第32話 あの声は

 その後もショベルカーで掘ってみたが、他には何も見つからなかった。

 ということは、あの霊が教えたかったのはこのスマホのことだったのだろう。


 明らかに、激しく壊された痕跡のあるスマホ。

 しかも、それは元気が生前に仕事で使っていた社用のスマホなのだという。


 明らかに動揺している様子の元気。しかし、千夏も晴高も事情がさっぱりわからない。

 なぜ、マンション建設予定地に三年前に死んだ高村元気の社用スマホが埋まっているのか。なぜ、あの霊はそれを知っていたのか。あの霊は何者で、何を訴えかけようとしていたのか。


 わからないことだらけだったが、とりあえず元気から事情を聞かないと埒があかない。しかし、元気はあまりにショックが大きかったのか、茫然として心ここにあらずの状態だった。

 事情も気になるが、それ以上に千夏には元気の状態が心配だった。


「元気。一回、職場に戻ろう?」


 千夏がそう尋ねるが、彼は思いつめた顔で小さく頷くのがやっとのようだった。

 千夏は元気の手を取るとぎゅっとにぎる。握り返してくる彼の力は弱かったけれど、手を放してしまうと彼がどこかに行ってしまうんじゃないかと思って怖かった。


 晴高は使い終わったショベルカーの搬出作業と作業員への対応をてきぱきと終え、その後呼んでくれたタクシーに乗って、三人は職場へと帰ってきた。

 幸運にも会議室が空いていたので、晴高はすぐに会議室を借りる手続きを済ませ、三人は会議室に入る。


 空いている席に元気を座らせると、千夏もその横に座った。ここまでずっと元気と手をつないだまま。元気は椅子に座ると千夏から手を放し、テーブルに両肘をついて頭を抱えた。


 一旦部屋から姿を消した晴高は、カップを三つ手にして戻ってくる。香ばしい良い香りが漂ってきた。職場のコーヒーメーカーで淹れたコーヒーだ。

 それを千夏と元気の前に置くと、晴高はその向かいに椅子を持ってきて座った。


「とりあえず。それでも飲んで落ち着け」


「ありがとうございます」


 千夏は礼をいうとカップを手に取る。湯気のたつコーヒーを口に含むと、苦みが頭を少しクリアにしてくれるような気がした。たぶん、元気の様子に千夏自身も動揺していたのだろうと今になると思う。


 元気はいまだに、コーヒーに手を付けることもなくテーブルの上で頭を抱えていた。


 それに構わず、晴高は足を組んで悠然とコーヒーを飲む。ゆっくり時間をかけて一杯飲み終わってから、ようやく元気に声をかけた。


「元気。俺たちには、さっぱり事情が見えてこない。でも、知ってることを全部話せとは言わない。お前の負担にならない範囲で、話せるだけでいいから。何か話せることがあったら、教えてもらえないか」


 そう尋ねる晴高の声は、淡々とはしていたがどこか優しい響きがあった。

 あのスマホは、ビニール袋に入れて晴高が持って帰ってきている。

 それをカバンから取り出すと、テーブルにコトリと置いた。

 その音に、元気がようやく頭を上げてビニール袋に入ったスマホを見た。


「……晴高。それ、裏返してもらえないか」


 元気に言われたとおりにする。裏面に張られたあの銀行名とナンバーの印字されたシールが見えた。

 元気はそのシールにそっと指で触れる。


「やっぱり……間違いない。これ、俺が使ってたスマホだ。……でも、どこかで無くしてしまったんだ。俺はそれで、始末書を書かされた」


「なくしたのは、いつだ? どこでなくしたか覚えているか?」


 晴高の質問に、元気はしばらくジッとスマホを見ていたが小さく首を横に振った。


「どこでなくしたかは、覚えていない。というか、あの時も始末書に紛失場所は不明って書いた覚えがあるんだ。いつも、仕事で外に行くときはカバンに入れて持って出てた。でも、そんなに電話ってかかってこないし俺も外で自分から電話することってあんまりなかったからさ。ほとんど、現場記録用のカメラとして使ってたんだ」


