第33話 写真に写りこんでいたもの
阿賀沢兄が殺害された日、あの現場に元気はいたのだという。
頭がこんがらがって、何が何だかわからない。
「じゃ、じゃあ……元気は、阿賀沢さんのお兄さんが殺されたことは知っていたの?」
千夏が率直にそう口にすると、彼はぶんぶんと大きく首を横に振った。
「そんなの知ってるわけないじゃないか。俺、そもそもお兄さんとは面識なかったし。面談はいつも弟さんと彼の奥さんだけだった。でも委任状持ってきて、お兄さんも売買には同意してるけど仕事が忙しいから来れないって言われて」
嫌な予感がした。心臓が不協和音を奏でているような、嫌な動悸がする。たぶんそれは、千夏だけでなく晴高も、そして元気自身も感じていたのだろう。
でも、誰もそれを口にはできなかった。そのことに気づきたくなかった。
「とりあえず、だ。その日のことをもう一回思い出して整理してみろ」
晴高の言葉に、千夏はトートバッグから元気のタブレットを取り出すと、メモアプリを開いて元気の前に置いた。
ごくりと、元気が生唾を飲み込む音が聞こえた。彼はフリックで文字を入力していく。その指がわずかに震えていた。
「どうだったっけな……。普段は客先に行くときは上司と二人で行くことが多かったんだ。銀行内の決まりで、そうなってた。でも、あそこに行ったときは、一人だったような気がするんだよな……たぶん、一緒に行く予定だった上司にたまたま急な用事が入ったとかで一人で行くことになったんじゃないかな。あの頃まだ、阿賀沢さんたちはあそこで料亭をやってたから、時間や日程はずらせなかったんだと思う。それで、俺は一人で行って。阿賀沢さんの弟さんとその奥さんが応対してくれて、一緒に建物や庭を見たのは覚えているんだ。そんで、一通り見た後、あの霊の記憶にもあったけど、たぶん礼を言って職場に戻ったんだと思う」
それは通常の業務の一部であり、それまで元気自身、沢山の案件でこなしてきた手順だ。なんの問題もないはずだった。だからこそ、元気自身もあまりはっきりとは覚えていないようだった。
「まっすぐ職場に戻ったのか? どっか寄ったりせず?」
晴高の問いかけに、元気はこくんと頷いたが。
「あれ? ちょっと待って……。俺、大体、現況調査行ったときは、建物とか周りの様子とかを写真に撮らせてもらうんだ。あの日はどうしたんだっけ……」
そこまでつぶやくように言ってから、メモアプリに経過を入力していた指が止まる。
タブレットを見ているようで、どこか虚空を見ているような元気の目。千夏は心配になって彼の肩を揺する。が、千夏の手は元気の肩を通り過ぎた。それは、元気の意識がこちらに向いていないということ。
元気は顔をあげると、唖然としたような目で晴高と千夏を見た。その目はすぐに、おろおろとテーブルをさまよう。
「そうだ。写真だ」
「……写真?」
おうむ返しに聞く千夏。
「そう。阿賀沢さんたちと別れて一旦帰りかけたときに、写真を撮ってなかったことを思い出したんだ。でも、話してるときに写真撮らせてくださいねって聞いてOKもらってたから、とくに気にせずそのまま道路からあの料亭の写真をこのスマホで何枚も取ったんだ。あの当時はぐるっと庭全体を覆うように背の高い垣根があって。その周りから何枚も。でもそしたら突然、阿賀沢さんが出てきて。ほんのちょっと前に別れたときの親し気な様子から豹変して、すごく怒ってたんだ。勝手に撮ってとかなんとか、って。でも俺、一応許可はとってあったし。なんでそんな怒られるのかわからなくて、とりあえずひたすら謝って職場に戻った。……すごく驚いたし怖かったから。あのときの阿賀沢さんの顔はいま、はっきり思い出した」
三人の視線が、自然とスマホに集まった。
このスマホで元気が撮った写真。
そして、阿賀沢兄と思しき霊の記憶の中で見た情景をつなぎ合わせてみると、元気が写真を撮った時間帯とその垣根の向こうで殺人が行われていた時間帯が重なる。
