第三話 ニュー・ウェイヴ
僕は彼女の唐突な誘いに固まってしまった。
僕達はしばらくの間見つめ合った。
きっとそれは一瞬の出来事だったんだろうけど、僕にとってはやたらと長く感じられた。
「冗談!」
僕をからかうように、女の子は少しだけ下品に笑った。
それでも、彼女の可愛らしさはちっとも損なわれなかった。
「だってわたし、……乗れないし」
僕は不思議に思って尋ねた。
「乗れない? メリーゴーラウンドに?」
「うん。乗れないの」
彼女はそう答えた。
僕はそれ以上訊かなかった。訊けなかった。
「わたしね、」
「ん?」
「……ま、いいや。それより、音楽でも聴こっ」
女の子はポケットから小さな黒い機械を取り出した。
僕はそれをまじまじ見た。それは昔、おじいちゃんの家で見たことがあった。
ポータブルカセットプレーヤーだ。
ずいぶん古いものを持ってるんだなあ、と思った。
彼女はイヤホンの片方を僕に差し出すと、「ほれ」と言った。
僕は言われるがまま、右耳にイヤホンを入れた。
女の子は自身の左耳にイヤホンを入れようとした。でもコードの長さが足りなかった。
彼女はさらに僕との距離を詰めた。その際、コンクリートの地面が小さな音を立てた。
彼女の匂いが鼻をくすぐった。こんなにも近いせいだ。
髪の毛からはシャンプーのいい匂いがした。
それに、甘いポップコーンの香りもした。それが彼女のものなのか、遊園地から漂ってきたものなのかは分からなかったけど、いずれにせよ悪い気はしなかった。
彼女はプレーヤーのボタンを押した。
かちっ、と音がした。カセットテープが回りはじめ、右耳から音楽が聴こえた。
洋楽だった。
エレキギターにドラム、ベースの音。なんというか、全体的にスカスカの音だった。
中くらいのテンポで鳴る楽器の間を縫うようにして、男の人が英語で気だるそうに唄っていた。
「何? これ」
「これはね、ニュー・ウェイヴっていうの」
「バンド名?」
女の子は首を横に振った。「ジャンルの名前」
ヘー、と僕は言った。そんなジャンル、聞いたこともない。
「イギリスで流行ってるんだ」彼女は言った。
僕の耳には、昔風の音楽に聴こえた。
とはいえ“ニュー・ウェイヴ”の音楽は、曇天の海辺に意外としっくりきていた。
さすがは年上の女の子だ。僕の知らないことだって色々と知ってるんだ。
「イヤホン外せば、スピーカーからも音鳴らせるよ」と言って、彼女はイヤホンを本体から引き抜いた。
イヤホンから音が聞こえなくなる代わりに、カセットプレーヤーのスピーカーから音楽が鳴った。
高音が割れてて安っぽい音だった。でもそれは、妙にノスタルジックだった。
女の子はプレーヤーを地面に置いた。
「わたしはね、メリーゴーラウンドが大好きだった」
「……だった?」
女の子は無言で頷いた。そして口を開いた。「昔ね、家族でここの遊園地によく来たんだ」
「そうなんだ」
「お父さんと二人で、メリーゴーラウンドによく乗ったの。お母さんは乗らなかった。お母さんは外から、ビデオカメラでわたし達を撮ったりしてた」
「そのころのこと、憶えてる?」
「うん、よく憶えてる。外から眺めるより、メリーゴーラウンドって実際に乗った方が早く回ってるような気がするんだよね。わたしにはそれがすごく楽しかった。くるくるくるくる、景色がどんどん変わって。子供だったわたしはそのまま別の世界に飛んでいってしまうような気がして、胸がくすぐったかった」女の子は遊園地のほうを見た。「メリーゴーラウンドをただ眺めるだけなんて、わたしはイヤだな。……出来ることなら、ずっと乗っていたかったくらい」
「ずっと乗ってたら、目が回っちゃうよ」僕は冗談めかして言った。
沈黙があった。
それから彼女は微笑んだ。
「そうだね。目が回っちゃう」
心なしか、その笑みには悲しさが混じっているような、そんな気がした。
女の子は僕に向かって言った。
「でも、それが生きるってことなの」
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