 スマホに視線を落とした元気の目は、記憶をたどっているのだろう、どこか遠くを見ているようだった。


「なくしたのは……たぶん、俺が死ぬちょっと前。一週間くらい前、だったかな。新しいスマホを職場から借りるはずだったんだけど、予備がなくって。総務から一週間くらい待ってっていわれてたけど、結局……」


 新しい社用スマホを受け取る前に、元気は事故死してしまったのだという。


「でも、なんでそのスマホがあの敷地に埋められてたんでしょう」


 千夏がそう言うと、晴高も元気も黙ってしまった。しばらくの沈黙のあと、口を開いたのは晴高だった。


「可能性として考えられるのは、元気があそこの物件に行ったときに落としたか……もしくは、盗まれて埋められたか、だ」


「……」


 その可能性を千夏も考えないではなかったが、なぜそんなことをするのか全く理由が見当つかなかった。


「お前は、生前あそこの物件の融資を担当してたんだろ? ってことは、あの物件にも行ったことがあるんだよな?」


 晴高の質問に、今度は元気はしっかり頷く。


「何度か行ったことがある。融資の可否を決めるのに、不動産登記簿と現状が合ってるかどうかとか、建物の状況だとか近隣の様子だとか、そういうのを確認しにいくんだ。不動産登記簿と現状が違っていることもあるし、接道している範囲が短ければ建築基準法違反で新しい建物が建てられない。そうなると、売却価格が全然違ってくるから、そういうのを確認しにいくんだ」


「ということは、それを確認しに行ったときに落としたとも考えられるんだよな?」


 もう一度、元気は頷く。晴高は、自分の考えを整理するようにゆっくりと話した。


「でも、もしそうなら建物を撤去したときのガラと一緒に、処分されると考えた方が自然だ。なのにこのスマホは深い土の中から見つかった。ということはだ」


 一旦言葉を区切ると、晴高は元気を見ながら言った。


「お前のスマホは実は紛失したんじゃなくて、誰かに盗まれたんじゃないのか? そして、壊されて地中深くに埋められた。あの霊に触れたときに見えた記憶からすると、あの霊はどこかで殺されたものと思われる。その霊が、お前のスマホのありかを教えた。それが意味するものって……」


「あ、あの記憶だけど」


 晴高が結論を言う前に、元気が言葉を遮るように口を開く。


「あの記憶に映っていた男女。あの人たちに覚えがあるんだ。あれは、あの物件の前の所有者。俺も何度か顔を合わせたことがある。たしか、阿賀沢あがさわさんって言ったかな。阿賀沢さんは先代から相続して兄弟で共有してあの不動産を持っていた。殺されたのは、おそらくお兄さんの方だ。俺は、お兄さんとは一度も会ったことがないけど」


 元気はそこまで一気に話すと、大きく息を吐きだしてコーヒーのカップを手に取りごくりと飲んだ。

 千夏と晴高は先を促すこともなく、黙って元気が再び話し出すのを待つ。

 コーヒーを飲みほすと少し落ち着いたのか、元気は再びぽつりぽつりと話し始めた。


「お兄さんが殺された場所。あれは間違いなく、あの物件の敷地だよ。あそこは以前は池があった。俺も現場調査で見に行ったことがある。そう……俺、あそこに行ったことがあるんだよ」


 元気の顔が、くしゃりと歪んだ。ひどい苦痛を耐えているようにも、泣きそうなのをこらえているようにもみえる表情。


「あの霊の記憶の中で、阿賀沢さん夫婦とお兄さん以外に、もう一人男の声が聞こえてただろ」


 そういえば、阿賀沢兄が殺される直前。あの物件を訪れていた誰かの声が聞こえていた。その姿は見えなかったが、若い男性のような声だった。


「あれ……俺の声だ。俺、あの日、あの場所にいたんだ」

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