その後、阿賀沢弟が激高していたことからしても、おそらく同時刻。そして元気が写真を撮っているところを、阿賀沢弟は見て知っていた。
「このスマホの中の写真って、取り出せないんでしょうか」
その写真に何が映っていたのかは予想がついたが、確認してみたかった。
「これだけ派手に壊れてると、データを取り出すのは難しいかもしれないな」
そう晴高は唸ったが、元気は「そうだ」と言ってメモアプリを閉じると別の操作をする。
「現況調査行くとすぐに写真でスマホがいっぱいになるから、俺、データは自分のクラウドに保存してあったんだ。まだ生きてるかな……ここ、無料だったからまだ登録は……」
慣れた手つきでクラウドのアプリをダウンロードしてきて開いた。「えっと、あのころ使ってたメアド、なんだっけ……」とかブツブツ言いながらも、無事に元気のアカウントで保管していた写真ファイルを開くことができた。
そのファイルには、さらに二つのファイルがあった。
一つは『仕事用』と書かれたもの。もう一つは『プライベート』と書かれたものだ。
一緒にタブレットをのぞき込んでいた千夏はその『プライベート』の方が一瞬だけ気になったものの、いまはそんなこと考えている場合ではない。
元気が『仕事用』のファイルを開く。
途端にディスプレイに沢山の写真画像が現れた。撮影した日付の新しいもの順に並んでいる。
「あった。このあたりだ」
それは、十数枚の写真だった。背の高い垣根と、さらにその隙間から奥にある日本家屋がわずかに見える。現在は取り壊されて残っていないその建物や垣根に千夏は見覚えはなかったが、一緒に映り込んでいる道路の感じや隣家の形からそこがあのマンション建設工事現場と同じ場所だというのはわかる。
その中に、あった。
垣根の間から、何か白いものを振り上げている男性が映り込んでいる写真。さらにその男性の足元に誰かが倒れているのも映っていた。おそらくそれは、弟に後頭部を殴られて倒れた阿賀沢兄だったのだろう。
「これか……この写真をとったから阿賀沢さんはあんなに怒っていたのか……」
そして激高しただけにとどまらず、元気からそのスマホを何らかの方法で盗んで壊して埋めたのだ。すべては殺人の証拠を消すために。
元気はタブレットを、もうこれ以上見たくないというように手でおしのけると再び頭を抱えた。
「元気。もう一回確認させてくれ。お前が事故死したのって、それからどれくらいあとのことなんだ」
一つ一つ言葉を置いていくように、慎重に言葉を並べて尋ねる晴高。
元気は頭を抱えたまましばらく黙っていたが、やがてボソボソと答えだす。
「そのすぐあとにスマホをなくして。それから一週間も経ってないから……」
「そうだよな。それくらいだって言ってたよな。……なあ。お前もうすうす気づいてるよな」
静かな晴高の声。元気はうつむいたまま、何の反応もしない。いや、できないのかもしれない。千夏にも晴高が言おうとしていることは、わかっていた。でも、それを口にはできなかった。その可能性を考えたくもなかった。
しかし、相手は既に殺人を起こしている殺人犯なのだ。そんな相手に倫理や法律が何の妨げになるだろう。
もしかしたら、元気は……。
「お前が死んだ自動車事故。それって、……本当に事故だったのか?」
晴高の言葉に、わずかにびくりと元気の肩が動くのが千夏にもわかる。彼に触れようと手を伸ばしかけたが、きっと今触れようとしても千夏の指は彼をすり抜けるだろう。それを思うと、触れるのすら憚られた。
胸が苦しい。でも、元気はいま、千夏とは比べ物にならない遥かに残酷な苦しみの中にいるのだろう。
「お前は」
高村元気は、
殺人の証拠隠滅のためにあの人たちに……。
「殺されたんじゃないのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます