしたら怒られるよ」と僕が日本語で言うと、なんとなくわかってくれたようだ。


 そこに美月がコーヒーの入ったポットを持って戻ってきて、


「なにやってんの?」と呆れ顔で聞いたので、僕らは苦笑いしかできなかった。



 バーベキューの片づけは明日することにして、3人でコーヒーを飲みながら火を囲んだ。

 美月のコーヒーはとても丁寧に淹れてあって美味しい。リアムも本気で喜んでいるように見えた。

 通り過ぎる人にコーヒーを勧めると、マイカップを持って戻ってきてコーヒーを飲んで少し話してく。


(いろんな人がいて面白い…)


 炭が弱くなってきたので、僕はいそいそと流木や松ぼっくりを拾ってきては投入する。燃やすのが楽しくて仕方ない。3人とも火を見ていると口数が減るようだった。


「いいね…なんか安心する」


 僕が思わずぽつりと言うと、美月さんもリアムもゆっくり頷いた。


 時間の流れがゆったりして気持ちがいい。


 ずっと家で引きこもっていても心はバタバタと走り回っていたが、ここで一度立ち止まってみてもいいのかもしれない。今までずっと駆け足で生きてきたのだから、少しくらい暇をもらっても神様も怒らないと思う。


 ねえ、そう思うだろう?

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