第13話 勇疾星、相対す

 御前軍以外は既に玉座の間の周りを囲んでいた。勇雲と私兵は加仙の二番隊が皇宮の一室に監禁し、見張ることとなった。葵たちが玉座の間の周りで他の軍と合流すると一から五軍の将軍が穎悟に近づいてきた。秀超は葵を見つけると「おい!儂も見たかったわ、勇雲がお前にぶちのめされている所」と言って、がははと笑った。

 気楽な秀超を尻目に宝担が「さすがに現在明確な罪状のない皇帝陛下の玉座の間に、大勢の軍を踏み込ませる事はできません。ここからは一旦少数で中に入り、様子を伺う方が良いと思います」と言い、穎悟も同意を示すように頷いた。

 各将軍とそれぞれに護衛二、三名、そして葵、雅、延旺、迅江が中に入ることになった。嵐昌も穎悟の護衛として同行する。

 そうして小さな集団を形成すると嫌が応にも、一触即発めいた空気が張り詰めた。さっきは怒りで我を忘れていたからこんな気持ちにならなかったが、葵の心臓は妙な調子で鼓動を打っていた。あまり考えないようにしていたが、勇疾星は葵の異母兄なのだ。雅の時は割とすんなり受け入れられたが、勇疾星と顔を合わせた時、自分はどんな感情を抱くのだろうか。怒りか憎しみか、喜びか悲しみか。どれも相応しくないような気がして、頭が少し混乱した。それを察したのか延旺が「行ってみなければ、どうなるのか私にもわからぬ。こういう時は、無駄な気苦労をせぬ事だ」と言った。葵が一つ頷くと延旺は穎悟に向かって「何が起こるか予測できん。私と葵たちにも剣を貸してくれ」と声をかけた。

 穎悟は中に入らない御前軍の者の剣を借りて、それぞれに渡した。初めて持った剣は、思っていたよりずっと重かった。雅は受け取るや否や「重い!これ、持っている方が危ないかも」と悲鳴をあげた。「鞘を抜けば雅にも振るくらいできるから、一応持っている方がいい」と嵐昌に説得されて、雅は素直に両手で剣を抱えた。

 穎悟が一同を見回して「行くぞ」と静かに言って玉座の間の扉に手をかける。そこには身を挺して守ろうとする者もいない。重い扉が開かれると驚くほど広い玉座の間が目に入る。赤と金の大きく長い布が真ん中を走っていて、遠くの一際高い場所に玉座が見えた。技巧を凝らした細工があちこちに張り巡らされているのがわかる。葵たちが二、三歩中へ進むと扉は自然と、閉じた。

 中には誰もいなかった、ただ皇帝を除いて。

 だだっ広い空間の向こうにある玉座に貓が座っている。今は小さくしか見えないが、きっとあれが勇疾星なのだろう。誰もいないからといって、玉座に座ってみる勇気のある者など皇宮にはいないだろうから。

 穎悟を先頭に葵たちは長い玉座への道を進む。言葉を発する者は誰もいなかった。冷え冷えとした空間に足音だけが響き渡っている。玉座に近づくとそこに座っている者の姿がよく見えた。豪奢な玉座の上で、気だるげに片肘をついている、銀色に輝く貓。堂々とした軀つきで金色の瞳をじっとこちらに向けている。勇雲には全くといっていい程なかった、威圧感というものを葵は全身で感じていた。びりびりと毛が逆立つような、本能に訴えかけてくる圧力が一行を包む。

 玉座からほど近い場所で穎悟は歩みを止めた。そしてその場に跪くと、他の将軍や軍の者も、同じように跪いた。立っているのは葵と雅、迅江そして延旺だけだ。迅江は自分も跪いた方がいいのかと周りを見回していたが、面倒臭くなったのか、目をそらして知らんぷりをすることに決めたようだ。

