第51話 動物園デート?

 ソウタがかつて両親と一緒に行った動物園は「コアラ」がいたのだそうだ。ということは、多摩動物園しかないだろう。というわけで、三人は多摩動物園に行くことにした。


 といっても晴高は除霊のために廃病院に残るため車で送ってもらうわけにもいかない。そこで電車を乗り継いでいくことにした。


 多摩動物公園駅で降り、動物園の大きなエントランスが見えてくるとソウタは我慢できないといった様子で駆け出した。


「はやく! はやく!」


「待って! そんなに走ったら転けちゃうよ」


 千夏はゼーハーしながら、軽やかに走っていく小さな背中を追いかけた。彼は入場門にある大きな象の銅像の前で立ち止まる。


「うわぁ、大きいねぇ」


 ようやく追いついた千夏は呼吸を整えた後、ソウタに手を差し出した。


「中に入れば本物の象も、ほかの動物もいるよ」


 ソウタは千夏の手を握りながら、目を輝かせて「ウン!」と大きな声で答える。


「懐かしいなぁ。俺も、小学校の遠足で来たよ」


 元気はしみじみとそんなことを呟いていた。


「元気の実家って、都内なの?」


「ううん。多摩川を越えた先。登戸のあたり。あの辺の小学校は遠足で一度はここにくるんだ」


 そんなことを話していたらソウタが千夏の手を握ったまま、もう片方の手で元気の手も取った。


「ねぇねぇ。はやく入ろうよ」


「そうだな。早くしないと、キリンさんいなくなっちゃうかもしれないもんな」


 三人で手を繋いで入り口に向かっていると、元気がふいにソウタと手を繋いだまま彼の小さな身体を持ちあげた。ソウタが一瞬ふわっと浮く。キャッキャと楽しそうに声をあげた。


「もっと! もっと!」


「よーし、じゃあちゃんと手を繋いでろよ」


 コクコクとソウタが頷く。今度は歩く勢いに合わせて千夏も元気と一緒にぐっとソウタの腕をもちあげた。さっきよりもソウタの身体がふわりと浮いて、ソウタは声を上げて喜んだ。


 三人は入場門をから動物園に入るが、もちろん払った入場料は大人一人分だけだ。


(これってハタから見ると、動物園に一人で来てるアラサー女性ってことになるのよね)


 ばっちりお一人様感があるが、千夏の目には元気とソウタが視えているので寂しさなんて微塵もない。むしろ、小さい子連れの他の家族とあまり変わらなく見えていた。


(まぁ、いいか)


