第16話 街頭犯罪、という都市部の闇
「なんだか厄介そうな事情に巻き込まれたのでしょうか?」
ケルマの屋敷を出てしばらく歩いたところで、シレーネちゃんは少し眉尻を下げてそう言ってきた。
「ん? まあ向こうの都合で巻き込まれたには違いないだろうけど、俺としてはこの世界の事情を肌で感じつつ資金稼ぎができるから悪くないと思ってるよ」
少し楽観的に考えすぎかもしれないけど、今回の仕事の展開次第で今後別の街へといった時にハンターギルドとどういった距離で接するかという判断の指標にもなる。
「――っと、あ、ごめん」
「いえ……、こちらこそ、足元がふらついてしまって」
考え事をしていたら道を横断しようとしていた若い男とぶつかってしまった。お世辞にも身なりのいいとはいえない人で、ふらついたというのも納得の頬のこけ具合だ。
おずおずと立ち去る男の背中を見ながら、基本的に豊かな印象のアポタミアでもおそらくは魔獣以外の原因で苦しい生活をしているのだろう人もいるということに複雑な感情が胸をよぎる。
「魔人の件である程度の余裕があるとはいえ、次の目的地もある程度決めたうえでどれくらい稼ぐ必要があるか考えておかないといけませんね?」
路地へと入っていく男の背中が見えなくなったところで、シレーネちゃんが話を続ける。
確かに次の目的地も決めていないから、そもそもどれくらいの予算が必要なのかも決まってないんだよな。
今は荷物という荷物もなく、俺の腰に下げた財布代わりに現地調達した革袋の中身、ほとんどが魔人アクイの件で受け取った報酬、が全財産だ。
「そうだなぁ、今あるのが……、ある……、はずなのが……」
腰に手を伸ばして探ろうとしたところで、おかしいことに気付く。
「そんなはずは……」
視線も下げて自分の腰回りを確認して、さらに青褪めていく。冷や汗がとまらない。
「え? ミカ……さま?」
焦ってぱたぱたと腰回りや懐を探る俺の様子に、シレーネちゃんも戸惑いを隠せず声を上擦らせている。
「ない……、財布……、マジで……」
「は? え? それって?」
二人して青い顔を突き合わせ、そして同時に同じ可能性に思い至る。
「「さっきの!」」
慌てて先ほどの男が入っていった路地へと駆け寄ってのぞき込む。
「――っ! あいつ!」
「ですっ!」
路地の向こうで曲がっていく男の背中が一瞬だけ見える。細い割に思ったより長い路地で、かなりの距離がある。
「っでぇい!」
だんっ!
思わずひざ下を黒鋼化させて、全力で踏み込む。
街中のそれも往来で天技を使うのは、違法ではないけどマナー違反だ。まあ路地なら微妙だが、少なくとも褒められた行為ではない。
けどそのおかげで一瞬の内に俺の身体は路地の突き辺りに到達していた。
「ひぃあっ!」
黒鋼で石畳を蹴った鈍い音を置き去りにして、ほとんど瞬間移動の様に現れた俺に驚いたのか、曲がってすぐの所で頬のこけた男は尻もちをついていた。
「ミカさまっ!」
「シレーネちゃん、大丈夫だ、捕まえた」
「あ、あ、その……」
足の黒鋼化を解いてから、男の肩をしっかりと掴んだところでシレーネちゃんも追いついてきた。
捕まえた男は状況について行けないとばかりに口を開閉している。
さて、とにかく盗られた財布を……。
「こ、これでしゅ! ど、どうか命だけはぁ! が、ガキに食わせるために仕方なかったのでぇ!」
男は口角泡を飛ばして、急に早口で言いつのってくる。差し出した手には俺の財布である革袋が握られている。
「……あるな」
肩を掴んでいた手を放して、やや乱暴にその革袋を受け取った。中身を確認すると、間違いなく全額入っている。
まあこの男は追い付かれると思っていなかったのだろうから抜き取っているはずもない。
金額を確認した俺は、革袋の中から銀貨を二枚取り出して、額を地面に擦り付けて何事か言い訳をし続けている男をじっと見る。
「ミカさま?」
疑問というよりは呆れを含んだ声でシレーネちゃんが俺の名を呼ぶ。
「おい」
男の肩を再び掴んで体を起こしてから、銀貨を握らせた。
「ひっ! おたす……、け……、へ……?」
始めは悲壮なほど表情を引きつらせていた男は、握らされたものを認識すると今度は口を開いて唖然とする。
分かっている、犯罪は犯罪として厳しく対処するべきだし、まして施すようなことをするなんて傲慢だし自己満足でしかない。
そもそも銀貨二枚は、俺の感覚で言うと二千円くらい。数日食べていけるだろうけど、逆にいえばその程度で、何かを変えられるほどの額でもない。
「あの人、きっと繰り返しますよ? というかあの言い訳からして嘘だと思うのですが?」
呆然と座り込む男を置いて元来た通りへと向かって歩き始めた俺を、シレーネちゃんは隣を歩きながら諫める。
「ああ、そうかもなぁ……、けど、俺は……」
かつて元の世界で、家族から、友人から、時には烈火の如く叱られることもあった俺の性質だ。
“助け”を求められると拒めない。相手の意図など関係なく応じてしまう。
明確な悪事、それこそ盗みや、関係ない誰かを傷つけるように頼まれてもさすがに拒むけど、自分が損をするだけで助けられるならまず応じてきた。
病的ともいえる俺のこんな部分にきっとシレーネちゃんも……
「ミカさまですねぇ」
珍しく畏敬より親しみが強くこもった言い様に驚いてシレーネちゃんの方を見ると、俺の行動に説教をしていたはずのその表情はとても穏やかに微笑んでいた。
そんなシレーネちゃんに俺は情けない苦笑で応える。
「だな、迷惑を掛けるよ」
俺の今後も改める気はないという意味の言葉に、しかしシレーネちゃんは一層と笑みを深くした。
「はい、任せてください」
金色の髪に縁どられたその顔は、優しく、暖かくて、何より綺麗な、天使の笑顔だった。
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