「皇帝陛下、先日奏上いたしました意見書のお返事をいただきに参りました」

 穎悟が静かにそう告げたが、勇疾星は何も返さなかった。穎悟の方に目をくれようともせずに、ずっと葵たちを射るように見つめている。

 身が竦みそうになるのを宥めて、葵は胸を張った。

 勇疾星は口元を上げて笑うようにして、玉座から立ち上がった。右手に剣だけを握って、そのまま何も言わずに階を降りてくる。静かな張り詰めた空間の中で、勇疾星だけは自由だった。

 そのまま穎悟たちの前を素通りして、延旺の前に立つ。葵は剣をぎゅっと握りしめた。

「延旺、老けたな」

「勇星様は、ご立派におなりになった。心の中まではわかりませぬが」

「はんっ」とおかしそうに皇帝は笑うと「私のことを勇星と呼ぶのは、今やお前だけだ。この皇国にとって私は皇帝勇疾星だ」

 葵は緊迫する空気の中で、昔延旺に聞いた言葉を思い出していた。曰く、この国で三文字の姓名を名乗ることができるのは、皇帝だけだ、と。

「あの時言ったことをお忘れですか。私はあなたの剣にはならないと伝えたはずだ。だから私はあなたを皇帝と認めない」

 延旺はまるで仇敵を前にしたかのように、目を怒らせて勇疾星を睨んでいる。瞳が爛々と輝くのを見て、葵は危うく剣を取り落としそうになった。

「だろうな。皇宮の者はお前が異母兄妹を巻き込んで自死したと言っていたが、私は、はなから信じてなどいなかった。憎々しく思いながらもこう思っていたよ、延旺はそんな簡単に全てを諦めるような者ではない。我が父、勇崇偉がそんな愚者を傍に置くとは思えない、とな」

「結構なお褒めにあずかり恐悦至極」

「私は正当な評価を下しているだけだ、皇帝たるものそれくらいの器なければ、その至高の位は務まらない」

「ならなぜ勇雲の凶行を見逃した!」大きな声で延旺が詰問すると勇疾星は肩をすくめて「私なりに子が一匹しかおらぬことで、血統の保持のためにできることをしていただけだ。あのような蒙昧な者でも失われれば皇国は立ち行かぬ」

 葵は勇疾星の言葉を聞いて驚いた。皇帝も穎悟たちも同じ考えで、勇雲の罪を問わなかったと言っているのだ。

「お前にならわかるだろう。勇雲は我が母、月妃と同じだ。狂気に駆られて周りを傷つける」

 延旺が歯ぎしりする音が響いた。

「どうせ勇雲はすでにお前たちによって拘束されているのだろう?そしてお前たちが意気揚々と不可侵の皇宮に踏み込めたのは、それのおかげだろう」

 勇疾星は葵たちに向かって顎をしゃくった。

「そうだこれらはあの日、月妃とあなたから救い出した、華妃の子だ!」延旺は軀の底まで響くような声で叫んだ。目が燃えるようだった。

「ははは。父にそっくりだな。雄の方はまるで父をあどけなくしたみたいだ。二匹とも短尾であることが、皇帝の子の証明となるとは。数奇なものよ」勇疾星は延旺の剣幕など意に介さず、まるで楽しんでいるかのように振る舞った。

 それが延旺の気持ちを逆なでしたようで、睨む目にまた力が入った。しかし滑り出した声は、まるで深淵に沈み込んでしまったかのような悲痛な響きだった。

「あなたが勇崇偉と華妃を殺したのか」

 その言葉を聞いた勇疾星は意外な事に、こちらも悲しみを湛えた表情で「そうだ」と静かに答えた。

 反射的に延旺が「どうしてだ!」と叫んだが勇崇偉は答えない。

「どうして、勇崇偉を殺したのだ。何もしなくても、いずれあなたには皇帝の座が転がり込んでくるはずだった。勇崇偉も、私も皆があなたを皇帝の器と認めていた。なのに、どうしてだ!」

 延旺の叫びが静寂にかき消された時、勇疾星は静かに言った。

「華妃に子ができてから、誰の目も憚らずに狂態を繰り返す母を見る事に、私自身が耐えられなくなったのだ」

 延旺は絶句して二の句が継げないでいる。

「我ながらつまらぬ理由よな。親子の情にかられて母の夢を現実としてやりたくなった。父がいくら次の皇帝は私だと言っても母は信じなかった。私の他に子がいることで、母にとっては私が皇帝になる可能性に欠けがあるのを、どうしても受け入れられなかったのだ」

 誰も何も発しない、先ほどまで大声をあげていた延旺でさえも。

「だから今すぐ皇帝になった姿を見せるよりなかった。それが父を殺した理由だ。父が生きている限り、私は皇帝になれないのだから」

 葵は勇疾星の言葉をぼんやりと聞いていた。母のために父を殺す。勇疾星の中で両者を天秤にかけた時、母の方に傾いたのだろうか。葵は父も母も知らずに育ったから、その気持ちがあまりよくわからなかった。延旺と誰かを秤に掛けるようなものかなと思ったが、それも違うように思えて腑に落ちなかった。

「母の件で相談したいと言って父の部屋を訪れ、酒を呑みながら話そうと父に言った。身内の話故、他の者に聞かれたくないと私が言うと、父は入口の警護の者を遠ざけてくれた。目を盗んで、持参した毒を盃に入れて渡しても、父は何ら疑うことなく一息に呑み干した。息子を微塵も疑う事のない、まっすぐないい父親だと感心したものだ。やがて毒が回り、血を吐いて苦悶し出したが、私を恨むような顔を一度も見せなかった。私に毒を盛られたと知っても、それを受け入れたようだった。そしてそのまま逝ったよ」

 深い悲しみを湛えたまま、淡々と勇疾星は言う。

「父を殺したことで、私が皇帝になることが確定した。あとは、私以外に皇帝になる権利を持つものを消すことだけだ。華妃と子どもたちを殺す前に、その様を母にも見せてやろうと思ったのだ。母は華妃とその子を心から憎んでいたからな。母に会い、華妃と子を今から殺すと告げると狂喜乱舞していた。およそもう、狂っていたのだろうな」

「華妃の部屋の入口の警護を斬って、部屋に踏み込むと華妃が驚いた顔でこちらを見ていた。しかし入ってきたのが私と母だと認識した途端、諦観した顔つきになった。殺されることを悟ったのだろうな。母に向かって華妃を自らの手で殺すかと聞いたが、母は首を振った。抵抗されることを恐れたのだろう。仕方がないので私が肩口から華妃を斬りおろした」

 語られているのは、自分の父と母の死に際だった。それは酷く悲しい話だったが、淡々と語る勇疾星のせいか、どこか遠い世界の出来事のように葵は感じていた。悲しみを実感できないのが、少し寂しかった。

 そう思っていると、まんじりともしなかった雅が葵の手を握った。父も母も失ったが、俺にはまだ、この温もりが残されている、そう感じて葵は強く雅の手を握り返した。

 目の前ではまるで自分とは無関係の事のように、勇疾星が語り続けている。

「華妃を殺したあと、私が子どもたちに向かうと母は、子どもは自分の手で殺したいと言い出した。子なら抵抗されずに簡単に殺せると思ったのだろう。こうやって言葉にすると我が母ながら卑劣なものだな。あとはお前の知っている通りだ。母は子を侮ってまずは巷の犯罪者よろしく、尾を斬ってから殺すと言い出したのだ。そして尾を斬ることには成功したが、お前が入ってきて殺すことができなかった」

 ようやく勇疾星と延旺の話が繋がった。延旺は先ほどまで憤怒の表情を浮かべていたのに、一変、考えの見えない真顔になっていた。

「どうしてそこまでしてやった月妃を殺したのだ」延旺が静かに問う。

 その言葉を聞いた勇疾星は一層の悲しみに表情を崩れさせた。

「母は、母は」絞り出すように、言う。

「お前が子を連れ去ったあと気を失ったままの母を部屋に運んだ。しばらくして目を覚ました母は、お前が現れたことで酷く動揺していた。しきりに子は、子はどうしたと聞くので、もういなくなったと告げた。ひっきりなしに殺さねばと繰り返すので、もうその心配はないと言った。」

 勇疾星はため息をつく。

「父を殺したから、私はすでに皇帝だと伝えた。さぞや喜ぶだろうと思ったのに母は、信じられないくらい逆上した。取り乱し、興奮し、私が一番見たくないと思っていた狂態をまた見せたよ。あれでも母は父を愛していたのだな。私は皇帝になっても何ら変わらない母の姿を見て、絶望したよ。挙句、母はなぜ殺したと叫びながら私の首を、絞めた」

 母のために父を殺し、そのことが母に知れると今度は首を絞められる。狂いすぎている歯車に葵は頭が痛くなりそうだった。全く誰も幸せにならない。

「母は、本気だった。どこからそんな力が湧いてくるのかと思うほど、強烈な力で絞めてきた。その痛みを感じた時、私がした事はなんだったのかと虚しくなった。その虚しさは私が大事に思っていたはずの母を、取るに足らないものに変えた。だから母を斬った。死ねば母の苦しみも終わるだろうと、せめて苦しまずに済むようにと急所を一突きした」

 そこまで聞くと延旺は頭を振った。

「あなたはなんの為に」延旺がそう呟くと「さあ、私にもよくわからない。だがあの時はそうせねばならないと、何かが自分を突き動かしたのだ」

 葵はそれが勇疾星の意思と運命だったのかな、と思った。だとしたら酷く悲哀に満ちた歪なものだけれど。

「先ほど勇雲をなぜ咎めないと聞かれた時、血統を保持するためだと答えたが、心の底の本当のところは、自分の運命に嫌気がさしていたのだ。あれほどまでに私が皇帝になる事を望んだ母が私を殺そうとした。私は母のために皇帝になろうとして、結果母を殺したのだ。それでも皇帝になってからは、母の望んだ皇帝の座に相応しい者であろうと努めた。父の背を思い出し、公明正大で温厚篤実である事を心掛けた。自らを律し、武芸にも励み、名に恥じぬ振る舞いをする事を肝に命じた。そしてそれは我ながら上手くいっていたと思う。十年以上平穏な日々が続いていたのに、一年ほど前から子の勇雲が皇宮の者たちに狼藉を働くようになった。最初は少し粗野なところがあるのだろうかと思って静観していたが、そのうち狂乱にかられて見境なく何匹も殺すようになったのだ。私の気持ちがわかるか?どんなに私が皇帝の位を大切に守り抜こうとも、次に皇帝になるのは狂った愚か者だ。しかもその愚か者を作り出したのは、私自身の血だ」

 一気に話すと勇疾星の息が上がっていた。苦しそうに肩を上下させている。

「私は自分自身と運命に呆れ果てて、考える事を辞めた。そうするとあれほど大事にしていた皇帝という立場がひどくちっぽけで、くだらないものに感じて、興味を失った。勇雲に対しても関心を持てなかった。だから、放っておいた、どうせあいつが皇帝になるしかないと思っていたからな」

 勇疾星は興味のなさそうな顔で自分の子について語った。

「だから延旺、お前には感謝している。そこの二匹は我が父、勇崇偉に連なる者。勇雲がいなくとも皇帝の血脈は繋がる」

「では」そう延旺が言うと、勇疾星は悲しげな顔で「お前はその者たちを皇帝にしたいのだろう。お前は父を殺した私を憎んでいる」と答えた。

 延旺が何も答えずにいると、「お前たち名を何という」と葵たちの方へ視線をずらした。

 突然の問いかけに驚いたが「葵」と答えると、隣で「雅、です」という声が聞こえた。

「わかった」と言った後「勇雲に端を発したこの問題はすでに内密にできる規模を超えている。どうせお前たちは民の目にも留まるように大勢で仰々しく皇宮に乗り込んだのだろう。早朝から多くの駿の足音が響き渡っていたわ」