 自分の感覚と、第三者から見たときの見た目の違いは幽霊と行動する以上どうしてもついて回るものだ。いちいち気にしていても仕方がない。

 動物園はどこから見ていってもいいのだが、まずはソウタが一番見たがっていたキリンのいるところへ向かうことにした。


 遠目にキリンが見え始めると、ソウタは「わぁああああ!!!」と歓声をあげて走り出した。


「あ、ソウタくん!」


 千夏は慌てて追いかけようとするが、それを元気が制する。


「まぁ、いいんじゃん? 幽霊なんだから、怪我することも、攫われる心配もないし」


「それは、そうだけど……」


 小さなソウタが傍から離れると、どこかに行ってしまうんじゃないかと心配になってしまうのだ。


「ソウタさ。きっと、生きてるときはこんな風にはしゃいだり、走り回ったりってこともあまりできなかったんじゃないかな。だから、思う存分させてあげようよ」


 そう元気に言われて、千夏はハッとなる。

 そうだ。ソウタはあの病院のホスピスに入院していたのだ。きっと、長期入院していたのだろう。行動の制限や、やりたくてもできないことも多かったことだろう。

 身体という枷がなくなって、いまは思う存分動き回ることができるのだ。


「そうだね」


 キリンの柵の方までいっきに走っていってしまったソウタ。見逃してしまいそうなほど小さくなったその後ろ姿を眺めながら、千夏もそう返す。


 どちらからともなく手を絡めると、ソウタの行った方へゆっくり向かった。


「なんか、デートみたいだね」


 ふとそんなことを思って口にすると、元気もハハと笑った。


「そうだな。考えてみたら、買い物とかは一緒に行ったけど、遊びに行ったことはあまりなかったね。……もっと、一緒に色んなとこ行けば良かったな」


「これから行けばいいよ」


 その言葉に元気は優しく目を細めた。


「そうだな」


 ようやくソウタに追いつくと、彼はキリンの柵にしがみついて無心でキリンたちを眺めていた。手には、あのキリンのマスコットがぎゅっと握られている。

 随分長い間、ソウタはキリンの親子を眺めていた。


 そのあとは、動物ふれあいコーナーでモルモットを触ったり、他の動物たちを見て回ったりした。売店でチュロスも買って食べた。

 閉園時間ぎりぎりまで園内ですごして、閉園のアナウンスとともに動物園から出てくる。


 ソウタは何も見ても、始終目をキラキラさせていた。沢山笑って、沢山はしゃいで。他の子どもたちと同じように今を生きることを満喫しているように見えた。


 その後は、ソウタを家まで送るために京王線で聖蹟桜ヶ丘駅へと向かう。


 さすがに少し疲れた様子のソウタを元気が抱っこしながら、彼がかつて通っていたという保育園の前までやってきた。

 ソウタは元気の腕からぴょんと降りて保育園の柵から園内をしばらく懐かしそうに見た後、「ボクのおうち、こっちだよ」と先導して歩き出した。


 そこは保育園から歩いて十分ほどの場所にある住宅街の中の一軒家だった。

 もうすっかり陽も暮れていたが、家の中からはいいニオイが漂っている。夕飯の支度をしているようだ。


 ソウタは、タタタッと家に向かって走ると門の前で振り返った。


「ここ! ここがボクのおうち!!」


 郵便受けには、『森沢』とある。


「ソウタくんのお名前は、モリサワソウタくんで、いいのね?」


 千夏が聞くと、ソウタはコクンと大きく頷いた。もし、彼の家族が引っ越ししてしまったらどうしようと少し心配だったが、ご家族は今もこの家に住んでいるようだ。


 ほっと胸をなで下ろした千夏はそこで気づく。ソウタの全身がキラキラと輝き始めていた。彼の未練が果たされて、成仏しかけているようだ。


 千夏は笑顔で彼を見送った。

 家の中からは家族の声が聞こえている。

 もう見送りはここまでで充分だろう。


「私たちはここまで。さぁ、ママとパパのところに行っておいで」


 そう言ってバイバイと手を振ると、ソウタは「うん! バイバイ!」と手を振り返して、玄関の方へ走っていった。

 そして、もう一度こちらを見た後、「ただいま!」とはつらつとした声をかけて、ドアの向こうに消える。


 きっと、彼はもう大丈夫だろう。

 成仏するまでのしばらくの間、彼の大好きな家族といっぱい過ごしてほしい。


 これでもうあの廃病院に彼が戻ることはないにちがいない。取り込まれて悪霊たちを集める核になっていた彼があそこから離れれば、悪霊達が再び集まることもないだろう。


「これで、一件落着だね」


 駅に戻るためにくるっと向きを変えたそのとき、隣に立つ元気が一瞬、きらりと光を帯びているように見えた。


(…………え?)


 目をこすってもう一度見てみるが、ソウタが消えていったドアをじっと見つめている元気はいつもと変わらない彼だった。千夏の視線に気付いて、彼がこちらを見やる。


「ん? どうした?」


「う、ううん。なんでもない……」


「さぁ。晴高のところに戻ろうぜ。あいつ、大丈夫かな。またぶっ倒れてなきゃいいけど」


 そう元気が冗談めかして言うので、千夏はいま感じた不安をクスリと笑みに変える。


「うん。そうだね」


 いま見たのは、きっと何かの見間違いだよ。そう思うことにした。






 森沢家のキッチンでは母親がハンバーグを焼きあげ、ダイニングへと運んでいた。

 家族は三人のはず。それなのに、母親は四人分の料理を並べている。大きなハンバーグと、付け合わせのバターコーンにマッシュポテト。サラダと、オニオンスープもそれぞれ4皿ずつあった。


「ママー。お皿、一つおおいよ?」


 配膳を手伝ってフォークを並べていた五歳の娘が、母親に言いに行く。

 母親はエプロンで手を拭きながら、にっこりと笑った。


「ああ、いいのよ。今日は多く作っちゃったから。それにほら、お兄ちゃん、ハンバーグ好きだったから。今日は一緒に、ね?」


「ふーん?」


 そこに父親が帰ってくる。


「ただいまー。お、今日はハンバーグか」


 そしていつもより一つずつ多い皿を見て、柔らかく目を細めた。


蒼太そうたも好きだったからな。ハンバーグ」


「さあ、食べちゃいましょ。席についてついて」


「はーい」


 娘は返事をしながら自分の席に座る。

 そのとき。

 一瞬だけ、誰も座っていない席に誰かが座っているように見えた。

 瞬きをしたらもう誰もいなかったけれど、ニコニコ笑う顔が見えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る