 やはり勇疾星は事前に気づいていたのだ。知っていて勇雲も放っておいたのだ。

「例え勇雲を殺したとて、民は勇雲を放置した私の罪について口さがなく喚き立てる。そこにお前たちが死んだはずの勇崇偉の子たちが生きていたと噂でも流せば、民は皇帝をすげ替えろと大騒ぎするだろう。だから傷の浅い今、皇帝の位を降りろ、そう言いたいのだろう、延旺」

 延旺が即座に「そうだ」と答えると周りの者たちから驚きの声が小さく上がる。

「あなたが勇雲の罪を見逃しさえしなければ、私もそんな事は口にしなかっただろう。勇崇偉と華妃を殺した罪はあるが、政権闘争の結果だと言われてしまえば私も何も言えない。そういった事は長い勇貓皇国の歴史上何度もあったと歴史書が伝えている。だからあなたの場合だけを特別に取り上げて騒ぐような事はできない」

 勇疾星は促すように顎をしゃくる。

「それに辺境でも時折漏れ聞こえてきたあなたの皇帝としての振る舞いは、確かに民からの評価が高かった。公明正大、温厚篤実な名君だと聞いて、やはり皇帝に相応しい者だと納得していた。私自身の憎しみよりも民の安寧が優先されるべきだと思い、無駄な混乱を起こさぬよう、葵も隠し続けたし、央東にも雅を家族として扱えと指示していた」

 延旺が強く剣を握りしめるのが見えた。

「しかし、あなたは拡大し続ける勇雲の凶行を止めなかった。これがまずあなたが皇帝に相応しくないと思うきっかけだった。しかし先ほどのあなたの話を聞いて、皇帝を降りるべきだと確信した。自分自身とその運命を言い訳にして、皇帝の責務を放棄するような心弱き者に玉座は不相応だ!」きっぱりと延旺が言い切ると「そうか」と勇疾星は寂しげに答えた。

「本当に昔からお前は有能だな。父があれほど近くに置き続けたのも合点がいく」

 延旺は答えない。

「お前は父の剣ではあったが、私の剣にはならぬと言い切った。次は葵と雅の剣になるというのか?」まるで羨ましがるように勇疾星が言う。

 延旺はまっすぐと勇疾星を見て、一歩前に出る。

 そして「そうだ、私は、葵と雅の剣として生きる」はっきりと言い切った。

 堂々と勇疾星に向き合う延旺の姿は神々しく、力強く見えて、葵は自分が哭くのでなないかと思った。

 飽きるぐらい一緒にいたのに、こんなにも延旺が自分に愛情を注いでくれていることを、ちっともわかっていなかった。

 この瞬間を、感情を絶対に忘れないために、葵は目の前の光景を強く、焼き付けた。

「葵も雅も短尾の枷をものともしない、心正しき貓に育った。足りないものも多くはあるが、周りの者の力を借りて、正しき判断を心がけていれば、必ず立派な皇帝たり得る」

 はっきりとそう言い切った延旺を皆が見ていた。

 ふっ、と勇疾星は笑った。

「お前が手塩にかけて育てたのだからな、皇帝の資質高きものに育っているだろう。だからと言って素直に皇帝の座を降りる気など私には毛頭ない。血で築かれた私の玉座は、血によってしか奪う事はできぬ」

 そう言って勇疾星は剣の鞘を払った。磨き抜かれた輝く剣がその姿を表す。

 その姿を見た将軍たちが、ついたままの膝を立て、葵たちの側に殺到する。次々に抜刀する音が聞こえた。

「部外者の手出しは無用!」不穏な空気の中、勇疾星の凛とした声が響き渡った。

「葵、雅、あの日、私はお前たちを殺し損ねた。いや、取るに足らぬ者と見逃してやったと言ってもいい。しかし今、お前たちは私から玉座を奪いに戻ってきた。ならばせめて自らの手で奪い取れ!」そう叫んで、剣を構えた。

 鋭い声に怯えて葵も雅もその場に立ち尽くした。二匹とも剣を振るった事など生まれてこの方、一度もないのだ。

 どう振る舞えばいいのか解らないまま、突っ立った二匹に勇疾星が飛び込んでくる。

 終わった。そう思って目を閉じた葵は、顔の前で聞こえた激しい音に再び目を見開いた。

 延旺が勇疾星の剣を、手にした剣で防いでいた。

「あの日の続きをするというのであれば、私にも参加する資格がある!」と言って、延旺が力を込めて剣を強く押すと、勇疾星は後ろに飛んで少し距離を取った。

「葵!雅!今すぐ鞘を払って剣を構えろ!」延旺が後ろも見ずに大声で言う。まごまごしている場合ではないとわかり、葵は腹を括った。鞘を払い、見様見真似で剣を構えた。雅は大丈夫かと視線を横にやったら、驚くことに強い瞳を前に向けて、雅は剣を構えていた。じりじりと延旺を真ん中に、葵と雅は左右に別れ並んだ。

「三対一か、不平等じゃないのか」勇疾星が嘲笑うように言う。

「葵も雅も、あなたのおかげで市井に育った。故に剣を習うような環境になかった。腕の落ちた私と初心者二匹を足して、丁度あなたの腕と釣り合う。平等だ」

 延旺が詭弁すれすれの答えを返す。

「珍しく屁理屈を言う。まとめて殺してやるわ」

 殺気を込めて勇疾星が構える。身にまとう威圧感が形になって目に見えるかのようだった。

 その姿に目を留めたまま延旺が「私が勇疾星を防ぐから、お前たちは機会があれば突くなり斬るなり、攻撃をしかけろ。しかし絶対に油断するな、勇疾星はお前たちなど到底足元に及ばぬほどの使い手だ」と言って「近づきすぎるな、即座に首を落とされるぞ!」そう続けた。そう言われるまでもなく、葵はこれまでで一番集中していた。目の前の勇疾星から逃げる事はできない。そんな素ぶりを見せた瞬間に、殺されるであろう事は想像に難くなかった。ならば目を凝らして隙を見つけて、なんとか攻撃するより道はない。

 勇疾星が体重を乗せた剣を繰り出すと、延旺がその力を逃がすように、弾く。勇疾星は葵と雅の姿が目に入っていないかのように執拗に延旺へ攻撃を仕掛ける。十合ほど斬り合った時、また二匹の距離が離れた。横目で延旺の様子を伺うと、息が上がって乱れていた。

 年齢も高く、十五年も剣を握っていない延旺にとっては、この勝負が長引けば長引くほど不利なのだ。時間はあまり残されていない、そう思うと焦りが葵の中を駆け巡った。

 しかし皮肉な事に勇疾星には隙というものが一切見当たらなかった。

 そして、それがわかっているのか「まずは延旺を潰してから、ゆっくりお前たちの相手をしてやる」と言って勇疾星は笑みを浮かべた。

 そして笑みを浮かべたまま、延旺に向かって、また剣を振るう。延旺は先程と同じように剣先を弾くが、その動きは心なしか力を失っているように見えた。

 葵が剣を構えたまま、二匹の戦いを見守っていると、向こうで同じようにしている雅の姿が目に入った。戦いを見守っていると言うより、雅は何かを待っているかのようにじっと目を凝らしている。

 雅は攻撃の機会を伺っているのだ、即座に葵は悟った。自分たちのような剣を使えぬ者が単独で攻撃を仕掛けても返り討ちにあうのが落ちだ。ならばせめて軽微でも効果を二倍にするしかない。

 雅が何か行動を起こした瞬間が、自分の動く時だ。

 そう決めて雅の姿を追う。

 また十合ほど打ち合った勇疾星と延旺が互いに距離を取ろうとした時だった。雅がすっと前に動いた、それは驚くほど静かで唐突だった。しかし勇疾星は瞬時にそれに気づき、滑らかに剣を水平に振るう。斬られる、と葵が思った瞬間、雅の姿が消えた。空を斬った勇疾星の剣が戻るまで、値千金の空白の時間が生まれた。雅はしゃがんでいた。そして丁度後方に距離を取ろうとしていた勇疾星の、左足しか地面に着いていないのを狙って、まっすぐ上に剣を捧げるようにした。そしてためらう事なく、その剣を即座に振り下ろす。

 剣は勇疾星の左足の甲を縫い止めるように突き刺さり、軀の均衡を崩すのが見えた。勇疾星はすぐに右足を降ろし、雅に向かって剣を振るう。しかし、その剣は延旺によって払われる。その刹那、勇疾星の注意は完全に葵から離れていた。葵は肩の上で水平に剣を構えたまま、軀ごと勇疾星に向かってぶつかった。どこにでもいいから、とにかく当たれと決死の攻撃を仕掛けた。この瞬間しか攻撃の好機はなかった。

 剣は重い手応えを残して、勇疾星の首に付き刺さっていた。視線が張り付いてしまったかのように葵は勇疾星の顔から目が離せないでいた。ゆらりと黄金色の瞳が葵を見た。激しい視線がぶつかった瞬間、葵は死を覚悟した。せめて目を開いたまま死ぬ、そう思って目に力を入れた。しかし即座に右側から凄い衝撃が来て、葵は勇疾星の軀ごと引き倒された。手が剣から離れて行くのが、酷くゆっくりと、見えた。そのまま床に転がると全く受け身が取れなかったせいか、肩を激しくぶつけた。感じた痛みだけが、やけに現実的だった。

 肩を押さえて顔を上げると勇疾星の顔がすぐそばにあった。勇疾星は首に葵の剣が刺さったまま、大の字に倒れていた。腹からは延旺の剣が生えていて、血が吹き出している。あの衝撃は延旺の一突きだったのかと、頭の中は妙に冷静だった。膝を立てて顔を上げると呆然としている雅の顔が目に入った。先程までの決意に満ちた鋭い眼差しはもう消えていた。立ち上がると息を荒くした延旺が、勇疾星の顔に見入っていた。葵も同じように勇疾星を見下ろした。勇疾星の口元から、空気音だけが漏れていた。死に瀕している、そう確信した時「気にするな」と小さな声で勇疾星が言った。葵が驚いて勇疾星の顔のそばに膝をつくと、続けて「私も同じ方法で、玉座を手に入れた」とか細く言って笑った。

 その笑顔から目が離せないでいると、きらりと一瞬、黄金色の瞳に光が宿って「ここで私が死ぬのが最善手だった、これで良い」とだけ言った。それを言い終わるや否や、勇疾星から光が去った。

 葵の胸が大きくどくん、と跳ねた。

 誰も動かず、何も言わなかった。

 戦った者の乱れた呼吸音だけが、静かな部屋に響き渡っていた。

 そしてそれが収まる頃、ようやく延旺が静けさを破った。

 延旺は葵の向かいに同じように膝をつき、そっと開いたままだった勇疾星の瞳を閉じた。その手つきは驚くほどに優しく、思いやりに満ちたものだった。

 それを見た瞬間、不意に涙が溢れた。血族ではあるが面識もなく、悲しいなんて感情は正直一切湧かなかった。だけど後から、後から流れてくる涙に、葵は混乱していた。何の感情が俺を哭かせているのだろうか。考えても答えは出なかったが、自分の中に流れる血が哭かせているのだと無理に納得して、葵は思う存分、哭いた。

 

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